徳田社長にそこまで言わせた柿崎常務が内藤社長の仲間であることが、正直ショックだった。同時に、徳田社長はそれを知っているのではないかとも思った。
「会長のご意見は?」と、慎治おじさんが聞いた。
父さんは眉間に皺を寄せて、黙っている。
「ご子息の進退に関わる問題です。ご自身の責任問題にもなり兼ねませんから、会長にご意見を伺うのは酷ではありませんか?」と、内藤社長が言った。
彼の高笑いが聞こえるようだ。
腹が立つ!
「僕からよろしいでしょうか?」
俺は思わず立ち上がった。
「内藤社長のご指摘の通り、事情はどうであれ和泉社長と充副社長は失態を犯しました。必要とあらば処罰も検討するべきかもしれません。ですが、フィナンシャルの社運の懸かったプロジェクトが進行中ですし、先日まで我が社が良からぬ意味で注目されていた現実からしても、川原たちを警察に引き渡すことで生じる世間の風当たりを考えても、いったんはグループが安泰であることをアピールする必要があるかと考えます。株主総会でも、グループ全体に対する不安のお声が多く聞かれましたし、一先ず内藤社長ご勇退までの三か月間を、後継者問題の猶予期間としませんか」
取締役一同を前に、俺は精いっぱいの虚勢で胸を張った。
『蒼はT&Nを欲しいと思わないの?』
二か月前の取締役会前、咲に言われた言葉がよみがえる。
あの時は、咲に見合う男になりたいと、咲の求める答えを出さなければと思った。けれど、今は俺自身の意思で、この会社を守りたいと思うし、そのために必要ならば兄さんたちと争う覚悟もある。
和泉兄さんに乗せられてホールディングスの庶務課課長となってから半年弱、兄さんたちには散々振り回された。咲にも。今も振り回されているのかもしれない。
それでも、俺にも野心もプライドもある。
「蒼さんのお考えに賛同します」と、徳田社長が右手を挙げた。
「処罰はいつでも出来ます。今しばらく和泉社長と充副社長に挽回の機会を設けてもよろしいでしょう」
「私も賛同いたします」と慎治おじさんも手を挙げた。
「当面、グループの信用回復に努めるのが賢明かと」
取締役たちが次々と頷き、賛同の意を表したが、内藤社長は納得のいかない様子だった。
俺は真さんに目配せをした。真さんは、俺が事前に渡しておいたメモ紙を、そっと内藤社長に手渡す。
「内藤社長、取締役の交代となれば顧問弁護士への相談も必要ですし、我が社では大株主の承諾も不可欠と決められています。内藤社長のご勇退に伴う取締役選出時には諸々の結論を出すということで、ご納得いただけませんか」
メモ紙を見た内藤社長は一瞬悔しそうに顔を歪ませて俺を睨みつけたが、すぐに目を逸らした。
『麗花さんは僕に色々なことを教えてくださいました』
咲から学んだ手法だ。
保険にと用意しておいたが、使いたくはなかった。けれど、これ以上の水掛け論は無意味だし、俺の虚勢がいつまで耐えられるか自信もなかった。
「わかりました。では、この議題については三か月後に改めましょう」
内藤社長の一声で、取締役会は閉会した。
*****
「立派になったなぁ、蒼」
取締役会の後、俺は徳田社長に昼飯に誘われて、社長行きつけの定食屋に来た。夜は居酒屋をしている店で、個室があった。
「何言ってるんですか。半年前じゃたいして変わりませんよ」
社長のお勧めの料理がずらりと並ぶ。俺はとんかつを一切れ皿に取った。
「変わったよ。雰囲気も表情も」と言って、社長はほっけの開きを解して、大根おろしと一緒に口に入れた。
「女か?」
「ええ、まあ……」
徳田社長に隠す必要はないと思い、俺は冷やかされるのを覚悟で正直に言った。けれど、社長の反応は俺の予想とは違った。
「いい女なんだな」
社長は穏やかに、ホッとしたように言った。
「そりゃあ、もう。美人な上に恐ろしくキレ者で……」
「お? お前が素直にのろけるとは思わなかったな」
「そうですか? 実際いい女なんで……」
間違っても『たいしたことない』なんて言えるわけがない。
「へぇ? 城井坂のお嬢様との婚約騒動に動じない女か?」
「もちろんですよ」
てか、むしろ婚約者になっとくように言った女だけど。
「今のお前の立場も理解してくれてるのか?」
「はい」
「そうか……」と言って、徳田社長は箸を進めた。
しばらく食事をしながら他愛のない話をして、腹も満足したところで切り出した。
「社長。取締役会での内藤社長の発言……どう思いましたか」
「ああ……」と言って、徳田社長はティッシュで口を拭いた。
「内藤社長の噂は聞いている。城井坂マネジメントとの業務提携と姻戚関係を結ぶことで何か企んでいることも。お前がしばらく噂を放置していたのは、それを知っていてのことか?」
「はい。内藤社長と城井坂社長の動きを探りたくて……。二人は今回の騒動を利用してT&Nの乗っ取りを計画していたようです」
「大人しく隠居すればいいものを……」と、徳田社長は呆れ顔でため息をついた。
「あの様子だと、自分の後釜の取締役を用意して、自分の影響力を社に残すつもりだろうな」
後釜……。
宮内か……?
「蒼、お前はどうするつもりだ?」
「え?」
「内藤社長が味方を増やして和泉社長と充副社長を失脚させるつもりとして、お前自身は後継者問題をどう考えている?」
「正直、今回の騒動が起こるまでは、父の跡を継ぐのは和泉兄さんだと思っていました。俺は本社でそれなりの役職について、経営を学んだら開発に戻りたいと思ってた」
俺は、初めて胸の内を言葉にした。
「なんだ。お前が狙っていたのは俺の後釜か?」
「あわよくば……」と言って、俺は笑った。
「よく言うぜ。三男とはいえ会長の息子だ。言葉にすればいいだけだ」
「名ばかりの社長なんて面白くないですよ。それに、俺は開発での仕事が好きなんです。なるならあなたのように現場主義を貫きたい」
本当は真っ先に咲に言うべきことなのかもしれない。
けれど、ここから先は俺自身の問題だ。
「徳田社長、俺が会長の後継者に名乗りを挙げたら、後見人になっていただけますか」
「ほう……? 長男と次男を差し置いて、三男がトップを狙うか?」と、徳田社長は俺を試すような言い方をした。
「取締役会で内藤社長が言ったことは、あながち間違いではない。兄たちは優秀だが、今回の事件の対処法を間違った。俺は結果オーライなら何をしてもいいとは思えません。それに、本当に次期会長になるかは別としても、俺が名乗りを挙げることで内藤社長への牽制にはなります」
「なるほどな……」と言って、徳田社長は湯飲みに口をつけた。
「兄たちには人望も実績もありますが、俺にはない」
「それで、俺を後見人に……か? だが、俺を買い被り過ぎじゃないか? 俺は築島の人間じゃない上に、叩き上げで取締役会でははみ出し者だ。俺を味方につけてもたいしてメリットはないぞ?」
「ご謙遜を……。開発の黒字高はグループトップだ。それだけでも一目置かれています。長年、営業成績が芳しくない建設が赤字を出さずに持ち堪えているのは、開発との共同事業のお陰ですから、あなたが後見人になってくだされば、建設も味方につけたも同然だ」
「言うじゃないか。だが、取締役会の半数が築島一族で占めている現状で、外部の開発と建設を味方につけるのは、お前にはリスクが高くないか?」
開発と建設は傾きかけた企業をT&Nの傘下に吸収し、重役も社員も継続雇用としたため、グループ内でも『色』が違う。だから、会長の息子である俺が開発で働くことを良しとしない声が聞こえ、俺は長らく取締役会には出席していなかったし、現場でも裏方に徹してきた。
「内藤社長も仰っていたでしょう? 『今の時代に世襲制が似つかわしくない』って……」
「わっるい顔しやがって」
徳田社長がニヤッと、まさに『悪い顔』で笑みを浮かべた。
「いいだろう。お前の野望に乗ってやる。ただし、俺から条件が二つある」
「何でしょう?」
「まず、次の取締役会まで、お前は俺の補佐として開発に来い。俺のそばで経営を学び、人脈を広げろ」
和泉兄さんが復職した今、俺がフィナンシャルに留まる理由はない。
「わかりました」
「次に、俺のそばにいる三か月間は開発の寮で生活をする」
「寮……?」
「そうだ。社長にしろ会長にしろ、社員の人生を背負うんだ。一緒に生活して、自分の目指すものを見極めろ。間違っても女を連れ込むなよ」
寮生活か……。
三か月間、咲には会えそうにないな。
そんなことを考えながらも、俺の返事は決まっていた。
「わかりました」
三か月間も咲と離れることになるのに、迷いなく承諾した自分に少し驚いた。
寂しくないわけじゃない。
けれど、不思議と不安はなかった。
「交渉成立だ」
徳田社長が意地悪そうな笑顔で言った。
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