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「そうかい、そうかい。そりゃー、なんだか、踏んだり蹴ったりだなぁー、月子ちゃんよぉ」
蕎麦処亀屋で、座席に座る月子の前に、寅吉が、とんっと、茶を置いた。
二代目に連れられて、岩崎の家を飛び出した月子達は、亀屋に来ていた。
開店前の早朝だというのに、寅吉は、なにか手慣れた感じで、皆を迎えいれている。
「おう!月子ちゃん、ひとまず、茶でも飲んで落ち着きな!遠慮はいらねぇよ!うちは、神田旭町の、駆け込み寺だからなっ!」
寅吉は、ガハガハ笑った。
どうも、何事かあれば、大通りへ向かう途中にある、間口の狭い、実に小さな店へ、皆が集まって来るようだった。
「はい、お咲ちゃんは、オムレツお食たべ?朝ごはん、まだだろ?」
寅吉の妻である、亀屋の女将、お龍《たき》が、人懐っこそうな笑みを浮かべて、ふわふわのオムレツを、お咲に差し出した。
「そういえば、月子ちゃん、実家が、大変じゃないか?!」
お龍が、身を乗り出すかのように、月子へ言う。
「あっ!昨夜の火事なっ!」
「そうだよ、日本橋の西条家だろ?」
寅吉夫婦の会話に、二代目が、それそれと、ふっきらぼうに答えた。
どうやら、西条家の火事のことは、既に、町内、周辺の町に知れ渡っているようだった。
「ああ、そんな大変な時に……、京さんも、まったく……」
お咲に匙を渡しながら、お龍が、しかめっ面を見せる。
「まあねぇ、男ってもんは、そーゆー、生き物なんだけど、でもさぁ、そりゃ、ちょっと、話が違うよ」
二代目から、事情を聞いているお龍は、ちらりと、寅吉を見つつ、言った。
「え?!かかあよ!な、なんでぇ、その、ちらって、やつわっ!!」
慌てふためく寅吉を、二代目が諭すかのように、
「まあ、寅さん。焦りなさんな。月子ちゃんをどうするか、が、先だろ……」
ポソリと呟く。
深刻な顔つきの二代目に、今一つわからねぇと、慌てふためく、寅吉に、相手などする気がないのか、お龍が、月子の向かいに座った。
「月子ちゃん、まあ、落ち着きなさいな。オムレツ食べるかい?と、言いたいけど、それどころじゃないだろ?まあ、茶でも飲みなさいな」
割烹着姿の、人の良さそうな下町のおかみさん風のお龍は、少し、遠慮ぎみに笑っている。
「しかし、困ったもんだねぇ。でもさ、月子ちゃん、京さんのは、浮気、ってのとは違うと思うし、おっ、あの女、別嬪だねぇ、とか、鼻の下伸ばすあれ、みたいなもんだと、あたしゃー思うんだよ。とはいえ、月子ちゃんは、まだ、若いから……がまんならないだろうけど……」
ふう、と、ため息をつきながら、お龍は、眉尻を下げる。
「女将!それとは、ちょいと、違うんじゃねぇかい!!」
二代目が、牙をむいた。
「あのねぇ、二代目。そう、かっか、しなさんな!誰でも、そう、あんただって、忘れられない女の一人や、二人、あー、あの娘《こ》は、良かっただの、何してんだろう?なーんて、思い出す事あるだろう?!」
「いやいや、それとこれとは、違うって!!」
お龍の言い分に、二代目は、さらに食らいつく。
そんな、やり取りを、月子は、俯いて、聞いているだけだった。
「それにさっ、寝ぼけてても、京さんは、月子ちゃんだって、わかってたと思うよ。ただの、言い間違え……だとあたしゃー、思うけどさぁ」
「言い間違えすぎるし、言い間違えで!言い間違えで!あんなことするかっ?!」
肩を怒らせる、二代目に、寅吉が、まだ、ぽかんとしたまま、
「あんなことも、そんなことも、もう、月子ちゃん達は、暮らしてんだし、二代目、そろそろ、手を引いて、そっとしといてやりなよ?なんで、あんたが、とやかく、口を挟むのさ?」
あーあー、と、寅吉は、面倒くさそうに、二代目へ言った。
「……大家だし、ほっとけないだろー!」
どこか、拗ねた口ぶりで、二代目は言う。
見かねたかのように、お龍が、やれやれと、首をふりつつ、二代目へ意見する。
「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然……って、やつかい?でもさぁ、もう、それも、必要ないんじゃないのかい?何かあれば、月子ちゃんが、うちなり、二代目のとこなり、飛び込んで来るだろうし……京さんだって……」
そこまで言うと、お龍は、ふふっと意味深に笑う。
「おいでなすったよ」
へっ?!と、寅吉は、さらに、ぽかんとし、二代目は、慌てて、店の入り口を見る。
ガラガラと入り口ガラス戸があいて、大きな声がした。
「つ、月子!!い、いたかっ!!こ、これ、これを、どうすれば!!」
何故か、ザルを持った岩崎が、寝巻き姿のまま、店に飛び込んで来た。