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シリスが見えなくなったのか、彼女を見送るために部屋の出口へ体を向けていたミーシャさんが振り返り、アンヤへと歩み寄る。
そして彼女の肩に手を置くとミーシャさんはふわりと微笑んだ。
「アンヤちゃん……本当にあなたなのね。よく帰ってきてくれて……」
「……あなたも……心配してくれていたの?」
「もちろんよ。ユウヒちゃんたちを一番長く見てきたのはワタシよ? その家族の一員であるあなたのことを心配しないわけないでしょう?」
ミーシャさんの目をまっすぐ見つめるアンヤが口を開き、「あり――」とまで言葉を紡いだ時だ。
あの少女がまるで小さな子供が親の気を引くかの如く、唸りながらミーシャさんの腕をグイグイと引っ張ることでアンヤから引き剥がしてしまう。
そのため、アンヤの言葉は尻すぼんでいってしまった。
「母様! そんなチビに構うくらいならアタシに構ってください!」
「……ごめんなさいね、アンヤちゃん」
頬を引き攣らせたミーシャさんが少女の頭を撫でると、彼女は猫撫で声を出して甘えだした。
「あの、ミーシャ。そろそろ説明してもらえると助かります」
「そうだよ! 娘ってどういうこと!?」
疑問が溢れてきた様子のコウカとダンゴがミーシャさんに詰め寄ろうとすると、その間に件の少女が割り込む。
少女に睨みつけられた2人はそれ以上踏み込むことができなかったようだ。
「ごめんなさい、紹介するわ。この子はプリヴィア、ワタシの……娘になるわ」
少女を手で下がらせたミーシャさんがそう口にした。
少し言い淀みながらも彼は少女を娘だと認めたが、それでもまだまだ分からないことはある。
「こう見えて5歳の雌よ。見てわかる通り飛竜、そして人間のハーフといったところかしら」
彼は「まあ、種族としてはほとんど飛竜そのものなんだけど」と補足した。
「ハーフ……」
「シズク、聞いたことある?」
少女を見て興味深そうに呟いたシズクにそう尋ねると、彼女は首を横に振った。
この子が知らないということは、今まで読んできた本の中にもそんな記述は存在しなかったという事だろう。
「えっと……ミーシャの本当の娘なんですか?」
「何だよ。アタシと母様の関係を疑っているのかよ」
「こら! そうやってすぐに噛みつこうとしないの」
ミーシャさんに叱られると少女は捨てられた子犬のような目で彼を見上げた。
さすがにその表情には勝てないのか、ミーシャさんはバツの悪そうな表情を浮かべながら彼女をそっと抱き寄せた。
「ええそうよ、コウカちゃん。この子にはワタシの魂の欠片だって分け与えているわ。……れっきとしたワタシの娘、ね」
「母様ぁ」
まただ。また彼は言い淀んだ。
少女はそれに気付いていないのか、ご機嫌そうに尻尾を揺らしている。
「プリヴィア、救世主様と精霊様よ。ご挨拶なさい……プリヴィア?」
「……イヤです。救世主といってもただの人間、それも弱っちそうな小娘じゃないですか。精霊もコイツ以外はチビばかりで弱そうです。むしろそっちから挨拶するべきでは?」
そう言って腕を組んだ彼女は顔を逸らす。
ミーシャさんはもう叱るつもりもないのか、寂しそうに笑うだけだった。
「……こんな感じですっかりワガママ放題に育ってしまったみたいでね。これもワタシが全てを放り投げて逃げ出した罪。本当は今さら親を名乗る資格なんてないんでしょうけど……」
「え……?」
彼の言葉に私は耳を疑った。
「逃げ出した……? どういうこと……なんですか?」
「……この子はね、ワタシが愛した竜の忘れ形見なのよ」
そう言って彼は竜種限定のテイマースキルを持っており、生まれつき竜と心を通わせることができること。
かつて聖教騎士団に入団した後、1体の飛竜と深く愛し合ったこと。
そして特殊な方法で自分と竜の魂を分け与えた愛の結晶を拵えたこと。
最後にそのパートナーと悲劇的な別れを遂げてしまったことを教えてくれた。
「ワタシはね、自分が辛かったからという理由でまだ幼いこの子すらも見捨てて逃げ出してしまったのよ。そんなワタシがユウヒちゃんとコウカちゃんたちの関係について偉そうに口出ししていた……おかしな話でしょう?」
ミーシャさんが自嘲的な笑みを浮かべ、コウカたちも気の毒そうに彼ら母娘を見ていた。
――でも私が抱いたのはあの子たちとは別の感情だった。
「だからですか。だからミーシャさんはその子と目を合わせようとしないんですか?」
「ユウヒちゃん……?」
気付いた時には私はそう口に出してしまっていた。
「……そうね、ワタシにはこの子の母親をする資格がないのよ。この子が望む望まないは関係なく、ね」
「何ですか、それ……! あなたは心の奥底ではその子を大切に思っているはずだし、その子もミーシャさんを慕ってる。他人である私が分かるくらいに! なのに資格がない!? そんなわけないでしょう!」
「……子供のユウヒちゃんには分からないわよ、親の想いはね」
この人は卑怯だ。資格がないだなんて言っておきながら、こんなやり口で逃げる卑怯な大人だ。
「子供なんて……! そういうあなただって、親の愛に触れられない子供の悲しみを分かっていないじゃないですか! 私だってその子と同じ1人の娘だったんです! だから親の気持ちが分からなくても子供の気持ちならわかる!」
こうやって感情に振り回されて、こんな物言いしかできないから私はいつまでも子供なのだろう。
事情がどうであったとか、何も考えられずに私は子供の視点しか持てない。それをぶつけることしかできないのだ。
「子供はいつだって両親からの愛情を求めているんですよ。愛したならその分、愛してくれると信じているんです! だから、後ろめたさを感じる暇があったらちゃんと目を見て愛してるって伝えてあげればいいんですよ! あなたは資格がどうとか言い訳をして、ただ無責任に彼女の目からも、自分の気持ちからも逃げ続けているだけじゃないですか…ッ!」
避けられ、愛してもまっすぐ愛情を向けられないのは悲しいはずだ。そして、親から愛情を注いでもらえなくなることは一番辛かったはずなのだ。
だというのにミーシャさんは後ろめたさから彼女の愛をまっすぐ受け取ってあげようとしない。
この親子にとっては遅いことなんて何もないはずなのだ。本心の赴くままに愛し合ってもいいはずなのだ。誰もそれを否定することなどできない。
私は愛し合っている者同士がそれを表現できない柵なんて絶対に認めない。認めたくなんかない。
「そうやっていつまでも目を逸らし続ければその子はずっと――ッ!? ぅぐっ」
「ユウヒちゃん!」
――自分の体の事が本調子ではないことを忘れていた。
シズクが慌てて背中をさすってくれて、コウカたちも駆け寄ってくるが苦しくてたまらない。
「……ぁ、呼吸……!」
「ほんとだ! 変な感じだよ!?」
「シズクっ!」
「ちょっと待ってて! すぐに――」
まずい……目の前が……滲んで……。
――その時、不意に呼吸が楽になった。
「力を抜いて~……大丈夫~……大丈夫だからね~?」
私の滲んだ視界の向こう側にはノドカの顔があった。
どうやらこの子が私の呼吸をサポートしてくれているようで、私自身も少しずつ平静さを取り戻しつつあった。
「お姉さまは~わたくしにまかせて~?」
そう言うが早いか、ノドカは強引に私の体を抱き寄せた。
――なんて温かいのだろうか……安心する。
「あの……ユウヒちゃん。ごめんなさい、ワタシは――」
「出て行ってください、ミーシャ」
コウカがピシャリと言い放った時を起点にして、張り詰めたような雰囲気が部屋を支配する。
「あなたのせいとは言いませんが、今のあなたがいるとマスターの気が休まりませんから……お願いします」
「あ、あたしたちは疲れてるんだよ! も、もう帰って!」
――やがて静寂が訪れた部屋に2つの足音が響き渡った。
「本当にごめんなさい」
このまま彼らを帰してしまうと気まずくなったままの別れとなってしまうだろう。だが彼を引き留める気にはどうしてもなれなかった。
足音はどんどん遠ざかっていく。
――しかし、そのうちの1つが不意に止まった。
「何なんだよ、お前」
そう言うのは不機嫌そうな少女の声だ。
「余計なお世話だ、人間。アタシは母様の近くにいられればそれでいいんだ。だから何も知らないお前がアタシたち親子の関係に口を出すな」
ノドカの肩越しに見たのはくすんだ赤髪を揺らしながら去っていく少女の後ろ姿だった。
――本当に私は何を言っているんだろう。
彼女の言う通りではないか。さっきの私は自分の価値観を押し付けているだけだ。それでミーシャさんをさらに追い込んでいる。
結局、私は自分が理想とする家族の形を押し付けていただけなのかもしれない。
「なんだよ、アイツ。カンジ悪いなぁ」
「うん。あたしもムカついた」
「だよね! しんどそうな主様に向かってあんなこと言う必要ないよね!? それにチビってなんだよ!」
思いやるのならそれを確かな形として伝え合えるようになってほしいというのは私の我儘でしかないんだ。
「ねぇ、ちょっと……アイツが来てたの? そこで変な子を連れたアイツとすれ違ったんだけど」
「あ……おかえりなさい、ヒバナ。ミーシャですか? ええ、まあ来ていましたよ」
「……何かあったのね。雰囲気悪いわよ?」
香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。これは十中八九ヒバナの料理から漂ってきたものだろう。
顔を上げると湯気が立つ鍋の取っ手を両手で持つヒバナと目が合った。
私の顔を見た彼女がギョッとする。
「泣いてるじゃない!? もう、私がいない間に何があったのよ!」
「それは――」
「やっぱり何も言わないでいいわ。後で聞くから」
そう言うと彼女は微笑んだ。
「今日は折角またみんなが一緒になれた日なのよ。そんな日を湿っぽいまま終わらせるのは嫌だと思わない?」
《ストレージ》から取り出した皿に料理をよそっていくヒバナはわざとらしくウインクをする。
それを見た私が彼女にしては珍しい仕草だなと思っていると、シズクが両腕を交差させて二の腕を摩りはじめた。
「ちょっとゾッとしたかも……不自然すぎて」
「ひ、人が茶目っ気を出したっていうのに……あなたはまたっ!」
「ぇ……ウソだよ、ウソ! 似合ってたよ、不自然なくらいに!」
「結局、不自然なんじゃない! ならせめて笑いなさいよ!」
鍋を一旦机の上に置いて顔を真っ赤にするヒバナとそんな彼女から逃げるシズク。
「んっ……ふふっ」
そこでようやくいつもの私たちに戻っていたことに気が付いた。
不器用な優しさを見せるヒバナとそんな彼女を揶揄うシズク。私の大好きな日常の一幕だ。
笑い声を漏らすと満面の笑みを浮かべたダンゴが私の顔を下から覗いてきた。
「あははっ、主様も笑ってる!」
「おぉ……ナイスアシストでしたね、シズク」
コウカが微笑みを湛えながら感嘆の声を上げると、シズクは立ち止まって鼻を鳴らした。
「ふふん、ひーちゃんの下手な場の和ませ方をあたしがサポートする完璧な作戦――でぇっ!?」
「あんたはそろそろ一回反省しときなさい」
「ふぇっ、いひゃっ、いひゃいっ」
自慢げに胸を張っていたシズクがヒバナによって頬を抓まれて、情けない悲鳴を上げる。
シズクには悪いが、私たちの笑い声が部屋中を包み込んだ。
「……っ!」
アンヤも少し表情が柔らかくなった。声を抑えて笑う今の彼女を見て、誰が心がないと言えるだろうか。
もう十分だと判断したのか、ヒバナが私とノドカが眠っているものとは別のベッドにシズクを解放する。
「ふんっ、恥ずかしいでしょ? これに懲りたら私を揶揄うのはやめることね」
「うぅ……ひーちゃんに辱められたぁ……」
「んぐっ!? ちょっ、人聞きの悪い言い方しないでよっ!?」
顔を真っ赤にしてさめざめと泣くような仕草を取るシズクからの思わぬ反撃を受けて、振り返ったヒバナも再び顔が真っ赤になっていた。
「ねぇ、はずかしめるってどういう意味?」
「そのままの意味で恥ずかしい思いをさせることじゃないですか?」
「そうかなぁ……だったらヒバナ姉様はどうしてあんなに慌ててるの?」
「……たしかに。アンヤ、分かりますか?」
「……さぁ?」
コウカの考えは正しい。正しいのだが、どうやらヒバナはそういう意味で捉えなかったらしい。
普段から使う言葉ではないし、この子たちが分からないのも頷ける。
――あの2人って、耳年増な所あるからなぁ。
私だってそういうことに疎いとはいえ、簡単な言葉の意味くらいは分かる。
あの子たち2人は時々、顔を真っ赤にしながらこそこそと一緒に本を読んでいることも知っている。
教育に悪い気もする――彼女たちはあのなりで1歳になったばかりだ――が恥ずかしがっているうちは大丈夫だということでそっとしている。というか、変に首を突っ込むと私まで恥ずかしい思いをしそうだし。
「お姉さまは~わかってそう~」
「そうなの、主様!? 教えてっ!」
ノドカの言葉によって、首を傾げていた3人の視線が私に集中する。
そんなにキラキラした目で見つめられると答えないわけにはいかない。
「コウカがさっき言った意味で合ってるよ。相手に恥をかかせるってこと」
「えっ、合っていたんですか? でも……」
コウカの言いたいことは分かる。やっぱりこの答えでは納得しないか。
「相手の名誉を傷つけることだから、まあ褒められるようなことじゃないでしょ? ヒバナが人聞きの悪いって言ったのはそういうことだよ」
さすがに誤魔化させてもらった。
この答えで納得したのか、彼女たちがそれ以上追及してくることはなかった。
純粋な子たちでよかったと私はホッと胸を撫でおろした。
「はい終わりよ、終わり! 夕飯が冷めちゃうわ」
「あっ、そうだよ! ボク、もうお腹ペコペコ!」
「なら早くこっちに来て座りなさい。ノドカは場所変わって。私がユウヒに食べさせるから」
食卓にみんなの分の料理を並べ終わったヒバナがお椀を手にこちらに歩いてくると、ノドカが気の抜ける返事とともに私と一緒のベッドから這い出てふらふらと食卓に歩いていく。
それを心配そうに見つめるヒバナの代わりにコウカがノドカの体を支えたので、ヒバナもホッとした様子で私のそばまで来てベッドに腰掛けた。
ちゃっかりと最初に席についていたシズクが音頭を取り、みんなが食事を始める。
「まだ熱いわね。これならもう少し冷めてくれていたほうがよかったかも」
そう言ってヒバナは掬ったスープに息を吹きかけて冷ましてくれる。
「別に食べるくらいなら1人でできたのに……ヒバナは良かったの? まだ食べていないんでしょ?」
「病人なんだから変に気を遣わないの」
「……それを言ったらヒバナもじゃん。魔力をギリギリまで使ったんだから」
疲れていないわけがないのだ。
「あーもう、うるさいわよ。はい、あーん。黙って口を開けなさい」
匂いと見た目に釣られて私の腹の虫が鳴き出したので、私はおとなしく彼女の言う通りにした。
「ゆっくりでいいわ。ちゃんと食べられそう?」
「ん、うんっ……おいしい、よ……っ」
「ちょっと……なんでまた泣いちゃうのよぉ……っ」
こんなふうに食べさせてもらうなんて、小学校低学年の頃に風邪で寝込んだ時以来だ。
もう思い出す必要なんてないと思っていたのに。まさかこんな形でずっと昔のことを思い出すなんて思わなかった。
どうやら私の心は体に釣られて随分と弱ってしまっていたらしい。
大好きだったはずのあの味がどんな味だったのかを思い出すことはできないけれど、思い出だけは記憶にしっかりと刻み込まれている。私が幸せに満ちていた頃の記憶に。
「えっ、アンヤ!? 姉様、アンヤが泣いちゃった!」
「えぇ!? 嫌いなものでも入っていましたかっ、アンヤ! どれがダメなんですか、お姉ちゃんが代わりに食べてあげますよ!?」
「違うよ、ひーちゃんの料理が合わないんだよ! やっぱりチョコレートかな!? 誰かチョコレートか甘いお菓子持ってない!?」
「……ち、違うぅ……っ」
そうだ。私は今、幸せなんだ。
「ノドカも寝ている場合じゃ……あっ、ヒバナ! ヒバナなら砂糖とか……ってなんでヒバナも泣いて……ってマスターもですか!?」
「……コウカねぇ、さっきからうるさい……っ」
この時間がずっと続くことはないだろう。
そもそも私たちを取り巻く状況がそれを許してはくれないし、同じ時間が流れ続けることもない。
「砂糖ですって……? 入れさせるわけないでしょ!」
「この意地っ張り! アンヤが泣いているんですよ!?」
「私の手料理が泣くほど不味いって言いたいわけ!?」
「そんなわけないでしょう! この世から食べられるものを無くす気ですか!」
「意味わかんないわよ! 褒めるならちゃんと褒めてくれる!?」
でもそれでいいんだ。これはきっと“ずっと”ではなく“また”でいいものだから。
今はただこの時間を大切にしよう。
「あはは、もうコウカ。アンヤが泣いているのはきっと甘くなかったからじゃないよ。ちゃんとあの子の話を聞いてあげなよ、お姉ちゃん」
「えっ!?」
「そうなのアンヤ!?」
私がコウカに呼び掛けると食卓でアンヤを挟み込むように座っていたシズクとダンゴが信じられないものを見る目を末妹に向ける。
さめざめと泣いていたアンヤはようやく話を聞いてくれるくらいには冷静になった姉たちへ語りはじめる。
「……こんなにおいしくて……温かくて……帰ってきたんだって……うれしくて……っ。そう……言いたかったのに……姉さんたち、聞いてくれなかったっ」
「えっ、えっ!?」
「ど、どどどどうして!? ご、ごめんね!? 泣かないで……?」
堰を切ったように泣くアンヤにあの子たちはあたふたとしている。まさか自分たちに矛先が向けられるとは思っていなかったのだろう。
コウカといい、あの2人といい、その暴走具合は解放感からくるものか。
「あ~! お姉さまたちが~アンヤちゃんを~泣かせてる~」
椅子の上で揺れていたノドカがいつの間にか目をぱっちりと開けている。
「ち、ちがうのノドカちゃん! いやっ違くないかもだけどっ!」
「めっですよ~お姉さんなら~優しくしないと~」
寝ぼけているのかまるで酔っぱらいのようにフラフラしているノドカがアンヤに抱き着いた。
抱き着かれているあの子もどうやら拒むつもりはないらしい。
「優しく、ねぇ。私、ちっとも悪くなかったんだけど。なのによく考えない、話も聞こうとしない人に突っかかられちゃって……どう思う? 短絡的で石頭のコウカお姉ちゃん?」
「うぐっ……」
ジトッとした目でベッドの隣に立つコウカの顔を見上げるヒバナ。
そんな視線に晒されたコウカはよろめき、胸を抑えると「とりあえず――」と言葉を紡ぎ始めた。
「もう一度“お姉ちゃん”って呼んでもらえますか……?」
「は?」
「え……その反応は……キツいです……」
場違いなコウカの発言にヒバナの冷たい視線が突き刺さっていた。
だがそれもヒバナがこちらに目を向けたことで終わる。
「さ、ユウヒ。まだ食べられるんでしょ? ちゃんと食べて早く元気になってよね。……コウカねぇはさっさと食卓に戻ってくれる?」
「うぅ……ヒバナが冷たいです……」
肩を落としてトボトボと戻っていくコウカの背中を眺めていたヒバナがため息をつく。
「アンヤを慰めてきなさいよ、お姉ちゃん?」
「っ……はい! アンヤ、お姉ちゃんが来ました! もう大丈夫ですよ!」
「……単純すぎるでしょ、まったく。姉らしくしてなさいっての」
――こうして夜が更けていく。
そして眠る前になってようやくヒバナともさっきの出来事を話すことになった。
私は再びベッドに潜り込んできたノドカの頭を撫でながらゆっくりと事の全貌をヒバナへと話す。
「……なるほど。アイツが母親で……ユウヒが怒っちゃったって……まあ、酷い話だとは思うけど……まさかユウヒがねぇ」
改めて話すとやはり落ち込んでしまう。みんなにも情けない姿を見せてしまったものだ。
「でもそんなに落ち込む必要なんてないんじゃない?」
「え?」
彼女からの意外な言葉に私は思わず顔を上げてヒバナの顔をまじまじと見つめてしまった。
「そんな顔して、別に意外ってほどでもないでしょ?」
「そうですよ。マスターが心を痛めるくらいなら、彼のことは綺麗さっぱり忘れてしまうのも手だと思います」
コウカのこの言葉には驚いてしまった。
この子はミーシャさんを好意的に捉えているはずだ。なのにそんな関係を断つなんてことを提案していいのだろうか。
「でも、それだと……」
「それでもわたしは……わたしたちはずっと変わらずマスターのそばに居続けます。それだけじゃ、駄目ですか?」
違う。これはきっと優先順位の話なのだ。
彼女としてもこのまま彼との関係を断つことに思うことがないわけではないのだろう。それでも私を優先してくれるということなのだ。
彼女の言葉に甘えてしまいたい。そうすれば私は家族というゆりかごの中で幸せを享受し続けられるはずなのだ。
――でも、やっぱり駄目だ。
甘美に聞こえた言葉。でもそれはやっぱり私たちの関係を小さな箱庭に押し込んでいるだけに過ぎないのではないだろうか。
私は“人”としてこれまでにいろんなことをこの子たちに伝えようとしてきた。それはみんなに“人”であってほしかったから。みんなと同じ場所に立って同じものを感じ合いたかったから。
同時にもっと大きな世界を見てほしいと思う気持ちもまた間違いなく私の本心なのだ。
私は太陽だから。
そうだ、太陽なのだ。
太陽としての私を決して見失うな。
みんなが求めてくれる太陽としての私を。
「絶対にダメ。それはただ逃げてるだけだもん。私はミーシャさんに逃げないで、目を逸らさないでって言ったの。それが私の本心なのに、私自身がミーシャさんから逃げるのは違うよ。みんなが自分自身の想いとまっすぐ向き合ったように、私も自分の気持ちに正直でいたいんだよ」
ああ、とんだ嘘つきがいたものだ。
「……お姉さま~……?」
「ん? なぁに、ノドカ?」
「えっと~……? いえ~気のせいでした~……」
不安そうな顔でこちらを窺ってきたノドカに笑顔を返すと、彼女は少々戸惑った様子で首を傾げていた。
……変なノドカだ。
「まったく、意地っ張りなんだから……いいわ。あなたがそう言うなら、止めるつもりなんてこれっぽっちもないわよ」
「ボクたちの関係がこのまま終わりっていうのも悲しいもんね!」
そうだ。私は再びミーシャさんと話さなければならないだろう。
◇
次の日の朝、聖教騎士団の騎士が私たちを部屋まで迎えに来てくれた。
彼にはロビーで待ってもらい、私がベッドから起き上がろうとすると驚いた様子のコウカにベッドへと押し戻される。
訳が分からず、彼女たちと問答を繰り返すとある考えの相違が見つかった。
「えっ、主様戦う気だったの!?」
「そんなの~だめですよ~!」
騎士の人が私たちを呼びに来たのは本格的にあの元花畑の魔泉を鎮めるためだろう。
みんなが行くなら当然私も行くのだが、この子たちとしてはそんなつもりはないらしい。
「あなたなら行くって言うとは思っていたけどね」
「ユウヒちゃんは絶対安静。あたしたちとは訳が違うんだよ?」
腕を組んだヒバナと腰に両手を当て、唇を尖らせるシズク。咎めるような目が私に向けられる。
「マスターの気持ちもわかりますけど、昨日の今日なんです」
「……無理はしないで」
きっとお見通しなのだろう。魔力はほぼ全快で体も話す分には問題ないくらい回復しているが、まだ運動できるほどではないのは理解している。でもみんなと少しでも離れたくなかったのだ。
これは完全に私の我儘で、付いていったとしても役に立つどころかただのお荷物に成り下がりかねない。
本当のことを言う勇気もなくて目を伏せて口を閉ざしたまま時が流れた。
――不意にわざとらしい大きなため息が聞こえてくる。
「まったく、強情ね。わかった、わかったわよ。一緒に行きましょ」
「ちょっと、ひーちゃん」
「そんな顔しないでよ、シズ。私たちの誰かと一緒にいてくれた方が安心できるじゃない。そっちのほうが不安な気持ちで戦うよりも断然いいと思うけど?」
視線を上げると困ったような笑みをヒバナに向けるシズクの姿があった。
周りにいるみんなもヒバナの意見に賛同してくれていた。
「ありがとう、ヒバナ! みんなも!」
「――ただし!」
私の言葉に被せるように右手の人差し指をピンと立てたヒバナが大きな声を上げた。
「直接戦闘は禁止よ。それならいいわよね、シズ?」
「……うん。魔法を使うことは止めないけど、それだけは約束してね。絶対だよ」
連れて行ってくれるのならどんな条件でも呑める。私が力強く頷くとシズクの表情は満足そうなものへと変わった。
次に決めるのは誰と一緒にいるかだ。外に行く前にこれも決めておきたい。
最初に名乗りを上げたのはダンゴだ。彼女は「はい、はい!」右手を大きく挙げてアピールする。
「ボク! ボクだったら絶対に主様に怪我なんてさせないよ?」
「ダンゴちゃんならそうだね。あたしも一番安心できる」
「だったら――」
「でもやっぱりダンゴちゃんには前線であたしたちのことを守ってほしいな」
シズクにバッサリと切り捨てられたダンゴが口を尖らせる。
だがシズクの考えは尤もだろう。私ひとりの盾にするにはダンゴの力は惜しすぎる。
そしてその意見に賛同する子も現れた。
「わたしも今回ばかりはダンゴとマスターを組ませないことに賛成です」
「えーっ、コウカ姉様もなの?」
不満そうなダンゴに向かってコウカはふっと表情を緩める。
「ダンゴの気持ちの問題ですよ」
「……ボクの気持ち?」
「ダンゴ。あの花畑を取り戻そうと戦う人たちの後ろ姿を見送って、それでもずっと冷静でいられますか?」
「ぁ……」
「そういうことですよ」
コウカが瞠目するダンゴの肩を叩く。
まあ無理だろう。花畑を取り戻すのはダンゴと花咲かせ婆の交わした最後の約束だ。
きっと彼女はどんな状況でも私を守ることを優先してくれるだろうが、それは我慢することに他ならない。私たちの誰もがダンゴにそんな苦しい思いをしてほしくないと思っているのだ。
ダンゴの肩に手を乗せたままコウカは振り返り、アンヤと目を合わせると彼女たちは何やら頷き合っていた。
「わたしとアンヤもこれまで通り前に出ます。マスターのこと、3人のうちの誰かに任せてもいいでしょうか?」
「ええ、任せなさい。そうね……私かシズ、どっちか1人が後方に残ってもいいけど?」
そう言ってヒバナはシズクの方を見る。問いかけるような口調ではあったが、彼女の中では既に答えが出ているのだろう。
私もこの状況で安全と戦力のバランスが最も取れている選択肢は何か理解できていた。
シズクがゆっくりと首を横に振る。
「ううん。ノドカちゃん?」
「は~い! わたくしが~お姉さまを~しっかりと~守ってみせますよ~!」
「うんっ、お願い」
頼もしいノドカの言葉にシズクも力強く頷く。
ヒバナも期待を込めるかの如く、ノドカの肩を後ろから少し強めに叩いていた。
「さて、マスターのことはノドカに任せるとして……行きましょうか、花畑を取り戻しに」
「……これ以上、放ってはおけない」
コウカとアンヤの言葉にダンゴが同調する。
「そうだね。いつかの未来のためにも……今日、ボクは約束を果たすよ」