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第一話 嵐の夜に出会った君
海の底。
太陽の光も届かない深い深い海の中に、人魚たちが暮らす王国があった。
珊瑚でできた宮殿。
色とりどりの魚たち。
宝石のように輝く海草。
その美しい王国の末姫が、リリアだった。
銀色の長い髪。
透き通るような青い瞳。
海の民から愛される、美しい人魚姫。
だがリリアには、ひとつだけ秘密があった。
それは——人間の世界に憧れていること。
「また来てるのか」
呆れた声に振り返る。
兄のレオンだった。
「お父様に見つかったら怒られるぞ」
「少しくらいいいじゃない」
リリアは海面を見上げながら笑う。
「人間の世界って綺麗なんだもん」
海面の向こう。
そこには人間たちの世界が広がっている。
人魚は十八歳になると一度だけ地上へ行くことを許される。
しかしリリアはまだ十七歳だった。
だからこうして毎日のように海面近くまで来ては、人間の船や街の灯りを眺めていた。
「何がそんなにいいんだか」
レオンは肩をすくめる。
「人間なんて欲深くて危険な生き物だぞ」
「でも優しい人もいるかもしれない」
「いない」
「いるかもしれないじゃない」
兄妹のやり取りに、小さな魚たちがくすくす笑うように泳いでいく。
平和な時間だった。
この時までは。
その日の夜。
海は荒れていた。
黒い雲が空を覆い、雷鳴が轟く。
海王国でも異変が伝えられていた。
「嵐が来る」
「人間の船が危ないかもしれないな」
大人たちが話している。
リリアは胸騒ぎを覚えた。
なぜか落ち着かない。
嫌な予感がする。
気づけば、彼女は海面へ向かって泳ぎ出していた。
「リリア!」
後ろから兄の声が聞こえた気がした。
けれど止まれなかった。
海面へ出る。
激しい風。
叩きつけるような雨。
そして。
巨大な船が嵐に飲み込まれていた。
「そんな……!」
船は大きく傾いている。
人間たちの悲鳴が響く。
波が甲板を飲み込む。
その瞬間だった。
一人の青年が海へ投げ出された。
「!!」
金色の髪。
白い服。
若い男性だった。
青年は荒れ狂う海へ沈んでいく。
「危ない!」
考えるより先に身体が動いていた。
リリアは海の中へ飛び込む。
冷たい海流。
激しい波。
青年は意識を失っていた。
このままでは溺れてしまう。
リリアは必死に彼を抱きかかえた。
思ったより重い。
けれど離すわけにはいかない。
「お願い……死なないで……!」
海流に逆らいながら泳ぐ。
何度も波に飲まれそうになる。
それでも。
必死に岸を目指した。
どれくらい泳いだだろう。
ようやく浜辺へ辿り着いた時には、リリアも息を切らしていた。
青年を砂浜へ寝かせる。
顔色が悪い。
呼吸も弱い。
「お願い……!」
震える手で胸に触れる。
すると。
青年が激しく咳き込んだ。
海水を吐き出す。
「よかった……!」
リリアはその場に座り込んだ。
助かった。
本当に助かった。
その時だった。
青年の瞼がわずかに動く。
目を覚ます。
そう思った瞬間。
遠くから人の声が聞こえた。
「殿下ー!」
誰かが探している。
リリアは慌てた。
人魚の姿を見られるわけにはいかない。
急いで近くの岩陰へ隠れる。
しばらくして。
白い服を着た少女が浜辺へ駆け寄ってきた。
修道院の少女だろうか。
「大丈夫ですか!?」
少女は青年のそばへ駆け寄る。
ちょうどその時。
青年がゆっくり目を開けた。
ぼんやりとした視線。
そして。
最初に映ったのは、目の前の少女だった。
「……君が……助けてくれたのか……?」
少女は驚いた顔をする。
「え……?」
一瞬だけ戸惑った。
だが。
青年はまだ意識が朦朧としている。
少女は迷ったあと、小さく微笑んだ。
「はい」
その返事を聞いた瞬間。
リリアの胸が少しだけ痛んだ。
本当は違う。
助けたのは自分だ。
けれど。
そんなことを言えるはずもない。
人魚は人間の前に姿を見せてはいけない。
それが海の掟だった。
青年は安心したように目を閉じる。
少女は優しく彼を支えた。
リリアは岩陰から静かに見つめていた。
これでいい。
助かったなら、それでいい。
そう思うのに。
なぜだろう。
胸が苦しい。
青年の顔を見た時から、ずっと。
不思議な気持ちだった。
「……変なの」
小さく呟く。
名前も知らない。
話したこともない。
それなのに。
もっと見ていたいと思った。
もっと知りたいと思った。
その時。
風が吹く。
青年の胸元から、小さなペンダントが落ちた。
銀色の紋章。
王家の証。
周囲は誰も気づいていない。
リリアはそっと拾い上げた。
「王子様……?」
少女たちの会話が聞こえる。
そこで初めて知った。
彼は、この国の王子なのだと。
リリアはそのペンダントを胸に抱く。
そして最後にもう一度だけ、青年を見つめた。
雨は少しずつ止み始めていた。
だが。
リリアの恋は、その嵐の夜に静かに始まっていた——。
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コメント
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今夜は嵐の夜の話を読ませてもらって、胸がいっぱいになりました。リリアが助けた王子を目の前にしながら、名乗り出られない切なさ…ペンダントをぎゅっと握るラストに、もう続きが気になって仕方ないです。ヨハクさんの描く恋の始まり方、すごく綺麗でした🌷