テラーノベル
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7月の湿り気を帯びた夜風が、提灯の明かりに照らされた境内を通り抜けていく。
俺たちは二重組のシマで開催されている、小規模な縁日に足を運んでいた。
ここはテキ屋系のシノギを持つ二重組組員や関係者が多く、大判組系列の若手たちも警備等に派遣されている。
下手に自治体が主催する大規模な祭りよりも、俺のような立場の人間には安全で居心地が良い。
シズちゃんがタクシーから降りてきた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
紺地に白の撫子があしらわれた浴衣に自らが編んだカゴに巾着を入れて現れる。
天利「……今日も、一段と綺麗だね」
シズカ「うふふ、ありがとうございます。
少し自分なりにアレンジを加えてみましたの。
天利さんも浴衣お似合いですよ」
天利「ありがとう」
シズちゃんが浴衣を着てくると聞いて、慌てて用意したのはここだけの話だ。
シズちゃんが優雅に扇子を遊ばせる中、屋台が並ぶ通りへ繰り出すと、シズちゃんの「弱点」が露呈し始めた。
天利「シズちゃん、射的やってみる? 」
シズカ「……笑わないでくださいね?」
『……パンッ、パンッ!』
放たれた弾は無情にも全て的外れな方向へ飛んでいく。
シズカ「……」
続く輪投げも、金魚すくいも、ヨーヨー釣りも全滅だった。
天利「……シズちゃん。
もしかして、こういうの苦手?」
シズカ「……遊ぶのは好きですが、実際に遊んだ経験があまりなくて……」
シュンとする彼女だったが、別の屋台を見つけた瞬間、目が輝いた。
シズカ「天利さん! 見てください!
『フライドバター』が売ってますよ!」
天利「フライドバター?」
シズカ「アメリカンドッグやチーズハットグの中身がバターなハイカロリー大国、アメリカ発祥のカロリー爆弾フードです!
話を聞いてから気になってたんですよ!」
小走りで屋台に近づくシズちゃんを追いかけるとある人物が俺の視界の端を掠める。
天利「(いた……)」
屋台の人「いらっしゃいませ」
シズカ「おひとつくださいな」
天利「いや2つください」
シズカ「えっ!?天利さん、召し上がるんですか?!!」
天利「俺じゃないよ。
差し入れ……」
シズカ「ああ、なるほど」
目当ての物を購入した俺は会場の隅に珍しい品種の朝顔が飾られた一角へと彼女を促した。
そこには、周囲の喧騒から浮いたような、覇気のない青年が1人ポツンと立っていた。
天利「いたいた!
来てくれないかと思ったよ」
庸介「何ですか……?
こんなところに呼び出して……」
天利「シズちゃん、紹介するよ。
彼はうちの若頭の御厨 庸介くん。
今は大学で環境造園学の研究をしてるんだ」
庸介「……御厨 庸介です。初めまして」
クリーム色のふわふわとした髪を揺らして振り返った彼の瞳には、年齢に見合わない冷めた色が宿っていた。
シズちゃんが挨拶を返すと、庸介くんはシズちゃんの小柄な体格と凛とした佇まいのギャップに、少しだけ毒気を抜かれたような顔をする。
天利「庸介くん、これおじさんからの差し入れ」
庸介「なんですかこれ?」
天利「アメリカンドッグの進化版だって」
シズカ「中に熱々のバターが閉じ込められている可能性があるのでお気をつけて召し上がってくださいまし」
庸介「……ありがとうございます」
ほぼ同時にかぶりつく2人。
庸介「……」
シズカ「んー!!」
訝しげな顔のままの庸介くんと目を細め咀嚼するシズちゃん。
庸介「……お茶とかあります?」
天利「はい。え?そんな甘いの?」
庸介「どっちかと言うとあまじょっぱいんですけど……口の中が油ギッシュで……」
シズカ「バターの塊にホットケーキの素を纏わせて揚げただけですからね……」
庸介「蓼原さんはお好きなんですか?
これ……」
シズカ「今日初めて食べました。
食べたことない物に興味を引かれる性分で……」
庸介「はぁ……そうですか……」
シズカ「天利さん、天利さんのお茶、一口いただけますか?」
天利「どうぞ。
好きなだけ飲んでいいよ」
シズカ「ありがとうございます」
シズちゃんは庸介くんを観察するように視線を動かす。
彼は朝顔の鉢植えを見つめ、どこか遠い場所を思っているようだった。
シズカ「……その朝顔、『団十郎』ですわね。
渋い茶色が素敵ですわ」
庸介「……。これ、蔓の巻き方が少し甘いんです。
僕なら、もう少し支柱を工夫して、綺麗な迷路みたいに誘導するんですけど……」
庸介くんが漏らした「迷路」という言葉に、シズちゃんはピクンッと反応する。
彼のいう「迷路」は出口を探すためのものではなく、迷い込み、そのまま静かに消えてしまうための場所だ。
シズちゃんは、自分が「蓼原シズカ」として生きるために泥を這い、居場所を掴み取った。
決して裕福とは言えないあの狭いアパートで、ご両親はシズちゃんを真っ当な世界へ送り出そうと、月謝などを工面し食事面などのサポートもしてバレエや茶道を習わせて表向きは何不自由なく育てた。
その慈愛こそが、シズちゃんを泥の中に沈ませまいと繋ぎ止めていた細い、けれど強固な『糸』だった。
だからこそリーマンショックや震災直後の就職難の世代でありながら『オーガ・プライムフーズ』という大企業への採用をもぎ取ることができたのだろうし、新界の姉、優子という尊敬できる上司に出会えたのだろう。
会社という公の場で「シズ」と呼び、シズちゃんの素性を察しながらも1人の人間として目をかけ続けてくれる優子の存在も、シズちゃんにとっては救いの『光』だっただろう。
泥に塗れた過去を否定せず、それでも前を向いて歩き続けてきたからこそ、今のシズちゃんがあるのだ。
それに対して、目の前の青年は、ある事件をきっかけに『糸』や『光』を見失い、足掻く気力も体力もどこかに忘れて自分を「終わらせてくれる」誰かを待っている。
シズカ「(私の歩んできた道も、振り返れば迷路のようだった。
でも、行き止まりの先にはいつも、誰かが灯してくれた明かりがあった。
私は運良くそれに気づくことができたしそこに向かって手を伸ばすことができた。
必死に足掻いて死に物狂いで掴み取ってきた。
……でも彼は、その明かりを見失い、探すことをも諦めている……。
いや、明かりを探すという選択肢を失っているのかもしれない……。
あらゆることから目を逸らし、全てを手放して終わることを望んでいる。
泥の中に沈み、窒息することを待っているような……そんな目……)」
シズカ「……それにしても、やはりバターは重すぎましたわね」
天利「シズちゃん普段がヘルシー志向だからね。
家に帰ったら俺の胃薬あげるよ」
シズカ「ありがとうございます……。
御厨さんは大丈夫ですか……?」
庸介「まぁ……お陰で夜食はいらなそうです……」
天利「庸介くん若いからね」
シズカ「あらまぁ!私を『年増』扱いなさるおつもり?」
天利「えっ!?違う違う!!
そういう意図はないって!!
シズちゃんは充分若いよ!!」
庸介「……」
夜が更け、庸介くんは「研究室の植物の世話があるので」と足早に帰っていった。
去り際、庸介くんはこちらを振り返り「……お似合いですよ」と呟く。
天利「……今の、彼なりの祝福かな?」
シズカ「そうかもしれませんわね」
シズカ「(心は重くても、こうして笑える日が御厨さんにも来るといいな)」
2人きりになった屋台の裏で、俺は冷えたラムネの瓶を2つ、シズカに差し出した。
天利「……悪かったね、無理やり引き合わせたりして。
庸介くん、あんな感じだけど、根はいい子なんだよ」
シズカ「……ええ。
天利さん、貴方は彼の『居場所』を、守り続けていらしたのですね」
天利「……。バレたか。
俺ができるのは、彼が自分の道を決めるまで、この椅子を温めておくことくらいだからね」
ビー玉がカラン、と乾いた音を立てる。
天利「彼は、ある事件で先代組長だった父親を亡くして以来ずっと迷子なんだ。
普通なら他の家族や周囲の大人が引き戻そうとするんだろうけど、彼はひとりっ子で唯一の家族である母親とは疎遠だし周囲の大人はロクな幼少期を過ごしてない奴ら、『人の救い方』を知らない奴らばかりな上に、外部の人間に話せるような環境や事情じゃないからね……」
シズカ「(あの若さでお父上を……。
もしかしたら私も彼と同じ……あるいは逆だったかもしれない……)」
天利「シズちゃんの方が歳も育ってきた環境も彼に近い。
そしてシズちゃんは『陽の当たる場所』と『そこへの行き方』を知ってるから、彼に見せてあげて、教えてあげて欲しいんだよ……」
そう言って俺は目を伏せ、無意識に左腕を掴む。
天利「(彼は、俺たちの世界の『汚れ』を知りすぎた。
だから、シズちゃんみたいな『正しく強い光』が必要なんだ)」
だからこそ、俺は庸介くんにシズちゃんを紹介しようと思った。
俺は彼の『糸』にはなれても『光』にはなれないから……。
彼女が俺の『光』であるように、彼にとっての『光』になってくれるかもしれないから……。
天利「特別な事はしなくていい……。
ただ見守ってくれるだけで、彼が頼ってきた時にそっと手を引いてくれるだけでいい……。
夜闇とネオンと血生臭い世界で生きてきた俺にはできないから……」
シズカ「……わかりました」
シズちゃんは手を伸ばし俺の右手に自らの右手を重ねる。
まるでその小さな体で俺を抱きしめるかのように。
シズカ「貴方が望むならば、私が『灯台』になりましょう……。
両親や上司、沢山の人たちが私にしてくれたように……」
天利「ありがとうシズちゃん……。
……灯台か。じゃあ、俺はその灯台を支える土台にでもなるよ」
シズカ「天利さんは御厨さんという柱を護る守り人ですよ」
東京の夜空には、屋台の提灯の光に混じって、本物の夏の大三角形が微かに輝いていた。
コメント
1件
おお、浴衣デートかと思いきや、めっちゃ深い話だった……! シズカの「灯台になる」って決意にグッときた。 自分も迷ってた過去があるからこそ、庸介の迷子っぷりをちゃんと見て、そっと手を引ける存在になろうとしてるのが、もう本当に彼女らしいなって思う。 天利が「自分は光になれないから」って託すシーンも、男の矜持と不器用さが滲んでて良かった。 夏の夜の縁日って雰囲気も相まって、やさしいけどちょっと切ない余韻が残るエピソードだったわ🔥
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81
98
nappa
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