「あっぶねぇ……。ホント凄まじいな、絶対零度――死の空間。お前がその気になれば、街全体を凍土で覆う事も容易い――ってか?」
この集落だった地域全域が、雫の力の発生により、生物の生存を許さない極寒の地へとその姿を変えた。
この領域に於ける空間の気温は摂氏マイナス三十度。それはこの場に居るだけで徐々に体力は奪われ、思考も低下し行動も困難な致死温度。
錐斗にとっては益々マイナス要素しかなくなっていくと言うのに、未だに臆せぬその態度。凍土の上で何事もなく立ちはだかっていた。
「――って、いきなり辺りが真っ白になっちゃったぁ!?」
二人を尻目に、突然の事態に驚いた悠莉だったが――
「でも……これって?」
彼女が怪訝に思うのも無理はない。
この凍土の中で悠莉の周りだけが、何か見えない壁で遮られたかのように、氷河ともこの凍てつくような気温さえ、彼女の周りだけは無関係だった。
一体何が起きたのか?
「触っちゃ駄目だお嬢!」
「えっ!?」
怪訝に思って脚を踏み出そうと、手を伸ばそうとした矢先にジュウベエに止められた。
「これはマイナス電磁波による“結界”みたいなもんだ……。人体にも影響があるから、むやみに触らない方がいい」
「それって……どう言う?」
悠莉にはその意味がいまいち理解出来ない。この力が幸人の力である事は分かってはいても。
「此処に居る限り、オレ達はアイツらに手出しも出来ないし、逆に此処に居る限りオレ達に危害が及ぶ事は無いけどね……」
即ち――手出し無用。そして闘いの余波が彼女達に及ばない、“安全地帯”で在る事を意味していた。
「そんな……幸人お兄ちゃん……」
最早彼女には幸人――雫を止める手立ては無い。
嫌な予感は拭えなかった。
「幸人……」
“それにしても幸人が『エクスゼロ・キューショナーモード(極零執行官形態』に移行するとは……。本気で勝弘を殺すつもりか!?”
ジュウベエの不安は的中した。これこそ闘いに於ける、雫の本気の証だったからだ。
時雨の時とは勝手が違う、本気の意向の顕れ。
それは勝弘、錐斗が窮鼠猫を噛む――否、親友だからこその本気なのか。
その気持ちが理解出来たジュウベエだからこそ、雫の後ろ姿は悲壮な姿にしか見えなかった。
「最期に……何か言い残す事はあるか?」
右手を突き出し問う雫。その掌は蒼白く輝き、それは身体全体にまで覆うように発光していた。
近付いただけで凍滅しかねない程の超常現象。
「そうだな……」
錐斗のそれは覚悟か。まさか只で殺されるのを待つ訳でもあるまいが。
「お前……不思議に思わなかったか? 俺如きに何故、第一位があっさり殺られたのかを」
錐斗の言い残した事――その言葉の意味に、雫の無だった表情が僅かに揺れる。
「不意打ちで何とかなるレベルでもないよな?」
確かにそれは不思議だった。
臨界突破レベル170超の者が、不意打ちでもA級クラスの者に敗れる等、まず“有り得ない”。
錐斗の力はやはりA級止まりである事は、数値が証明している。
偽装はおろか、別の異能が有り得る筈もない。
「そんな事はどうだっていい。すぐに……終わる」
だが雫は意に介さない。己の力を錐斗に向ければ、一瞬で全てが終わる。
絶対的な死の前では、全ての疑問も含めて灰塵と帰す。
「オイオイ……何既に勝った気でいるんだか。俺がこの四年間、何もしていなかったとでも思ってんのか?」
この四年の間に、何があったかは知らない――が、それでもどう見積っても錐斗に雫を上回れる要素は無い。
「見せてやるよ……俺の“新たな力”を」
“新たな力? デモンズ・アームとは違う別の異能か!?”
だがそれは絶対に有り得ない。
しかし錐斗の背後から感じる、得も知れぬ予感は一体――
“何だあの邪悪な――っ!!”
それは突然の事だった。雫が思考を張り巡らせる、ほんの一瞬の間――錐斗の禍々しい右腕が光り輝いていたのは。
「こっ――これは!?」
それは邪悪なまでに神々しい輝き。その光が放つこの世の物とは思えぬ輝きに、雫の動きも固まると同時に――“かつてない危機感”、自身に最大警報が鳴り響いていた。
その光景を目の当たりにし、雫は大きな思い違いをしていた事に気付く。
今、眼前に居るのは、かつてをよく知る盟友ではなく、全くの別次元の存在ではないか? ――と。
そして収縮していく輝きと共に、錐斗の姿が以前とは変貌を遂げていた。
それは異様な形態だった。
「待たせたな幸人」
錐斗のデモンズ・アームである黒き形状から一転、その右腕は黄金に輝いていた――否、それは腕と云ったしがらみを越えて、物質と形容するには事足りぬ。
それは現世とは異なる別次元の“反陽子物体”――決まった形を持たぬ物。その腕はまるで恒星の如く煌めき、妖しく揺らめいていた。
「なっ……」
「そんな……何……あれ?」
雫も――そして悠莉もその異様な光景に、戸惑い立ち竦むしかない。
それともう一つ、その右腕以上に目を見張ったのが、錐斗の背面から天に昇るように拡がる――
“翼……羽?”
金色に輝く十二枚の翼だった。
天使――そう形容するには、だが余りに邪悪な輝き。少なくとも“正義”とはかけ離れた――
「宵の明星……そう称されたそうだ」
錐斗は己の右腕の感触でも確かめるように、誰にともなく呟く。
「馬鹿なっ! 何だその力は!? それに二つの異なる異能を持つ等――」
それは絶対に有り得ない事。だからこそ雫は錐斗の、これ迄に無い力の発現に取り乱しているのだ。
それは雫としては、ジュウベエすらも記憶に無い程の。
「ん? 勘違いするな。これはデモンズ・アームそのものだよ」
つまりは同一異能である事を言っているが、デモンズ・アームにこの様な力は無い筈と、あらゆる異能の情報に精通している雫でさえ、この力は見た事も聞いた事もなかった。
戸惑いを隠せない雫に対し――
「これこそが後天性が先天性に在る、その絶対的彼我の差を埋める唯一の方法――」
錐斗の右腕が――そして翼が一段と光り輝く。その熱量は凍土に覆われたこの全域までも侵食、融解してしまいかねない程の。
「嘘……でしょ?」
ふと、何気無くサーモの液晶に視線を落とした悠莉が、青ざめながら驚愕の声を洩らす。
「どうしたお嬢!?」
「あの人も……臨界突破レベル200を超えちゃってる」
「なっ――何だとぉ!?」
それ処か表示されたその数値は、雫のそれすらも超えていた事に、悠莉の声はそれ以上出る事なく詰まる。詰まるしかない。
「デモンズ・アームに於ける、その“昇華異能”――『ルシファーズ・アーム(魔皇の腕)』」
誰もが固まるしかない中、錐斗は声高らかにその恐るべき力の意味を誇示していた。
“宵の明星”
――またを明けの明星。明け方、東の空に見える金星の事。
「昇華異能だと!? そんな異能、聞いた事もっ――」
「そりゃそうだろう。これはあの人から特別に施術された力。誰にでも施せる程――易い代物じゃねぇ!」
――かつて神に最も信頼され、その玉座の右に座る事を赦された大天使ルシファー。その眩いばかりの輝きを放つ十二枚の翼を持つその姿は――“輝ける明けの明星”とも謳われた。
「ジュウベエ……ルシファーって、まさかあのっ!?」
「あぁ……。地獄を統べる悪魔の王、その力の具現って事は――やべぇ!!」
だがルシファーはその傲慢さゆえに、神に取って代わろうと反逆。堕天しサタンとなった。
“ルシファーズ・アーム ~魔皇の腕”
後天性異能――デモンズ・アームが昇華した、その真の力。
昇華とは元在る物が進化した形。だが異能に於けるその詳しいメカニズムは――未だ解明していない。
「――それより幸人よ。何時までも戸惑ってないで、さっさと臨戦態勢に戻りな。そろそろいくぞ? “今から”お前を攻撃しようと思うんだが?」
「――あぁ!?」
錐斗は身体を斜に構え、その右腕を弓矢のように引きながら、攻撃の意向を示していた。
狙うは右手刺突による、雫への上半身部位に定めている事が構えから明らかだ。
だが余りに馬鹿正直過ぎる。今から狙うと宣言した以上、避けるのも対応するのも容易と云える。
「じゃあ……いくぞ!」
しかもわざわざ攻撃への“合図”まで発してだ。
錐斗は低く構えた重心から、右の蹴り足で大地を蹴り、雫へと向けて一直線に輝ける右掌を突き出しながら突進――。
一瞬戸惑ったとはいえ、本来冷静な雫に油断は無い。その対応は容易――の筈。
「――っな!!」
だがルシファーズ・アームに於ける能力は、デモンズ・アームの時とは一線を画する。
人間の数千倍もの知覚領域に身体能力。そして音速を軽く超える速度と、地殻変動を起こす事も容易な破壊力をその右腕から得る事を可能とし、今の錐斗は特異点である先天性異能者に――勝るとも劣らない。
「きゃあぁぁぁ!!」
「ゆっ――幸人ぉぉぉ!!」
その目を疑うような結末に、二人の驚愕の叫びが深淵の夜空に響き渡っていた。
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