「雨兄、なんでそんなに怒ってるの?」
「い、いいんですか雨さん?」
「別に、もう隠すだけの余力がなくなっただけです」
「雨兄と桜井さんは何言ってるの?」
「晴、今から衝撃的だと思うけど気をしっかりして聞いてね」
「な、なにを?」
「…実は私、時給2000円なの」
愕然と口を半開きにして私を見つめる晴の信じられないという目が痛い。これも下層警備員の特殊な立場上ほかのパート警備員とは時給が差別化されてもおかしくなかったのに、平等性を保つためとか合理的説明にもなってない意見をごり押してきたダンジョン庁のせいだ。
「う、嘘」
「本当、事実は桜井さんが証明してくれるよ」
なんか目を閉じて悟りを開いたみたいな穏やかな笑顔で虚空に祈ってるよ優さん。晴の地雷踏みすぎないように空気になってるのかな?私もそっちが良いよ、切実に。
そして桜井さん、泣きそうな目で私を見つめないでください。もう晴とは一年の付き合いになるんですからきっと理解してくれますよ。…晴は害悪だと思った人はすぐに切り捨てるけど。私が目を合わせないことに追い詰められた桜井さんは、黒いオーラをまとった晴に目を向けた。顔真っ青だよ。
「…桜井さん?」
「は、はい!」
「ど・う・い・う事ですか?」
バアアンと壁に後ずさった桜井さんに近づいた晴は、無表情で勢い良く壁ドンした。なんでこんな場面実況してるんだろ私、スキルが便利すぎるからかな。死角でもしっかりと見えてるよ。
「え、えとそれは。総務部の命令でどうしても時給は上げることができないんです」
「その総務部ってどういった理由で昇給できないと説明してるんですか無能の桜井さん」
「ぐはっ、そ、それは他の警備員との平等性を保つためだと」
「説明になってませんよ。中層と下層で生存率の劇的な低下はダンジョン庁が一番よく分かってるはずなんですが」
「う、それも総務部では具体的な弁明がされませんでした」
「雨兄を24時間こき使っておきながら、相当の理由もなく低賃金で働かせていたんですか?」
「ぐす…雨さん、私もう無理です」
「まだ質問は終わってないのに何故、雨兄に話しかけてるんですか?しばらく反省してもらわないと気が収まりませんね」
嗚咽を漏らす桜井さんの顎に手を当てて持ち上げた晴は、彼女を折檻でもしたいのか片手でくしゃくしゃに丸めたティッシュを口に入れようとしていた。優さんは灰色になっていた。灰色!?どうやってんの?スキルか、スキルなのか。苦笑した雨はこちらに寄ってきた桜井さんを正面から抱きしめて背中をさすった。
「晴、いったん落ち着かせてあげよ」
「雨兄が甘やかすから何も変わらないんじゃない?」
「桜井さんは担当官であって、総務部の人みたいな権力もコネもないから」
「…使えないね」
「私は晴の価値観が怖いよ」
「私は雨兄と静かに暮らしていければいい。こんな大義も順当な理由もない理不尽を雨兄が被る必要ないよね」
「晴、この前私に早熟だって言ってたけど十分晴もそうだと思う」
心底軽蔑した目で私に泣きつく桜井さんを忌々しそうに見下す晴は、これまでで一番の毒を吐いていた。見た目小学生なのにベテラン教官みたいな熟練の雰囲気を感じる。ああ、もうそんなに泣かないでくださいよ桜井さん。晴が怖かったのは分かりましたから。
「でもそれだとこれ以上警備員続ける必要あるの?」
「警備員自体は好きだから良いんだけど、個人的な内職を始めようかなって」
「駄目!」
内職を口にした瞬間、晴はそう声を発した。意外なことじゃない、私の時間がないも同然な時間をさらに削らなければならない。自由も余暇もない、けれど好きでそうしてる。雨はふわりと笑みを浮かべて必死にそれを止めようと肩をつかんでくる晴を慈愛の籠った目で見つめた。
「どうして?」
「だって今でさえ雨兄ほとんど寝てないでしょ。休日もほとんどが休眠で消費されてるし、私との時間を優先してそれすらしなくなったりするじゃん」
「学校で寝てるから問題ないよ」
「授業聞いてなくて成績とか落ちたりするでしょ」
「それがそうでもないのよ、寝ててもスキルで先生の話聞いてそれが自然に頭に残っていくから」
「だとしても!」
ひと際大きな声で私の声を遮った晴は、顔を伏せて涙をこぼしていた。私は何も言わずに晴の目元に指を添えて涙をぬぐう。
「…だとしても、雨兄がいつも疲れた顔してるのがもう見てられないのよ」
「内職中は一緒にいられるよ?」
「…それでも」
「晴」
私は額を晴にくっつけた。そんな悲しいことじゃないでしょうに、私より苦しそうにしないでよ晴。
「う、うう」
「大丈夫、大丈夫だよ」
晴を離れさせて泣きやんだ桜井さんも自然と離れた。
「も、もういい雨さん?」
「桜井さんも晴も一応もとに戻りましたね。いいよ優さん」
「..お母さんみたいだね雨さん」
「もうそういうネタいいから優さん」
口をとがらせて不満げな優さんを一瞥して茶をすする。ちょっと桜井さんをからかってみたくなっただけなのに、意外な方向に晴が振り切れたからなあ。まあ元々内職は決定してたからもう覆せないんだけど。
すすすといつの間にか私の隣に移動してきた優さんは私にスマホの画面を見せてきた。
『あれ誰が入り口壊したの?』
『なんか警備員がモーセが出てこようとした瞬間に針の塊で入り口ごと爆発させた』
『???』
『小野崎さんのスキルだよ』
『小野崎さん?』
『下層ダンジョン警備員の小野崎雨さん』
『高校生なのになんか喋り方とか雰囲気がおじいちゃんみたいな人』
『小野崎のおじいちゃん笑』
「とことん引っ張りますね」
「いや、本当に的を射ているなと思いまして」
そんなに構ってほしいの優さん。私と喋る時だけ目がキラキラしてるよ貴方《あなた》。雨は仕方なしと嘆息するが、そんなに構ってほしいと思われるのも悪くないなと小さな喜びが染みてくる。
「ゆ~うさん」
「ひゃ!」
耳元でささやくようにそう言ってみると顔を真っ赤にして私から反射的に離れた。
「あ、雨さん?」
「もう夕方、早く帰った方が良いと思うよ。明日は月曜だし」
「耳元で囁かないでください!弱いんですよ」
「ふふ、今度から参考にするね。じゃあさっさと帰って、私これから晴と外食に行くから」
「あ、はい」
「良い子」
「ひゃあ!だからやめてよ雨さん」
「またねー優さんー」
優さんは赤面しながら急いで荷物をまとめると晴に形ばかりの挨拶をして出ていってしまった。
「雨さん人を追い出すときいつも距離詰めてきますよねー」
「私としてもからかい甲斐があって楽しいんですよ。…で、あなたもいつまでいるつもりですか桜井さん」
「さっきまであんなに優しかったのに…」
「給与に何ら変更がなければ無駄足です。さっさと帰ってください」
「ひい、はい!」
桜井さんは脱兎のごとく晴から逃げるように出ていった。いや晴、邪魔なのは分かるけど一々オーラ出して威圧する必要ないでしょ。さっさとそれを収めなさい。
「…よし、晴行こうか」
「うん!」
ぱあっと満面の笑みで手をつないでくる晴はさっきの不機嫌だった時とは大違いだ。楽しみだったのは私も同じだけど。何度も肉が剥がれて固くなった手のひらを晴は強く握りしめてドアを開けた。
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