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#ワンナイトラブ
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動いていた足はノロノロとスピードを遅くして、ついにはその動きを止めた。
肩に掛けたバッグの紐をぎゅっと握り締め、震える唇を動かす。
「……あ、きらくん」
出した声も、少しだけ震えた。
顔だけをすこし振り向いた旺くんは、「どうしたの」と、冷たい声を投げ捨てる。
「あ、の、わたし」
「早く行こ」
言葉を無視して、彼は再び歩みはじめた。
行けない、やっぱり、無理。
行きたくない。
荷物とか心底どうでもいいし、私は早く、帰りたい。
…………常葉くんの所に、帰りたい。
鼻の奥が冷たい空気を吸い込んだ。
“やっぱり無理”
喉の奥から言葉を吐き出そうとした瞬間、背後からもう一つ、足音が聞こえた。
「そっちじゃないですよ」
酷く、冷めた声だった。
だけど、その乾いた声は私の胸に染み込むと、すぐに視界が揺れて、ポタ、と一粒の涙が落ちた。
振り向けば、滲んだ視界の中心に、つい昼過ぎに会った彼の姿があった。
「……と、きわ、くん……」
ボロボロと勝手に涙がこぼれると、常葉くんは私に近寄り、性急に髪をかき分けて耳に何かを入れた。
……え、え?なに、イヤホン?
違和感を感じながら見上げていると、彼は呑気にスマホを操作した。
一瞬にして脳内を走り回るメロディー。遮断された世界。
『え、なに、』
「お前、なにしてんの、」
結構な音量に驚けば涙も引っ込んだ。慌ててそれを取ろうとすると、その前に常葉くんは、背後から両手で私の耳を塞ぐので為す術もない。
「もう、この人振り回すの、やめてもらっていいですか?」
「……は?」
「あんたにその気が無くても、この人いちいちあんたみたいなのに気を使うんですよね」
何を話しているのだろう、どうして聞かせてくれないんだろう。
ロックナンバーだけが頭を駆け巡る。
旺くんの口元だけが動いている。常葉くんに至っては真上に居るから表情さえも見えない。
『とって、これ』
自分の声がくぐもって聞こえる。聞こえないのかな、声、出てないのかな。
私を包む手のひらを掴んでみるけど、やっぱり剥がれることは無い。
『常葉くん』
声帯を震わせても、見上げても、彼は私を見ることなく目の前の男性だけを捉えている。
だけどそれは旺くんだって同じだ。
「惜しくなった?」
急に、目の前の旺くんの表情が変わった。
「こないだ、この人が可愛くなったからって、少し噂されてるの聞いて、別れたのが惜しくなりました?」
「……はっ、そんな訳。つぅか何?お前そいつ狙ってんの」
「そんなのなんであんたに言う必要があるんですか」
「おいおい、やめとけって。そいつ常に無表情だし、くそつまんねぇから。家帰っても仕事の延長線上。1ミリも面白みのない女だから、まじで」
突然旺くんが笑い始めると、私を包むその手のひらに力が込められた。
痛くはない、だけど、少しの違和感ですら心は震えた。
『どうしたの?』
尋ねても、やっぱり二人とも反応が無い。
……仕事の話、してるのかな。
読唇術なんていくら私でも出来ないよ。