90層の回廊の途中にあるセーブエリアと呼ばれる安全地帯。巨石の上に腰掛けた瑞野は配信者である事を思い出して、早速隣に座る雨に質問していた。
「下層で出現するモンスターの種類はどれくらいなんですか?」
「一概には断言出来ないねませんね。上域はクラウンディアー、中域は一気に増えてドルグ、アスタリスク、マールキー、コロノリ。言わばなまずと鷹、ダンゴムシにヘビです」
「今中域に居るわけですけど」
「もれなく巨大化して,厄介な特性を持ってます」
アスタリスクと呼ばれる鷹は、別名『青の鳥』。消えない蒼炎を纏って攻撃してくる。少しでも触れれば灰すら残らない。
マールキーは巨大ダンゴムシ。なかなか固い外骨格に加えて、普通のダンゴムシなら弱点であるはずの腹が、背中よりも硬いという何とも詐欺なやつ。
コロノリはみんなが思い浮かべる大蛇。だけど、隠密が上手い。音も魔力も感じさせずに擬態して獲物に近づくと、一口で丸呑みにされる。
私の説明を聞いていく度に、顔が引き攣っていく優さんの顔は滑稽で面白かった。ニヤニヤと口に手を当てて笑ってしまった。そして流れは決まっており私が避難される。
「雨さん意地悪です」
「それは失礼しました。けど、千紗さんも分かりやす過ぎるのはどうかと思いますが?」
「今回は雨さんが主導だっただけでいつもはしっかりしてます」
『何このちょっと甘い雰囲気』
『押しの小野崎さん、受けの千紗ちゃん』
『不思議とガチ恋勢が湧かない千紗ちゃんは寧ろ尊敬する人みたいなポジションだから』
『同接が30万人超えたみたい』
『需要に対して供給が間に合ってないんだろ』
『まぁ、下層の配信なんてここだけだろうし』
『千紗ちゃんの探究心にブレーキを掛けた小野崎さん』
『そういった観点からは、小野崎さんて良くない?見た感じ職務に忠実、人徳もあり、おじいちゃんみたいな雰囲気だけど悪戯心もある』
『おじいちゃん笑』
『小野崎のおじいちゃん笑』
『ちょっとやめて草笑っちゃう』
「何か雨さん、おじいちゃんって呼ばれてますよ」
「またそれですか?この前妹にも早熟って言われたばかりなんですけど」
「感情と理性の絶妙な配分が年季を感じさせるんでしょ。いつも余裕たっぷりで実感の籠った言葉を出すし」
『おいお前ら、新情報だぞ』
『まさかの個人的お付き合いあり?』
『いや、それもだけど小野崎さん妹いたの?』
『びっくり情報のオンパレード笑』
球体の画面にずいと顔を寄せた雨と瑞野は特にそれを気にしていなかった。
「雨さんくっついてます」
「画面見ようとしたらそうならざるを得ないので我慢してください」
「…それにしてもバレましたね」
「スルーですか、いいですけど。まぁ多分友人だということはすぐにバレると思ってましたが」
「…友人ですか」
「不満?」
「いいえ!」
『甘い!糖分が多過ぎる』
『安心しろ、俺は血を吐いた』
『良かったですね、私は心臓発作でしたよ』
ネット自体そこまで興味ない私にとっては、それはとてもではないが意味不明な会話に思えた。
「糖分が多いってどういうことですか千紗さん?千紗さん?」
「いえ、何でもないです」
「大丈夫ですか?今そんなに照れますか?」
「視聴者の皆さん。変な事を雨さんに教えないでくださいよ。雨さん良いですか、この人たちの言葉は九割が冗談と茶化しと、要らぬ嘘だと思ってください」
「ええまぁ、そんな感じはしますけど。千紗さん、視聴者さんを信用してませんね」
『そうだそうだ』
『俺たちそんな風に思われてたのか笑』
『事実だから何も言えない』
『この絶妙な雰囲気を壊した奴死刑ね』
『お、ついに過激派が生まれたか』
『まぁ,このジワジワくる感じはねえ。長く見てたいんですよ』
「そんなに需要あるのですか私達の掛け合い」
「本当にいつか呪ってやりたい憎らしさですね」
「呪う時の道具は私が作りますね、素材持ち込みで。安くしときますよ」
「ええ、お願いします。その時はとびっきり品質の高いものを用意しますね」
『やば、怒らせ過ぎた。みんな逃げろ』
『完全に昭和の悪ガキで草』
『おもちゃにされたらそりゃ呪いたくもなるでしょ』
不気味な笑みを浮かべる優さんを横目に、私は桐箱を閉じて一息ついていた。ブウウウン、休憩は終わってしまった様だ。雨は菩薩の様な顔でおもむろにスマホを取り出すと通話ボタンを押した。
「はいこちら小野崎」
「こちら天原」
「私は休憩中に必ず邪魔が入る呪いでもかかってるのですかね。何で人が一息ついて気を落ち着かせようとする時に限って狙った様に電話がかかってくるのやら」
「…申し訳ない。配信は見てるぞ」
「謝罪と報い。何度目の問いでしょうか」
「ブレイクだ。それも下層中域のモンスターが現界した」
「無視ですか…毎回言ってる通り絶対にソロのハイランナーが来るんですから私が行く必要は?」
『なんか速報きた。ブレイクだって』
『只今小野崎さんもそれで口論中みたい』
『警備員に特殊部隊活動させるのはダンジョン庁だけだよ』
『いやいや待てよ、パートでしょ!』
『忘れたのか、ダンジョン庁の超法規的措置』
『何でもありだからなあそこ』
「はあ!連れて行け?遂に労基だけじゃ飽き足らず殺人罪まで犯す様になりましたか厚労省とダンジョン庁は」
「大きな声で言わないでくれ、俺も聞いた時は信じられなかった」
「それでも行けって言ってる所が、もう既に犬ですね天原さん」
返答も聞く事なく乱暴に電話を切った雨はカメラを正眼した。
「これからブレイクの対処に向かわなければ無くなったため、これにて『待って!』…なに千紗さん?今一刻を争ってるのだけど」
鋭く瑞野を睨みつけた雨に、怯む事なくトレードマークの大きな三つ編みを揺らした瑞野はすうっと息を吸い込んだ。
「雨さん、私も連れてって」
「ダメです」
「どうして『海に勝てる人間はいないということです』また意味の分からないことを言って」
すると瑞野は雨の腰に抱きついて力一杯に抱きしめた。これから行動しようとしていた雨は、避けることもできたがそこまでして粘る理由が気になって避ける判断が遅れた。
「そろそろ行かないとまずいのですけど!」
「じゃあ私も連れて行けばいいじゃないですか」
「千紗さんの安全を確保できる保証はないんです。ああ、くそ!門を使うので少しの浮遊感は我慢してくださいね」
世界が白くフラッシュしたかと思うと、街中の上空に投げ出された瑞野は状況を理解できずに雨の顔を見上げた。耳を轟かせる風と小さな水滴が頬を打っていく中で、雨は冷静に桐箱を開けて足場用の針を取り出した。
足場が盤石になってくると徐々に落下速度は落ちてきて、空中で静止した。
「千紗さんその惚けた格好を直してください。直ぐにでも針を使うのでカメラと一緒に私にくっついてください」
「は、はい!」
針の足場という今後体験することはないだろう経験に、まじかでのブレイク掃討の話題性も相まった事で同時接続数は増加し続けていた。
「…開始…終了」
「早!今何したんですか下真っ赤ですよ」
爆発を解禁した雨の針は的確に対象を貫き連続で小爆発を起こした。その光景は小さな小太陽が生まれては消えていくような異様な景色であり、瑞野は実況すら忘れて見入っていた。
人体に害が無いように爆破範囲は調節してるから大丈夫だけど、今回もソロハイランナー来てないし、私が始末する羽目になった。なんかあっちも私が来るって思ってる?だとしたら結構危機なんだけど。あ、下域モンスターじゃないあれ?
「千紗さんそこから動かないでください、特大の一発使いますから」
返答など聞かない、そんな余裕もない。針の集合体、巨大な球体を瞬時に構築し入り口に向かって発射した。これで入り口が壊れて永久封鎖になっても知るか!。球体は出てこようとしていた黒い人型の腕を押しつぶし、緋色の眩い泉光があたり一帯を覆い、次の瞬間、耳をつんざく爆発音と暴風がまき散らされた。
ゴオオオオオン!
砂ぼこりが晴れるとダンジョン入り口は完全に消滅しており、そこを起点にドーム状に地面をえぐっていた。巻き込まれた探索者はいなかったようで皆軽傷であった。雨は入り口がなくなっていることに安堵してすぐさまポケットからスマホを取り出した。
「こちら天原」
「はいこちら小野崎、さっき入り口から何が出てこようとしてたか確認できましたか?」
「ああ、中継を見ていた奴全員の背筋が凍ったよ。まさか下域のモーセが出てくるなんて青天霹靂だったぞ、あんなに現場を急いでたのはそれが原因か?」
「単なる勘です。今回のブレイク、対処が遅れれば町一つが無くなってもおかしくないと」
「あ、あの雨さん?」
「ん、なんですか千紗さん」
後処理は天原さんに任せてそろそろダンジョンに戻ろうかと考えていた時だった。緊張した表情で私を見つめてくる優さんは少し言い淀んでいた。
「モーセって三年前の」
「そうですね、あのモーセです。それにしても、あいつらダンジョンから出て来ることあったんだ」
引きこもりとして下層探索者の間で有名なモーセ。世間には別の側面が広く認知されてる。
「“海割り”のモーセって、こんなことある?」
『嘘だろ』
『危なかった。小野崎さんの一撃がなかったらどれだけの被害が出ていたか』
『見てみろよ、下の探索者達も生き残ってることに感動して抱き合ってるぞ』
雨と瑞野はその時点で配信を終了し、来た時と同じ門でダンジョンに戻るとすぐに荷物を持って雨の自宅に向かった。
『モーセの名前の由来はご存じの方が多いと思いますが、預言者モーセの海割り伝説にちなんでいます。三年前の悲劇、ブレイクで対処していたソロハイランナーの一人を殺したのもこのモンスターでした。腕の一振りで彼の体を縦に真っ二つにして後方の海を何キロにも渡って大きな谷を作り出しました。今回はそんなモーセについて迫っていきます』
「雨兄、特集もう組まれてるよ」
「そりゃあ、三年ぶりのモーセの現界だからね。危険度は言うまでもなく最も世間に認知された下層下域のモンスターであることは誰もが承知だよ」
「なんか再生回数が三千万回を超えているような、あれ?私の目がおかしくなったのかな?」
「優さん優さん、それ正常な目です」
スマホを覗き込みながら肩が震えている優さんを茶をすすりながら見てるとインターホンが鳴った。あ、来た来た。
「ささ、どうぞ桜井さん」
「ありがとうございます雨さん」
私の隣に正座した桜井さんは優さんに自己紹介し始めた。
「ダンジョン庁警備部小野崎雨の担当官をさせて頂いてます桜井未散です」
「えっと、配信者の瑞野優です」
「優さん緊張しすぎですよ。桜井さんは真面ですから」
「ダンジョン庁の印象の悪さがうかがえますね雨さん」
朗らかに笑う私と晴、苦笑して羨ましそうに見つめてくる優さんと桜井さん。微妙だ。
「で、ダンジョン庁は今回の件どう落とし前をつけるつもりですか?」
あくまでも笑顔、ピンと背を伸ばして私の方に強張った顔で何かを言い出そうとしてる桜井さん。そう緊張しないでくださいよ、報酬のお話をするだけなんですから。
「総務部は鋭意対処に努めていくと」
「実務回ってくるの私なんですけどね」
「それは本当に申し訳ありません。でも今回は珍しく別途給与が出ますから何とか矛を収めてもらえると」
「逆に言えば、モーセレベルが出てこないと残業代は出ないんですね」
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