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「…オマエ、消えろよ。」
どこか分からない、真っ暗で不気味なほどに静かな空間。
いつもの優しい声とは違う絹を裂くような低く険しいイザナくんの声が耳を貫いたその瞬間、夢の中へと沈んでいた意識が一気に現実へと引き戻された。
見慣れたシセツの天井と聞き慣れた私以外の孤児と呼ばれる子供たちの明るい声が扉の向こう側から聞こえてくる。指先にちょこんと触れた布団には少しだけ涙が染み込んでいた。
『…ゆ、め…?』
荒い息を無理やり抑え込みながら、頬を伝う汗をシャツの袖で拭う。
妙に現実味を帯びたその夢に冷汗がじっとりと肌と袖に滲み、重苦しい嘔吐感のような気分が体に纏わりついてくる。額から瞼に流れ落ちた汗がいつの間にか溢れ出していた涙と混ざり合って、胃袋を掴み絞られたような息苦しさを感じる。荒れ狂った自身の呼吸をどうにか落ち着かせようと息を吐くたびに、冷や水を浴びせるようなイザナくんの冷たい口調がやけに鮮明に耳元に蘇って肌着がぐっしょりするほど全身に脂汗が吹き出た。いくら落ちつこうと取り繕ってみても喘息の発作のような苦しげな息遣いが一向に収まらない。
たかが夢にどうしてここまで苦しまなければいけないのだろう。
ただでさえ苦しい胸がそんな疑惑に塞がれ、肺が胸壁に張り付いたようにさらに息苦しくなる。心なしか体全体がいつもより熱く感じて、鼻の奥に異物感が植えこまれているような小さな違和感がある。
『ケホッ…』
ゲホゴホと濁った咳が筋肉痛に似た痛みとともに喉を通って、鼻の奥に張り付いている淡い異物感を強めていく。
体がだるい。頭が鈍器で殴られているかのようにズキズキと痛む。
それでも学校へ行かなければという感情が体を動かしていき、自身が眠っていた布団から出た瞬間、水でも浴びせられたような悪寒が足元からぞわりと駆け登ってきて、思わず床へとへたり込んでしまう。自分の体や頭が思うように働かず、ぼーっと霞んだ思考で虚空を見つめていると突然、ドンッというキック音とともにロックもなしに自室の扉が勢いよく開かれた。冷たい空気が肌を這う。
「いつまで寝てんだ、起きろ。」
足で扉を蹴り飛ばす姿で動きを止め、少し苛立ったような表情を顔に滲ませるイザナくんの姿が視界を埋める。部屋着では無く少し着崩した制服を纏っており、彼の耳元で花札のピアスがユラユラと左右に暴れていた。
『…おは、よう』
喉を通った自身の声は紙の破けるようなグシャグシャに掠れた色をしていた。言葉を発するたびに喉が引っ張られるように痛む。
「…なんかオマエ顔赤くね?風邪引いてんじゃねぇの。」
ふとイラつきの収まったイザナくんの声が頭上から降って来る。
『んー…そう…?』
子供のようにたどたどしい声色でそう答えながら、イザナくんのその言葉に納得を感じる。
この熱っぽい気だるさも、ガンガンと頭に響く頭痛も、のどの痛みも、確かに風邪のときの症状とよく当てはまっている気がする。額に手を当てるとほんのりと熱を感じた。
『今日学校やす……』
そこまで言葉を発した瞬間、胃に砂袋を詰めたような嫌な重みを感じる。休み明けに教室へ入った時のクラスメイト達の不満に染まった顔が脳裏に過って、身体に電気がかかったようにビリビリと小刻みに震えはじめた。
「逃げたんだ」だとか「ズル休み」だとか言われ、今までよりもいじめ酷くなるぐらいならいっそのこと無理をしてでも学校へ行った方がまだマシかもしれない。そんな考えが脳を貫いて途切れた言葉の先を綴る。
『……まない。』
喉を通りそうになる咳を必死で飲みこみながら言葉を紡ぐ。
その瞬間、心配の滲んでいたイザナくんの表情が一気に苛立ちの色に塗りつぶされて、声色に氷が砕けるようにゆっくりと怒りの亀裂が走っていく。
「何言ってんだオマエ、休め。」
『やだ。学校行く。』
「休め」
『いやだ!!!』
苦い薬を目の前に出された小さな子供のように抵抗し、枕元に畳んでいた自身の制服へと手を伸ばす。
だがその手が制服へ触れるよりも先に、部屋着の襟を力一杯引っ張られ、一直線に伸ばした腕が宙を切った。
「休めつってんだろ、耳聞こえねぇのか?」
怒号の含まれたイザナくんの低い声と襟元を掴む手の強さに、金縛りにでもあったように全身が硬直する。恐る恐る覗いたイザナくんの眉の辺りには嫌な線を刻んでいた。
『…だって休んだらまたなんか言われる』
「そん時はオレに言えって毎回言ってんだろ」
相変わらずの王を感じさせる威圧感に参っていると、ふと視界が霧かかったようにぼんやりとしてくる。かけられる声が濃い膜を纏っているかのように酷く抑えたように聞こえる。
『あ…れ』
視界が写真機のシャッターがおりるように急に真っ暗になる。
どこか焦ったようなイザナくんの声を聞き届ける前に、私は意識を失った。
続きます→♡1000