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翌朝。
ハレルは夜明け前から自室で目を覚ましていた。
窓の外の空はまだ青く、眠気よりも不安の方が勝っている。
セラと見た“記録”――リオが犯人ではない証拠。
あの瞬間から、現実の方がかすれて見えた。
制服の胸元で、ネックレスがかすかに冷たい。
――取り調べの時、警備官が見せた“焦げた銀のネックレス”。
リオのものだと告げられたあの記憶が、胸の奥で痛んだ。
(本当に……あれは、リオの物だったのか?)
答えのないまま、家を出る。
朝の通学路。通勤の人々の靴音。
どこか現実の輪郭が薄い。
「雲賀ハレル、だな?」
低い声に足を止めた。
振り返ると、茶色のコートを羽織った男が街灯の下に立っていた。
くたびれたレコーダーを片手に、目だけが妙に鋭い。
――校門の前で見た、あの記者。
「前に学校の前で会ったよな? 覚えてるか。あの時、何かを見てたろ。」
「……あなたは?」
「木崎透。フリーの記者だ。柏木の死を追ってる。」
名刺を差し出す手が、わずかに震えていた。
「お前の顔、忘れなかった。あの時の目、父親そっくりでな。」
ハレルの心臓が跳ねる。
「父を……知っているんですか?」
「知ってるとも。だが“仲が良かった”わけじゃない。」
木崎は苦笑した。
「同じネタを追ってた。真実を掘るってのは、誰かの足を踏むことになる。
あいつは真っ直ぐすぎた。だから、潰された。」
ハレルの喉が締まる。
「……潰された?」
「言葉のあやだよ。」
木崎は煙草に火をつけた。
紫の煙が、朝の冷たい空気に溶けていく。
「忠告しておく。君の父の足跡を辿るな。あいつと同じ目をしてる。」
その言葉だけ残し、木崎は背を向けた。 ハレルの心に、不吉な影が落ちる。
(父と、この事件……やっぱり繋がってる。)
その確信を胸に、校門をくぐった。
昇降口の光、すれ違う生徒の声。
だが世界が、どこか遠くにあるように感じた。
教室のドアを開けると――
そこに、一ノ瀬涼がいた。
心臓が強く打つ。
まるで失われた人間がそこに立っているかのように。
あの異世界で、彼は“リオ”として追われ、 大臣殺害の濡れ衣を着せられた。
もう二度と会えないと思っていた。
「……涼。」
声が震える。
涼がゆっくりと顔を上げた。
あの灰色の瞳が、まっすぐハレルを捉える。
その中に宿るものは――警戒でも、敵意でもなかった。
「……雲賀。」
その一言に、言葉が詰まる。
(話したいことが山ほどある。真犯人のこと、あのネックレスのこと、
なぜ現実に戻れたのか……けれど、どう切り出せばいい?)
ハレルの中で、質問が渦を巻く。
「……元気だったか」
やっと出た言葉がそれだけだった。
涼はわずかに笑う。「まあな。」
その笑みがあまりにも普通で、かえって胸が痛んだ。
あの焦げ跡の残る部屋、血のにおい、 そして取り調べ室の“焦げた銀のネックレス”。
すべてが脳裏をよぎる。
「なあ、雲賀。」
涼の声が静かに落ちた。
「お前、最近……夢を見るだろ。」
「夢……?」 「“あっち”の世界の夢だ。」
空気が止まった。
ハレルは唇を噛む。
「……見た。いや、夢じゃない。
俺は確かに――あっちでお前を見た。」
涼の瞳が細まる。
「やっぱりな。あの日以来、境界が曖昧になってる。」
「境界……?」
「俺たち、向こうと繋がったままなんだよ。」
蛍光灯が一瞬、チカリと明滅した。
その光の隙間に、一瞬だけ“ノイズ”が走る。
机の上のペンが微かに揺れ、
空気が波打った。
誰も気づかない。
だがハレルにはわかる。――“観測の波”が、この現実にも侵入している。
涼が小さく呟いた。
「この世界が……壊れ始めてる。」
ハレルの喉が鳴る。
セラの声が、記憶の奥で響いた。
――“記録が改竄されれば、現実も歪む。”
「リオ……いや、涼。お前、何を見たんだ。
あの現場で……誰が、大臣を――柏木先生を……?」
聞きたいのに、声が震えて出ない。
涼はわずかに目を伏せ、静かに言った。
「いずれ分かる。けど今は――見ない方がいい。」
その言葉の重さに、ハレルの胸が軋んだ。
光の中で、ネックレスがまた微かに光る。
(真実は、すぐそこにある。
けれど――まだ触れられない。)