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それから数日後
俺と圭ちゃんの関係は、少しずつだけど
確かに変化していった。
昼休みに机を向かい合わせるたびに、視線が合う回数が増え
その度に胸の奥がキュンと甘く締めつけられる。登下校の道中は
今までと変わらず他愛のない話で盛り上がったけれど、時折、圭ちゃんが俺の手の甲にそっと触れてきたり
肩が触れ合う距離が自然と近くなったりするたびに、心臓が一つ一つ、喜びの音を刻むように高鳴るのを感じた。
冬の冷たい風が吹く日には、圭ちゃんがさりげなく俺の背中に手を回して
少しだけ引き寄せてくれたりもした。そのたびに、俺の頬は熱くなり
内緒で彼の体温を感じ取っては、ひっそりと幸福を噛み締めていた。
休日に初めて「デート」と銘打って
二人で映画を見に行った帰り道
薄暗い街灯の下で、圭ちゃんがふと俺の頭をくしゃっと撫でた時なんて
心臓が爆発しそうなくらい高鳴って、呼吸すら忘れてしまいそうになった。
彼の大きな掌の感触が、いつまでも俺の髪に残っているような気がして
家に着いてからも、鏡の前で何度も髪を触って確認してしまったほどだ。
友達だった頃には決してなかった
新しい感情が、まるで春の芽吹きのように
ゆっくりと、しかし確実に俺たちの間に芽生えているのが分かった。
言葉にはしなくても、お互いに「いい感じ」になっていることを
互いの視線や、さりげない仕草
そして何よりも、肌で感じる空気感で理解し合っていた。
この温かくて、少しだけ甘くて
触れたら壊れてしまいそうなほど繊細な空気が
いつまでも、永遠に続けばいいと
心から、強く願っていた。
このまま、何事もなく穏やかな日々が過ぎていけばいい。
漠然と、そう願っていた。
しかし、そんなささやかな幸福は
あまりにもあっけなく、残酷な形で打ち砕かれることになった。
ある日の昼休み
授業が終わり、教室にはまだ生徒がまばらに残っている時間帯だった。
圭ちゃんが「やべ、さっきの教室に忘れ物した、取り行ってくるわ」と席を外している間に
一人の女子生徒が俺の教室の入り口に立っていた。
教室に入ってくることはなく、ただじっと
俺の席を見つめている。
その顔をよく見て、俺はギョッとした。
圭ちゃんの中学時代の元カノ
杉山さん、杉山花音だった。
俺は以前から、彼女が圭ちゃんに対し、異常なまでの執着を抱いていることを知っていたし
俺に対しても、どこか冷たい、刺すような視線を向けてくることがあった。
スラリとした体型に、長く整えられた黒髪。
クラスの女子とは一線を画す
どこか洗練された雰囲気を持つ彼女が真っ直ぐに俺の席までやってくる。
その表情は、感情を読み取れないほど冷たく
普段の圭ちゃんが見せるような柔らかな笑顔とはまるで違う
鋭い視線を俺に向けていた。
彼女は、俺にしか聞こえないくらいの
しかし明確な声量で「ちょっと話があるんだけど」と言い
俺の返事を待たずに俺の腕を掴んで身を翻し廊下に出ていく。
その隣には、彼女の女友達らしき生徒が二人
まるで付き人のようにぴったりと寄り添い、俺を睨みつけるような視線を送っていた。
その三人の姿を見た瞬間
俺の全身に、言いようのない嫌な予感が走り抜けた。
足がすくみそうになったが、ここで逆らうこともできず
ただ流されるままに、杉山さんたちの後について
人気のない、薄暗い空き教室へと向かった。
廊下を歩く足音が、やけに大きく響く。
空き教室の扉が、重く
ギシリと音を立てて閉まる。
その音は、まるで俺の心を閉じ込める鍵の音のように感じられた。
三人の女子生徒に囲まれ、壁際に追い詰められたような感覚に陥る。
窓から差し込む夕陽が埃の舞う部屋をぼんやりと照らしていたが、その光は俺の心には届かない。
杉山さんは腕を組み、冷たい目で俺を見下ろしていた。
その瞳には、侮蔑の色がはっきりと見て取れる。
「前田から聞いたけどあんたゲイなんだってね。」
その瞬間、全身の血の気がサッと引いた。
彼女の口から放たれた最初の言葉は、まるで鋭利な氷の刃のように俺の心に真っ直ぐに突き刺さった。
前田……樹くんのことを相談していた、あの前田が、俺のことを、俺の秘密を、またバラしたのか。
呆れるような気持ちと、再び自分の秘密が晒されたことへの
拭い去れない恐怖と羞恥で、俺の体は完全に硬直してしまった。
杉山さんの隣にいた女友達の一人が、まるで汚物を見るかのような、嫌悪感を露わにした声で続ける。
「圭くんまで変な目で見られるの、困るんだよね」
その言葉は、俺の心臓を鋭い槍のように深く突き刺した。
他でもない、圭ちゃんの名前が出たことに絶望する。
杉山さんが冷酷な目で俺を見下ろす。
その目は、まるで俺を蔑んでいるかのようだった。
「中学のころもそうだった、私の圭を独占してさ、あんたが原因で私は圭に振られたんだからね?」
「そ、それは……!」
「正直、あんたみたいな弱々しい男、圭に近づけたくなかったけど……でも、圭がどうしてもって言うから仕方なく我慢してたの。」
「なのに何?前田に聞いたら中一の頃からホモだったって。そのときから私の圭も誑かしてたんだよね?!」
「最悪じゃんこいつ、キモ」
「さすがにクズすぎ、花音ちゃんが可哀想だと思わないの?」
杉山さんや二人の女生徒の口から吐き出される言葉一つ一つが
まるで鋭い刃のように俺の心を深く抉る。
俺は何も言い返せず、ただ黙って俯くしかなかった。
杉山さんは、俺のそんな様子にも構わず続ける。
「あんたみたいなのが圭に付き纏ってると、圭まで変な目で見られるでしょ?」
「だからもう金輪際、圭には近寄らないで」
「け、け…圭ちゃんは…!俺が変わり者だって知っても圭のこと……っ、俺のこと理解してくれたんだよ。そ、それ、に…今も昔も圭ちゃんのこと誑かしたことなんか……!」
「は?なに開き直ってんの」
思わずカッとなって言い返したものの、彼女たち怒りに満ちた目を見てすぐに後悔した。
「そういうところが気持ち悪いんだけど」
杉山さんにそう言われたのと同時に
ドンッ——。
「…っ、いた…」
突然、肩を押されて、尻もちをついた。
教室の床が冷たくて、痛みが現実を突きつけてくる。
見下ろす杉山さんたちの視線が、氷のように冷たくて。
「圭は優しいから、あんたに情けかけてるだけなの。圭は私の彼氏なんだから」
「花音ちゃんの言う通りすぎるよね~、それを勘違いされちゃ、圭くんも迷惑なんだって気付けよ」
「マジそれ」
そんな言葉を浴びせられているうちに、膝が震えてくる。
「分かったらもう圭に近づかないで」
吐き捨てるように言う杉山さんの声は、今までにないほど冷たかった。
……圭ちゃんは、君のものじゃない。
そう言いたかったのに、声が出なかった。
俺の中の何かがひゅっと縮こまった。
言い返そうとする心の奥に
「でも、俺がゲイなのは事実だ」という声がこだまする。
……そうだ、俺はゲイだ。
圭ちゃんがいくら俺を理解してくれたって、俺がゲイである事実は変えられない。
杉山さんたちの言う通りだ。
分かったと、言うしかなかった。
そう言おうとしたのに、口はパクパクと動くだけで声にならない。
「なに?なんか言いたいことでもあんの?」
俺の様子に気付いた杉山さんが冷たい声でそう言うので、慌てて首を振った。
「……っな、なんでもない……」
「あっそう」
やがて彼女たちは、何もなかったかのように去っていった。
何よりも、彼女たちの発言は、的を得ていた。
俺は、確かに圭ちゃんに近づきすぎたのかもしれない。
俺が圭ちゃんの優しさに甘えていたせいだ
圭ちゃんに迷惑をかけないためにも、この恋は最初から無かったことにした方がいいのかもしれない。
……もう近づかないって、約束したから。
もうこれで、全部終わりにしよう。
そう心に決めてもなお、涙が止まらなかった。
(もう、普通に振る舞おう。前みたいに、何もなかった顔して)
圭ちゃんが困る顔、見たくないから。
圭ちゃんが引く顔、見たくないから。
もう「好き」とか、考えない。
気持ちは……消す、消せる、消さなきゃ。
「友達」でいられるなら、それでいい
——そのはずなのに
「大丈夫」って、笑える自信がない。
もうすぐで昼休みも終わるし、早く戻らなきゃって思うのに
圭と顔を合わせたとき、自分がちゃんと演じ切れるか分からない。
泣いてしまいそうだ。
それだけは、絶対見せたくないのに。
(……もう、いいや。今日…このまま早退しようかな)
そんなことを思いながら、俺は涙をゴシゴシとカーディガンの袖を使って拭い
呼吸を整えて立ち上がった。
……それからしばらく一人で悶々と悩み、結局俺は早退することにした。
モヤモヤした気持ちが晴れないまま、教室に戻る気力もなかったし
これ以上、圭ちゃんと顔を合わせたらそれこそ泣いてしまいそうだったから。
(早く、家に帰りたい…もう何も考えたくない)
心の中で小さく言い訳をして
俺は職員室に向かい担任に
「すみません…体調が悪いので、早退したくて」
と嘘をついて早退したい旨を伝えた。
担任は、終始心配そうに俺を気遣ってくれた。
その心遣いに少し救われる思いだった。
圭ちゃんがまだ教室に戻っていないことを確認すると手早く荷物を鞄に詰め込み、足早に廊下を歩く。
職員室に戻って担任に早退届を書いてもらい、それを受け取って職員室を後にした。
校舎を出たところで、ほっと一息をつく。
やっと一人になれた気分だった。
心の中で安堵感が広がり、同時に虚しさがこみ上げてくるのを感じる。
(…あの子たちの言う通り、だよな)
圭ちゃんと俺が付き合えないことは
自分が一番分かっているつもりだったけど、改めて他人から突きつけられると結構辛いものがあった。
でも、これで良かったのかもしれないとも思う。
それに、前田が俺がゲイだと言いふらしてるなら
俺がこのまま圭ちゃんと一緒に居たら圭ちゃんまで白い目で見られてしまう…
それだったらいっそ、綺麗さっぱりなかったことにしてしまえば良いとさえ思った。
(明日、圭ちゃんに言おう。この前のことは忘れてって…)
何度も自分に言い聞かせながら歩く。
心臓が痛かったが、気づかないふりをした。
玄関の鍵を回す鈍い音が、妙に大きく響いた。
普段ならば、家族の誰かが帰ってきたことを告げる、ただの生活音に過ぎない。
けれど、今日の俺の耳には、その乾いた金属音がまるで胸を直接叩くかのように
ひどく重く、そして不気味なほど鮮明に響いた。
一歩、また一歩と家の中へと足を進めるたび
背後で閉まるドアの音が、外の世界との繋がりを断ち切るように心をさらに閉ざしていく。
靴を脱ぎかけ、その場に立ち尽くした。
呼吸すら忘れてしまいそうな、張り詰めた沈黙が家中に満ちているように感じる。
その静寂を破るように、リビングからひょいと顔を覗かせた母さんが
少し驚いたような
それでいてどこか優しい声で問いかけてきた。
「——あら? 早いじゃない、龍星。」
キッチンからは、醤油と出汁が混じり合った、煮物の甘く香ばしい匂いがふわりと漂ってくる。
テーブルの上には、夕飯の準備のために細かく刻まれた野菜や
丁寧に下処理された肉が綺麗に並んでいた。