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「なんで店の名前を黒猫にしたんだ」

開店から数日が経ったある午後、フェムル様が湯気の立つカップを片手に、ふとそんな疑問を口にした。カウンター越しに私を見るその顔は、真剣なのかそれとも軽い世間話なのか、判別しにくい。

「由来ですか?」

私は笑みを浮かべ、カウンターに乗っている小さな温もりを軽く撫でた。

「黒猫を店で飼っているからか」

ニャー。

タイミングよく、カウンター上の黒猫が可愛らしく鳴いた。金と青、左右で色の違う瞳がきらりと光る。名前はアイビー。今ではこの喫茶店の看板猫として、常連客からも人気を集める存在だ。

「アイビー」

そう呼ぶと、猫は気持ちよさそうに喉を鳴らし、頬にすり寄ってきた。

「そうですね。名前の由来は、、なんとなくです」

「黒猫関係ないのか」

「はい」

フェムル様はあきれたように眉をひそめたが、アイビーの丸い背中を一瞥すると、何も言わなくなった。

――本当は、ただ「なんとなく」ではない。 私はアイビーと出会ったときのことを思い出す。まだ喫茶店を始める前、日々の書類仕事に追われていた頃のことだ。


___


あの日は珍しく気分転換に森を歩いていた。広場から外れ、古い木々が鬱蒼と並ぶその場所は、廃墟と静けさに囲まれた領地の中で、私にとって数少ない心落ち着く空間だった。

猫の声が、風に紛れて聞こえたのはその時だ。

「……?」

耳を澄ますと、木々の奥からかすかな鳴き声がする。声に導かれるように足を進めると、大きな樹の根元に黒い影が見えた。

「、、いた」

そこにいたのは、薄汚れた黒猫だった。毛並みは雨に濡れたのかところどころ固まり、警戒心をむき出しにして背を丸めている。黄金と蒼の瞳――神秘的なオッドアイが鋭く私を睨んでいた。

「シャーッ」

牙を剥き、威嚇する声。弱さを隠すための強がりだと、直感でわかった。けれど私は近づきすぎず、その姿を目に焼き付けるようにしながら小さく息を吐いた。

(、、本心は、大勢に見せないほうがいい)

誰にも寄りかからず、一人で生きようとするその姿が、少し自分に重なった。私は何もせず、その日は書類仕事に戻るために森を後にした。

、、翌日、私は果物を一つ手に森へ向かった。猫でも食べられる甘みのあるものを選んで。

「、、、食べる?」

黒猫は再び「シャー」と威嚇する。果物をそっと木の根元に置くと、そのまま離れることにした。

次の日、行ってみると果物は消えていた。別の動物が持って行った可能性もあったが、私は心のどこかで「食べてくれた」と思いたかった。

、、さらに次の日、大雨が領地を叩いた。窓を震わせる雨音に耳を澄ませながら、私は心のどこかであの猫を思い浮かべていた。

雨の翌日、再び森へ足を運ぶと、猫はまだそこにいた。しかし、その足を引きずっている。枝か石か、あるいは縄張り争いか、、理由はわからないが怪我をしていた。

「、、見せて」

そっと手を伸ばすが、猫は容赦なく前足で叩いてきた。小さな体で必死に抵抗する。触れさせてはくれない。

ザーザー、、ザーザー、、。

またしても雨が降り出した。大木の下に避難する私。そのとき、猫が半歩だけ外へ出て鳴いた。

「ミャー」

「帰れって言ってるの? 、、雨が止んだらね」

泥で汚れた体。誰に頼るでもなく、ただ生き延びているその姿。

「お前は一人?」

返事はない。

「、、私は、一人。さみしい。でも悲しくはない」

そう呟いて、濡れた毛並みにそっと手を伸ばした。拒絶されることを覚悟したが、意外にもそのまま触れることができた。汚れていても、柔らかな毛並みは心地よい。

「お前は強いね。私は、、弱い。守りたいものも守れない」

雨脚はまだ強く、風が冷たい。だが、この猫の体温は驚くほど温かかった。

「、、、よかったら、私と来ない?」

「シャー」

短い拒絶。それでも不思議と笑みが漏れた。無理強いはできない。だから一度帰り、急いでタオルを持って戻ってきた。

「これ、使いな」

差し出すと、猫は小さく鳴いた。

「、、君には生きてほしい」

返事はなかった。ただじっと私を見つめていた。

だから私は言った。

「もし、いいなら、、家族になってほしい」

もう一度そっと抱き寄せる。今度は抵抗がなかった。怪我のせいなのか、それとも私を少しは認めてくれたのか。理由はわからない。

ただ、温もりは確かにそこにあった。

「、、帰ろう」

雨が強くなる前に家に連れて帰り、すぐに風呂に入れて汚れを落とした。怪我の手当てもして、食事を用意する。初めは戸惑っていたが、やがて皿に顔を近づけて食べ始めた。その姿を見て、胸の奥がじんと熱くなった。

「お前、目がオッドアイなのね。金と青、、普通とは違う存在」

(、、、同じだな)

その瞳を見つめると、不思議な安心感が広がった。私もこの子も、どこか普通ではない。だからこそ、惹かれ合うのかもしれない。

「名前を決めないとな、、」

ニャー。

「名前は、、、アイビー」

「よろしくね、相棒」

ゴロゴロ、、と喉を鳴らして答える声。黒猫には似つかわしくない、けれどこの子にぴったりの名前だと思った。強い生命力を持つ植物のように、この子もまた生き抜いてきたのだから。

私は首元に、自作の縁結びの紐を結んだ。無数の糸を撚り合わせたその飾りには、「この子に良縁が訪れますように」という願いを込めた。

「、、長生きしろよ」

それは私自身への誓いでもあった。


___


「フェムル様、知ってますか? 黒猫は“あんこ猫”とも呼ばれて、幸福を運ぶそうですよ」

「黒猫が横切ると不幸の前触れじゃないのか」

「確かに、そう言われていますね」

「両方とはややこしいな」

「ふふ。この子は神様みたいですね。不幸も幸福も運ぶんです」

「なるほど、、」

フェムル様は小さく息を吐き、カップを傾けた。その視線の先で、アイビーは常連客の元に向かう。気持ちよさそうに目を細めている。撫でられるたびに、金と青の瞳がきらりと光る。

フェムル様がそっと、撫でようとすると

「シャー!」

と拒絶された。


――この子は幸福も不幸も司る存在。  でも、私にとってはただ一つ。大切な、家族だ。

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