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🕊️第16章:泡日記の未来の頁(言えなかった言葉 編)
泡図書館の空気は、いつもより少し重かった。
静寂が深く、粒が浮かび上がる気配もない。
ねむるは通路の奥、見返しのない頁の前で立ち止まる。
律は、ねむるに導かれてゆっくり歩いていた。
棚も案内もない図書館で、自分の記憶を自分の手で探るしかなかった。
灯りのない場所に、ぽつりと浮かぶ一粒の泡。
触れた瞬間、それは柔らかく脈打った。
——夕方の河川敷。
風が少しだけ冷たく、聖名が言葉を飲み込んだ場面。
律は何も気づいていなかった。でもその記憶の粒は、彼女の中でずっと震えていた。
「これは……俺の記憶じゃない」
泡粒の中で流れていたのは、聖名の視点だった。
笑うふりをして、言えなかった「ごめん」と「ありがとう」が混ざった感情。
その頃、聖名も別の棚で立ち止まっていた。
浮かぶ粒にふれた瞬間、息を飲む。そこには、律が彼女に向けて飲み込んだ言葉が残っていた。
“言わなかった”という行為が、“なかった”ことにはならなかった。
それが、泡になって残っていた。
ねむるがふたりの間に歩いてくる。まばたきひとつで空気が動く。
律が手放した泡と、聖名が抱えた粒がふわりと交差した。
泡粒は小さな頁になって浮かぶ。
書かれていたのは、言葉ではなかった。
沈黙の奥で震えていた——ただの気配。
でも、それは紛れもなくふたりが残した記憶。
律は頁にそっと手を添える。
聖名は視線を伏せながら、同じ場所へと手を伸ばす。
ふたりの指が触れた頁は、光のないまま、静かに図書館の空気に溶けていった。
ねむるはひとつ尾を揺らし、泡棚の奥へと歩いていく。
次の粒は、もしかしたら——声になるかもしれなかった。