テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第4話 承認欲求の檻
通知は、夕方六時に鳴った。
駅前の大型ビジョンが切り替わる。
人々は足を止める。
もう誰も驚かない。
驚く前に、画面を見る。
画面が暗くなる。
数字が浮かぶ。
十。
九。
八。
七。
久世ミナトは、人混みの中で立ち止まった。
隣で綾瀬レイナが息を吐く。
「また来た」
六。
五。
四。
通行人の何人かがスマホを構えた。
三。
二。
一。
ボスが現れる。
顔の見えない輪郭。
加工された声。
感情の見えない間。
「本日のK宣告を始めます」
駅前のざわめきが、すっと細くなる。
「今回の対象者はこちらです」
画面に名前が表示された。
星野カイト
一瞬の沈黙。
そのあと、誰かが言った。
「あの子、知ってる」
別の誰かが笑った。
「登録者少ないやつだ」
ミナトはスマホを取り出した。
星野カイト。
二十歳。
新人ユーチューバー。
投稿本数、百二十七本。
登録者、八千四百二十一人。
最新動画の再生数、千二百。
動画内容は、街歩き、検証、食べ比べ、雑談配信。
どれも大きく伸びてはいない。
レイナが画面をのぞく。
「普通の新人だね」
「うん」
「でも、今夜で普通じゃなくなる」
ボスの声が駅前に響く。
「星野カイトさんに[K]を持たせます」
コメント欄が大型ビジョンの端に流れる。
誰?
新人?
売名じゃない?
逆にチャンスでは?
これは伸びる
カイトって誰
ボスは一拍置いた。
「君は、見られたかった」
ミナトの指が止まる。
「では、見られることの重さを知ってください」
配信は終わった。
大型ビジョンは通常の広告に戻る。
人々は歩き出す。
でも、いくつものスマホには、もう星野カイトの名前が残っていた。
レイナがすばやく検索する。
「始まった」
「何が」
「登録者、増えてる」
ミナトは画面を見た。
八千四百二十一。
八千五百九十。
八千九百。
九千二百。
数字が動く。
生き物のように。
いや、餌を見つけた群れのように。
ミナトは唇を結んだ。
「連絡先を探す」
「もう向こうから来るかも」
レイナの言葉が終わる前に、星野カイトのチャンネルがライブ配信を始めた。
題名は短かった。
K宣告されたので全部話します
ミナトは再生した。
画面の中に、黄色のパーカーを着た青年が映っていた。
明るい茶色の髪が照明で少し跳ねている。
顔立ちはまだ幼く、笑うと親しみやすい。
けれど、その目はカメラではなく、右下の数字を見ていた。
視聴者数。
一万人。
三万人。
八万人。
星野カイトは、口元を押さえた。
「え、やば。待って。やばいって」
声は震えていた。
恐怖か。
興奮か。
その境界は薄かった。
「みんな、来てくれてありがとう。いや、こんな形で伸びると思わなかったけど」
コメントが流れる。
おめでとう
終わったな
今どんな気持ち?
K持ちユーチューバー爆誕
逃げるなよ
カイトは笑った。
「逃げない。俺、逃げません」
ミナトの胸が重くなった。
レイナが言った。
「まずいね」
「うん」
「怖がってない」
「いや、怖がってる」
ミナトは画面を見つめた。
「でも、数字の方が強い」
カイトはスマホを持ち上げた。
「今から、K宣告後の一日を密着します。タイトルは、Kを持たされた男のリアル」
レイナが短く息を吐いた。
「娯楽にする気だ」
「止めないと」
ミナトは歩き出した。
カイトの配信画面に映る背景を見て、場所を推測する。
小さな配信スタジオ。
壁には吸音材。
後ろに置かれた棚。
窓の外の看板。
レイナがすぐに地図を出した。
「ここ、たぶん駅二つ先」
「行こう」
「配信を見ながらね」
二人は駅へ向かった。
電車に乗っている間も、カイトの配信は続いていた。
「まず、俺の部屋をチェックします。変なものがないか確認します」
カイトは笑いながらカメラを回す。
机。
ゲーム機。
マイク。
空き容器。
積まれた服。
コメントが流れる。
汚い
そこにKあるだろ
机の下見せろ
冷蔵庫開けろ
カバン見せろ
カイトは言われるがままに動いた。
「はいはい、見せますよ。これでいい?」
笑っている。
でも、笑顔が少しずつ引きつっている。
自分の部屋を、知らない大勢に開けていく。
見せれば見せるほど、次を求められる。
レイナが低い声で言った。
「透明性の悪い使い方」
「うん」
「自分を守るためじゃなく、見せ物にしてる」
「本人は守ってるつもりかもしれない」
「数字で?」
ミナトは返せなかった。
電車の窓に、カイトの配信が映る。
その横に、ミナト自身の顔も薄く映っていた。
彼もまた、宣告された人間だった。
記録すること。
見せること。
隠れないこと。
それは必要だった。
でも、どこからが自分を守る行為で、どこからが自分を差し出す行為になるのか。
境界線は、今日も薄い。
駅を降りるころ、カイトの視聴者数は三十万人を超えていた。
登録者は、十万人に近づいていた。
レイナが顔をしかめる。
「これ、成功体験になるよ」
「最悪だ」
「K宣告されたい人が出る」
その言葉に、ミナトの足が止まりかけた。
K宣告されたい。
今まで、Kは恐怖だった。
避けたいものだった。
でも、誰かがそれを利用して伸びたら。
恐怖は価値になる。
価値になれば、求める人が現れる。
Kは、もっと広がる。
スタジオは雑居ビルの三階にあった。
階段の途中に、何人かの若者がいた。
スマホを持ち、ドアの前に集まっている。
「ここだよな」
「生カイト見れる?」
「K持ち、今いるんでしょ」
レイナが前に出た。
「通してください」
「誰?」
「関係者」
「マジ?」
ミナトの顔を見た一人が、目を丸くした。
「久世じゃん」
「本人?」
「Kの人だ」
その声で、階段の視線が集まる。
ミナトは、もう慣れ始めている自分に気づいた。
慣れてはいけないはずだった。
でも、視線は何度も浴びると温度を失う。
傷ではなく、天気のようになる。
それが怖かった。
スタジオのドアを叩く。
中から、慌てた足音がした。
開けたのは真木ユウリだった。
ベージュのキャップをかぶり、薄い緑のシャツを着ている。
背は低めで、カメラを抱えたまま肩をこわばらせていた。
「え、久世ミナトさん?」
「星野さんに会わせてください」
ユウリは振り返った。
中からカイトの声が聞こえる。
「誰? え、久世さん? 本物?」
次の瞬間、カイトが画面に向かって叫んだ。
「やばい! 久世ミナトさん来た!」
レイナが顔をしかめた。
「配信止めて」
「え、でも」
「止めて」
レイナの声が低くなる。
ユウリは慌ててカメラを下ろした。
カイトは椅子から立ち上がった。
黄色のパーカー。
明るい茶色の髪。
笑顔。
その笑顔は、今にも崩れそうなのに、本人は必死で口角を上げていた。
「来てくれると思ってました」
「配信を止めてください」
ミナトは言った。
カイトの笑顔が固まる。
「なんでですか」
「危険だから」
「危険って、何が?」
「あなた自身です」
カイトは笑った。
「大丈夫です。俺、今めちゃくちゃ見られてますから」
「だから危険なんです」
部屋が静かになる。
外の廊下から、若者たちの声がする。
壁越しに聞こえる小さな笑い。
コメント通知の音。
カイトのスマホは、休まず震えていた。
「星野さん」
ミナトはゆっくり言った。
「今、あなたを見ている人たちは、あなたを守るために見ているわけじゃありません」
カイトの目が揺れた。
「そんなの分かってます」
「分かっているなら」
「でも、見てくれてる」
その言葉は、強かった。
強いというより、必死だった。
「今まで、誰も見てくれなかったんです。毎日動画を出しても、十人とか、百人とか。コメントも、身内だけ。何やっても伸びなくて」
カイトはスマホを握った。
「でも今、三十万人が見てる」
レイナが言った。
「その三十万人は、あなたが落ちるところを見に来てるかもしれない」
「それでも、見てないよりいい」
ユウリが顔を上げた。
「カイト」
「だってそうだろ!」
カイトは初めて声を荒げた。
「普通にやっても誰も見ない。頑張っても見ない。面白くしようとしても見ない。でもKって言われただけで、みんな来た」
ミナトは、何も言えなかった。
その言葉は、浅くない。
軽くもない。
承認欲求。
誰かに見てほしい。
存在を知ってほしい。
それは、人を支える力にもなる。
でも、檻にもなる。
カイトは、その中にもう片足を入れていた。
「俺、これをチャンスにします」
「チャンスじゃない」
「じゃあ何ですか」
「あなたを消費する熱です」
カイトは鼻で笑った。
「久世さんって、そういう言い方するんですね」
ミナトは黙った。
「綺麗に守るとか、孤立させないとか言ってるけど、俺には今しかないんです」
スマホが震え続ける。
登録者十万人達成。
カイトの画面に通知が出た。
彼の目が、そちらへ吸い寄せられた。
一瞬だけ、泣きそうな顔になった。
「十万……」
ユウリが小さく言った。
「カイト、もうやめよう」
「なんで」
「怖いよ」
「怖くない」
「嘘だよ」
カイトは答えなかった。
ミナトは、その沈黙を見た。
怖い。
でも、怖いと言ったら熱が冷める。
冷めたら、また誰にも見られない自分に戻る。
カイトは、その方を恐れている。
Kよりも。
ミナトは椅子に座った。
「配信を再開するなら、条件があります」
レイナがミナトを見た。
「やるの?」
「止められないなら、壊れにくい形にする」
カイトは目を細めた。
「条件って?」
「まず、部屋を全部見せない。住所や個人情報につながるものは映さない」
「でも」
「次に、視聴者の指示で動かない」
カイトは口を閉じた。
「三つ目。怖い時は怖いと言う。面白がらない」
「それ、伸びませんよ」
「伸びるための配信じゃない」
「俺は伸びたいんです」
「じゃあ、四つ目」
ミナトはカイトを見た。
「伸びたいと、ちゃんと言う」
カイトの表情が止まった。
「え?」
「K宣告を利用しているなら、隠さない。見られたいなら、見られたいと言う。その上で、どこまで見せるか決める」
レイナが小さく息を吐いた。
「厳しいね」
「ごまかす方が危ない」
カイトは、しばらくスマホを見ていた。
コメントは止まらない。
戻ってこい
何してる
久世に止められた?
つまらん
逃げた?
Kチャンス逃すな
カイトの指が震える。
「俺、戻ります」
ユウリがカメラを持ち直す。
「本当に?」
「うん」
カイトはミナトを見た。
「条件、守ります」
配信が再開された。
視聴者数はさらに増えた。
五十万人。
カイトはカメラの前に座った。
いつもの大きな笑いはなかった。
黄色のパーカーの袖を握り、まっすぐ画面を見る。
「すみません。少し止めてました」
コメントが荒れる。
「久世ミナトさんが来ています」
画面の端にミナトが映る。
コメントが一気に加速する。
本物だ
K同士
熱い
対決か
カイトは息を吸った。
「俺は、K宣告を利用して伸びようとしました」
ユウリのカメラが少し揺れる。
「今も、正直、伸びたいです」
コメントが少し変わった。
正直
草
いいじゃん
最低
「でも、怖いです」
その一言で、流れがわずかに鈍る。
カイトの目に水が浮かんだ。
「怖いのに、見られてるのが嬉しいです。嬉しいのが、自分でも嫌です」
ミナトは、画面の外で静かに見ていた。
カイトは続ける。
「だから、今日は全部は見せません。部屋も全部は映しません。視聴者の指示で何かを開けたりしません」
コメントが荒れる。
つまらん
見せろ
逃げた
久世のせい
カイトは唇を結んだ。
その顔が崩れそうになる。
でも、踏みとどまった。
「俺は、見られたいです。でも、壊れたいわけじゃないです」
部屋の中が静かになった。
ユウリがカメラを持つ手に力を入れる。
レイナは腕を組んだまま、画面を見ている。
ミナトは、カイトの背中を見ていた。
細い背中だった。
数字に押され、熱に焼かれ、それでも自分の輪郭を守ろうとしている背中だった。
配信は十五分で終わった。
カイトは終了ボタンを押すと、椅子からずるりと沈んだ。
「怖かった」
今度は、ちゃんと言えた。
ユウリがカメラを置き、カイトの隣に座った。
「やめよう。今日はもう」
カイトはうなずいた。
「うん」
レイナがスマホを見た。
「登録者、十五万」
カイトは笑おうとして、やめた。
「見ない」
「それがいい」
ミナトは立ち上がった。
「明日から、もっときつくなります」
カイトが顔を上げる。
「終わったんじゃないんですか」
「終わっていません」
窓の外は、すっかり暗くなっていた。
ビルの下には、まだ人がいる。
スマホを構えている。
「今日のあなたを見て、応援する人も出ます。でも、もっと過激なものを求める人も出ます」
カイトは小さくうなずいた。
「どうすれば」
「決めてください。見せること。見せないこと。誰に助けを求めるか」
「久世さんは?」
「僕も自分のKで手いっぱいです」
カイトは、少しだけ笑った。
「ですよね」
その笑いは、配信中のものよりずっと弱かった。
でも、人間の笑いだった。
スタジオを出る時、階段にいた若者たちはまだ残っていた。
「もう終わり?」
「次いつ?」
「カイト、出てこないの?」
レイナが鋭い目で見た。
「帰って」
「は?」
「今日は終わり」
若者たちは不満そうにスマホをしまった。
そのうちの一人が言った。
「つまんないな」
ミナトは、その言葉を聞いた。
つまらない。
それは今日、一番怖い言葉だった。
誰かが壊れないことを、つまらないと言う。
誰かが泣かないことを、物足りないと言う。
誰かが助かったことに、価値を見ない。
社会は、もうK宣告を恐れているだけではなかった。
K宣告を待っていた。
次の対象者。
次の涙。
次の失敗。
次の崩壊。
駅へ向かう道で、レイナが言った。
「止められたと思う?」
ミナトは首を振った。
「少し遅らせただけ」
「だよね」
「でも、今日はそれでいい」
レイナはミナトを横目で見た。
「最近、そればっかり」
「それしかできない」
二人は歩いた。
街の画面には、もうカイトの切り抜きが流れていた。
K宣告された新人ユーチューバー
登録者急増
涙の告白
久世ミナトが介入
その下に、勝手な文字が出ていた。
K-3候補
レイナが舌打ちした。
「候補って何」
「ランク遊びだ」
「最低」
「うん」
ミナトは見上げた。
動画の中のカイトは泣きそうな顔で言っていた。
見られたいです。
でも、壊れたいわけじゃないです。
その部分だけが、何度も切り取られていた。
人々は感動していた。
笑っていた。
怒っていた。
評価していた。
消費していた。
カイトは、まだ生きている。
けれど、すでに物語にされていた。
夜。
ミナトは自室に戻った。
机の上にノートを開く。
第4話。
新人ユーチューバー。
承認欲求。
K宣告を利用。
社会は熱狂を求める。
ペン先が止まる。
少し考えて、もう一行を書く。
見られることは救いになる。
けれど、見られ続けることは檻になる。
スマホが震えた。
ボスの配信通知。
本日の観察結果
ミナトは画面を開いた。
ボスは、いつもの場所に座っていた。
「星野カイトさんは、選びました」
加工された声が、静かに流れる。
「壊れることではなく、見られることを」
コメント欄が動く。
ボスは続けた。
「人は、恐怖すら飾ることができます」
ミナトは、画面から目をそらさなかった。
「そして、大勢はそれを見たいと願います」
一拍。
「では、久世ミナトさん」
ミナトの指が止まる。
「あなたはいつまで、見られる側でいられるでしょうか」
配信が切れた。
部屋に静けさが戻る。
その直後、カイトからメッセージが来た。
今日はありがとうございました。
でも、明日も配信したいです。
怖いけど、やめたらまた誰も見なくなる気がします。
ミナトは返信を書こうとして、止まった。
すぐに正しい言葉が出てこなかった。
やめろと言えば、彼を否定することになる。
続けろと言えば、檻の鍵を渡すことになる。
ミナトは長く息を吐いた。
そして、短く打った。
明日、配信の前に話そう。
一人で決めないで。
送信。
既読はすぐについた。
返事はなかった。
ミナトはスマホを置いた。
窓の外で、街の明かりが揺れている。
どこかの部屋で、誰かが次の宣告を待っている。
怖がりながら。
笑いながら。
期待しながら。
K宣告四日目。
恐怖は、娯楽の顔を覚え始めていた。
コメント
1件
感想、すごく沁みました……。 久世ミナトさんが新人ユーチューバーの星野カイトに「壊れたくないなら、見せ方を選べ」と伝える場面、とても好きです。見られたい気持ちと壊れたくない気持ちの間で揺れるカイト君の姿がリアルで、胸が締め付けられました。あの「怖い」が本音で言えた瞬間、ようやく息ができた気がしました。 社会がK宣告を“待ち始めている”ラストの寒気、忘れられません。続きが気になります……!