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私はよく呼ばれて幽体離脱する。
今回降り立った所は、現実で通勤時に通るよく知った道の途中に、普段見慣れないピンクのアパートがあって、そこに向かって霧が吸い込まれていく風景だった。
幽体離脱中の霊体の私は、裸足で白いワンピース姿だ。片手に1本だけ刀を持っている。
今回は偶然、着替えが入った黒いショルダーバッグを持っていた。バッグの中には、同じデザインの白いワンピースが1着と貴重品らしきものがあった。
誘われるようにピンクのアパートの中に入ると、玄関のドアがある。
試しに1つ開けてみれば、室内どころか外の風景に続いていた。
雪景色で、寂れた村のような風景があった。民家と民家の間が離れている。
目印になるよう、雪で適当に雪だるまを作ってドアの横に置いた。
雪の冷たさは、霊体でも感じる場合とそうでない場合がある。後者の場合、実は見た目が雪なだけで本質は全く別物だ。
今回は冷たさがあった。どうやら本物の雪だったようだ。
やけに静かな村だ。積もった雪に足跡はない。
私は幽体離脱時だけ速度は遅いが飛べるため、一応浮遊しながら近くの古い民家へと移動した。
その民家に入ると、中に10代後半の若い男女が数名いた。暖炉もあり、外装からはとても想像できない、ログハウスのようなお洒落な内装だった。
来客は珍しかったのか、非常に驚いた顔で「何処から来たの?」「名前は?」など各々に口を開いていた。何故かみんな小声で囁くように喋っている。
咄嗟に「道に迷っただけ」と小声で答えれば、カップルらしき美男美女が私に椅子を譲ってくれた。
軽く世間話をしながら、出されたコーンポタージュのようなものを手に包み暖をとる。
思えば皆長袖で冬の服装の中、私だけノースリーブのワンピース1枚に裸足だ。私にとってはデフォルトな格好だが、周囲からしたらかなり異質だったのだろう。
物珍しそうな視線が居心地悪く感じ、座り直そうとしてカタンと椅子が鳴った。
途端、カップル以外の全員が一瞬で青ざめた。
「音は立てないで!!」
眼鏡をかけた見るからに大人しめな印象の女の子が小声で叱責した。
「音を出したら化け物が来るから絶対にダメ」
よく見ればここにあるものは全て木材だった。マグカップに突っ込んであるスプーンでさえ、木で作られたものだった。
金属でないため、騒音は確かにあまり出ないだろう。
周囲を見渡して、12畳ほどのこの部屋はやけにドアが多いと思った。入ってきたドア以外にあと3つもある。
「化け物はね、目が見えないんだ。音を頼りに寄ってくる。で、音を立てた奴は喰われるんだ」
カップルの美男がそう言うと、彼女らしき美女は鼻で笑った。
「とか言うけど、実際寄ってきたって喰われたことないからね!大丈夫、大丈夫!」
と何を思ったのか部屋に備え付けられていたキッチンから木のフライ返しを持ち出し、勢いよく窓をガンガンと叩いた。
彼氏はそれを見て吹き出しながら「やめろよお前本当に命知らずだなぁ」と茶化し、大人しめの子達は顔面蒼白で慌てて立ち上がって壁際に身を寄せた。
ガタガタと震え上がるその姿に、只事ではないと感じる。
その次の瞬間。ミシ、と真上で木造が軋む音がした。何かが巨大なものが、真上を歩いている。
茶化していた彼氏の顔が少しだけ引き攣った。彼女が「うっそ……上にいたの?」とまだ余裕そうな顔で茶化す。
しかしその他のみんなは手で口元を抑え、叫ぶのを我慢したような様子で壁に張り付いていた。
軋む音は2階からやがて左の階段を伝ってドアの目の前に来たようだった。
ドアの上の部分から、白い毛並みが見えた。
カップル以外はもう失神しそうな顔で、眼鏡の女の子はその場で座り込んで声を押し殺して泣いてしまった。
「入って来たら、各々に逃げろよ」
彼氏がそう小声で指示を出した瞬間、木のドアを蹴破るようにして白い猛獣が唸りながら入ってきた。
片目は赤、片目は金色で四肢の毛並みも良い。鼻をヒクヒクさせて匂いで周囲を探っている様子だった。
私も息を殺して壁に張り付いていたが、白い猛獣は私の目の前を通過する時だけ、ぴたりと足を止めた。
嗅ぎなれない匂いだったのだろう。鼻先が私の腹に触れる手前で、カップルの美女が再度窓を叩いて「こっちだよ化け物!」と叫んで騒音を出した。
グルル、と喉を鳴らした猛獣は美女の方を向き、そのまま突進した。凄まじく動きが速かった。
猛獣の動きが逸れた瞬間、他のみんなはカップルと私を残し、蜘蛛の子を散らすように4つのドアから各々に逃げた。美女は一瞬怯んだようで逃げ遅れた。
バリバリと、骨を砕いて咀嚼する音と断末魔が響いた。
お洒落な内装に血飛沫が飛び散り、肉片が散らばった。
美男が私に手でこっちに来いと合図を出す。美男は猛獣が入ってきた方の開け放たれたドアの所で手招きしていた。少し浮遊して無音で移動し、美女を喰らう猛獣を尻目にそっと部屋から逃げ出した。
「彼女さん助けないの?」
逃げる道中、小声でそう訊ねると、美男は吐き捨てるように「調子に乗るからだろ、俺だって面倒見きれねえよ」と言った。
猛獣が来た方向には手前に階段が続き、それより奥にも廊下があった。窓の外は吹雪いている。
美男はそのまま2階へと上がった。民家と思えない内装で、まるで学校の廊下のようだった。
手前から3番目の部屋へ入ると、中には大勢の人がいた。ほとんど10代後半くらいで、中には幼児も数名いた。
音に気をつけてる雰囲気は一切なく、ザワザワとしていた。
「お前すげえな!生きてたのかよ!」
「ミ〇ウ(?)はどうした?」
「他の奴は?喰われたか?」
などと若い子達特有の大騒ぎを始めた。
「騒音たてても大丈夫なの?」と近くにいた女の子に問えば、その子は入り口に鍵をかけながら「うん、ここ防音なんだ」と笑った。
なんだかここのみんなは肉声で発音できない名前らしい。凄く変わった名前だった気がする。
ふと、1人の男の子が私に興味を示した。
「何か変わった匂いがする」
そう言って人混みを掻き分けて隣に立ったその男の子は、私の手を取った。手の平を眺めながら「……水?」と言った。
その瞬間嫌な予感がして、私は手を振りほどいた。
私が幽体離脱で呼ばれ、狙われる根本的な理由は珍しい霊力のせいらしい。
今回は特に変わった霊力を引っ越し先の土地神に補充してもらった後だったから、他の霊体に狙われてもおかしくない。
土地神の霊力も、私が霊体の時に使える霊力も水に関するものだから、的確に薄ら笑いを浮かべて「水?」と聞かれれば、そりゃ身構える。
男の子の薄ら笑いがなんだか不穏なものだと潜在意識が判断して、思わず後退る。
「なんで逃げるの?待って、話を……」
人混みに紛れるようにして男の子から離れ、奥のドアから外に出た。
現地点は2階だったはずなのに、目の前には雪景色が広がっていた。
背の高いその男の子は、人混みを掻き分けてついてくる。
「待ってってば。キミ何処から来たの?ここの住人じゃないよね。水が使えるの?霊能者……にしてはキミ変わってるね、もしかして人じゃないの?」
海外映画の吹き替えかと思うくらい、しつこく話しかけてくる。私は無言で吹雪の中を滑るように移動した。
浮遊すると人の移動速度よりは速く動ける。
「待ってってば!ちょっと!!」
だんだん距離が開き、男の子は苛立った様子で後半は暴言らしい言葉を混ぜて叫んでいた。
私は幾つか民家を通り過ぎ、大きな寺のような建物に身を隠した。
中は何故か薄暗い服屋のようで、店員は居ないが客らしき人はちらほらと見かけた。
ここは防音ではないようで、静けさが漂っていた。
その時、ふと自分以外に守護が1人もいないことに妙な違和感を覚えて、思わずS兄を呼んだ。
強く念じれば的確に呼び込めるのだが、全然来ない。おかしいなと思った時、浮遊していた足に何かがあたった。
通路の端に、20代くらいの男が1人横たわっていた。立てた膝に爪先が当たってしまったようだ。
「うわ、ごめん、大丈夫……?」と恐る恐る小声をかければ、男が目を覚ます。
少し互いに無言が続き、男は黙って私を凝視している。
「猛獣いるみたいだし、こんな所で寝ていたら危ないんじゃない……?」
何となく男の腕を掴んで起こせば、男は無言のままニタニタと笑った。
なんだか寒気がして、早々と去ろうとすれば、男は自身の荷物を急いでまとめて抱えると、そのまま無言で私を追いかけてきた。
あの美男に比べてかなり草食系男子な印象の男は、ニタニタ笑ったまま両手で荷物を抱えて追ってくる。
結構怖いなと思い、そこではっとした。……私の黒いショルダーバッグがない。曲がり角で男を巻き、私はそのまま来た道を戻る。
S兄を何度か呼んだが、全く応じる気配がない。余計な霊力は使わない方がいいが、あまりにも応答がないため不安になってしまい、霊視でS兄を探る。
S兄はツリーハウスでもどかしそうに頭を抱えているようだった。こっちからの声は届いている様子だったが、何かに遮断されているのか向こうの声は聞こえない。ただ私が居ないのは気付いているようで、他の守護に何か指示を出しているのは視えた。
感知してくれているのだけは分かり、少し安堵した。今のところ、あの猛獣は見かけていない。
建物を迂回しながら最初の地点まで戻り、猛獣に遭遇した建物に戻ってきた。
窓から覗けば、室内は血塗れで惨劇があったのはそのままだった。
音を立てないように半開きのドアからそっとログハウスを覗き込み、私は叫びそうになった。
椅子の下にショルダーバッグはあった。しかし、そこにあの服屋で寝転んでいた男がしゃがみこんでいる。
見るからに、私の荷物を漁っていた。
微かに何かを呟きながら、私の着替えの白いワンピースを引きずり出した。
腕に巻き付けるようにしてニタニタしたまま、男はショルダーバッグを椅子に置いて別のドアから去っていった。
よく分からない液体はそのまま残され、ワンピースだけが盗られていた。意味が分からないし、人の怖さを感じて震え上がっていたその時、グルル、と唸り声を感知した。
更に別のドアを鼻で押し開け、白い猛獣が入ってきた。やはりまだこの付近に居たようだ。
音を立てないよう、そっと浮遊して距離をとる。白い猛獣は鼻をヒクヒクさせて、室内を徘徊した。
猛獣が入ってきた、まだ行っていない方の半開きのドアから外に出れば、再び学校の廊下のような風景が広がっていた。
白い猛獣は匂いで私の方に歩み寄ってくる。どうも、嗅ぎ慣れない匂いがするらしい。
左側には更に下に続く階段があるようで、ショルダーバッグを抱えたまま下の階へ向かった。
呼ばれた先の見慣れない空間は、地理音痴な私にとっては常に迷路だ。現実でホラーゲームが好きな私が唯一苦手とする、マップの暗記。あれだけは全然できない。
階段を下りて右に曲がれば、トイレのマークが見えた。
とりあえず身を隠すために女子トイレに入る。グルル、と唸り声がトイレの前を素通りして行った。
少し安堵してパッと後ろを振り返って、ここに来たことを後悔した。
目を見開いた半裸の女が至近距離で覆い被さってきたのだ。
静かにしないといけない、なんて言葉は何処かへ飛んでいき、私は猛獣のことなど頭から消し去り絶叫した。
女は私と同い年くらいの見た目で、日本語ではない何か別の国の言葉を捲し立て、私のワンピースを剥ぎ取ろうとしてきた。
直感で、殺されるのとは別の危険性を感じ取ってしまい、とっさに腰に引っ掛けていた刀を抜いた。
この刀、抜けば自ら動いて刺さなくても斬撃が飛ぶ。
まあ間違いなく味方ではないと思ったし、いきなり襲ったのは相手の方だ。仕方ない、まあ仕方ない。
壁に臓物をぶちまけて張り付き絶命する女の姿を見て、私は半ばパニックになりながらもトイレの窓から脱出しようと上半身を窓に捩じ込んだ。
グルル、と唸り声が戻ってくるのを感知した。それはそうだろう、斬撃を飛ばした時にそれなりに騒音は轟いだ。無理はない。
急いで出なければ、と思ったその時、ふと守護のひなとあさかの呼ぶ声が聞こえ、ふわっと目の前に糸が垂れていることに気づいた。
チャンスだ、戻れる!
糸を手に巻き付けると、釣り糸のように上に持ち上げられた。
幽体離脱で戻る時は、大体この糸を伝う。
そのままふわりと糸の流れに身を任せて、1度目の幽体離脱は四肢の欠損もなく、ワンピースだけ置き去りになったまま終わり、私は朝を迎えた。