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第153話 最下層へ
【現実世界・オルタリンクタワー地下二層・管理区画】
二重扉の前で、空気が止まっていた。
普通の地下管理区画の匂い。
白い照明。
備品棚。
社員用端末。
その全部の奥にある、明らかに“そこから先だけ違う”扉。
若い社員が逃げるように上へ戻っていったあとも、その場の空気はしばらく動かなかった。
城ヶ峰が短く言う。
「右だ」
日下部がすぐに頷く。
「はい。右の保守通路が、より下の制御階に近い」
「左は白い部屋。たぶん攪乱か、別系統の処理区画です」
佐伯が小さく息を吸う。
「白い部屋の方が、見た目は“答え”に見えるかもしれません」
「でも、本命は右だと思います」
村瀬も続ける。
「左は見せるための白さで、右は隠すための普通さかもしれない」
城ヶ峰はその言葉を聞き、すぐ手を振る。
前進。
二重扉へ。
扉は電子ロックだった。
だが日下部が端末を繋ぐ前に、木崎がレンズ越しにそれを見た。
「……待て」
低い声。
全員が止まる。
「どうした」
城ヶ峰が聞く。
木崎は扉の縁を指した。
「認証盤の下、線が二本ある」
「一つは普通のセキュリティ、もう一つは顔を見てる」
日下部がすぐしゃがみ込む。
認証盤のカバーの奥。
確かに、細い青白い線が一本だけ、壁の中へ潜り込んでいた。
「……観測線」
日下部が低く言う。
「扉の前に立った人間を拾ってる」
木崎はカメラを下ろさずに続けた。
「普通の認証じゃない。
ここを通る顔を見て、“何を通すか”決めてる」
城ヶ峰の目が細くなる。
「切れるか」
「切ると返る」
日下部が即答した。
「この階で騒がせる可能性が高い」
一拍。
それから、佐伯が静かに言った。
「なら、顔を誤認させる」
全員がそちらを見る。
佐伯は自分でも驚いているようだったが、そのまま続けた。
「白い施設で、見ているものが一瞬ずれてる感覚が何度かありました」
「その線なら、“ちゃんと見せない”方がいい」
木崎がすぐに乗った。
「レンズのフラッシュで、観測を一拍だけ乱せるかもしれない」
日下部が顔を上げる。
「やってみましょう」
「一瞬ずらして、その隙に扉だけ開ける」
城ヶ峰は短く頷いた。
「やれ」
木崎がカメラを構える。
日下部が認証盤へ端末を差す。
佐伯と村瀬が後ろで息を潜める。
「今」
日下部の声。
木崎がフラッシュを焚いた。
白い閃光。
認証盤の下を走る青白い線が、一拍だけぶれた。
日下部がその隙にロックを解除する。
二重扉が、重く内側へ開いた。
その先の空気は、もう別だった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー地下三層・制御前廊下】
白い。
それが最初の印象だった。
ただし、旧技術検証棟のように“全部が白い”のではない。
壁は灰白。
床も白に近い。
だが、途中途中に人間の仕事場だった名残が混ざっている。
透明な仕切り。
施錠された操作室。
点滅する監視卓。
そして、その全部の下を走る青白い数列。
「……混ざってる」
村瀬が掠れた声で言う。
ただのオフィスではない。
ただの白い施設でもない。
“普通の仕事場”と“観測処理区画”が、
途中から継ぎ足されて一つになってしまったような空間だった。
佐伯が周囲を見て、低く言う。
「ここから先、記憶に近いです」
「でも、前よりひどい。
白いだけじゃなくて、普通の方まで呑まれてる」
木崎はガラス越しの操作室をレンズで覗く。
机。
椅子。
端末。
だがモニターには、人間が読むための画面ではなく、
線と円と観測ログが流れていた。
「社員がいた場所を、そのまま下に飲ませてる」
木崎が言う。
「本当に趣味が悪い」
その時、廊下の奥で音がした。
足音ではない。
紙の束が落ちるような、乾いた擦れ。
隊員がライトを向ける。
だが誰もいない。
代わりに、壁面のガラスに映る全員の姿が、ほんの少しだけ遅れて動いた。
村瀬が息を呑む。
「……鏡じゃないのに」
日下部がすぐに言う。
「ガラス見ないでください」
「位相が下と噛んでる」
城ヶ峰が短く命じる。
「視線は正面。止まるな」
前進。
廊下はゆるく下りになっていた。
つまり、まだ“下”が続いている。
◆ ◆ ◆
【異世界・オルタ・スパイア中層・記録保管庫】
記録保管庫は、思った以上に広かった。
高い天井。
石の壁いっぱいに並ぶ記録架。
古い羊皮紙。
封印された金属筒。
観測記録を刻んだ薄い石板。
それらを守るための結界紋が、棚と棚の間へ細く走っている。
王都の守りの塔、その本来の顔が一番濃く残っている場所。
――のはずだった。
今はそこにも、別の線が混ざっていた。
石床の継ぎ目に、青白い数列。
結界紋の中へ入り込む、異質な光。
古い保管棚の影が、なぜか壁より深く見える。
サキがスマホを握る手に力を入れる。
「……ここも、増えてる」
アデルは棚の間を見ながら低く言う。
「記録の場所ほど、観測を使われやすい」
ヴェルニが前を歩きながら、石架の一つを横目で見た。
「塔っていうより、墓場みたいだな」
「静かに」
アデルが即座に返す。
ハレルは、その空間の静けさに妙な既視感を覚えていた。
現実側の白い施設を直接見たわけではない。
でも、主鍵がここでは少し違う反応をする。
“進め”ではない。
“ずれるな”というような熱だ。
リオが小さく言う。
「ここから先、見た目に騙されるなって意味が分かってきたな」
その言葉の直後、保管庫の奥で、何かが笑った。
全員が止まる。
レアでも、サロゲートでもない。
もっと薄い。
でも確かに“人の笑い声”の形をしていた。
ヴェルニが手を上げ、火を出しかける。
アデルがそれを腕で止めた。
「撃つな」
「棚ごと崩れたら終わる」
ヴェルニは舌打ちし、手を下ろす。
「分かってる」
ノノの声がすぐ入る。
『その笑い、位置取れない。
固定した個体じゃない』
『下層の反響が上へ漏れてる可能性が高い』
ハレルが主鍵を握る。
熱は、さっきより強い。
それはつまり、下が近いということだった。
【異世界・オルタ・スパイア中層・昇降環前】
記録保管庫を抜けた先には、円形の空間があった。
床の中央に、古い紋様で組まれた大きな輪。
石の床に刻まれた巨大な円と、その周囲を囲む座標環。
螺旋階段ではない。
だが、ただの魔法陣でもない。
見た瞬間に、ここが“下へ行くための何か”だと分かる異様さがあった。
「……これ、何だ」
ハレルが低く言う。
ノノの声がすぐ返る。
『古い昇降環』
『塔の上層と下層を、座標ごと繋ぐ移動装置』
『今はほとんど使われてないはずだけど、最深部へ行くならそこが最短』
サキがスマホを見下ろす。
画面の上でも、その位置だけ白線が二重になっていた。
「……一回で降りられないかも」
サキが言う。
「途中で別の層に引っかかる感じがする」
アデルはそれを聞いて頷く。
「なら、途中で止まっても慌てるな」
「“着いた場所”を最下層だと思うな」
ヴェルニが口元だけで笑う。
「どんどん面倒になるな」
リオが低く返す。
「だから来たんだろ」
短いやり取り。
だがそれで少しだけ張り詰めた空気がほどけた。
その時だった。
昇降環の向こう――
円形空間の奥にある細い石廊下から、聞き覚えのある声がした。
《そこ、今のまま踏むとずれます》
全員が一斉に振り向く。
石壁の影から、白い衣の裾が静かに現れる。
セラだった。
サキが思わず声を上げる。
「セラ!?」
セラはいつものように大きく感情を見せない。
だが、ここまで直接姿を見せるのは珍しい。
それだけで、今の状況が“声だけの案内では足りない”段階まで来ていると分かる。
「来てたのか」
リオが低く言う。
セラは小さく頷いた。
「塔の下は、もう音声だけでは案内しきれません」
「位相のずれが強すぎる」
「だから、ここからは私も一緒に行きます」
ハレルは、その言葉に少しだけ息を吐いた。
セラが来た。
それだけで、目の前の装置の危険さが逆に現実味を帯びる。
セラは昇降環の縁へ歩み寄り、石床に刻まれた古い紋様を見下ろした。
「本来なら、これは塔の上層と下層を穏やかに結ぶためのものです」
「でも今は、現実側の対応点と強く噛んでしまっている」
「降りる、というより……引き込まれるに近い」
ヴェルニが眉を上げる。
「嫌な言い方するな」
「嫌な状態だからです」
セラは淡々と返す。
「途中で見えるもの、聞こえるもの、
着いたように感じる場所――それを最初から信じないでください」
アデルが短く確認する。
「最下層へ行くには」
セラは昇降環の中央を見たまま答える。
「途中で層がずれても、主鍵と副鍵の反応が強い方へ進むこと」
「逆に、静かな方へ逃げると戻れなくなります」
ハレルの胸元の主鍵が、じわりと熱を持つ。
リオとアデルの副鍵も、わずかに光った。
セラがそれを見て、初めて少しだけ表情を和らげる。
「……大丈夫」
「道は、まだあります」
アデルが昇降環の縁に立つ。
「乗るぞ」
今度は迷わない。
五人に、セラを加えた六人が輪の中へ入る。
石の紋様が、足元でゆっくり光り始める。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー地下三層・制御前廊下】
現実側の廊下も、さらに下へ続いていた。
途中で、左手に“白い部屋”が見えた。
若い社員が言っていた通りだ。
ガラス越しに見えるのは、何もない白い処理室。
だがその中央にだけ、小さな円があり、そこを通る数字の流れが異様に速い。
日下部が一瞬そちらを見て、すぐに首を振る。
「左は見せる部屋です」
「本命じゃない」
右へ。
さらに下へ。
二重扉をもう一枚越えた先で、空気はほとんど“白い施設”のものになった。
村瀬が小さく言う。
「……ここから先、前に見た感じです」
佐伯も、強張った顔で頷く。
「でも、前はもっと閉じてた」
「今は開きすぎてる」
それは嫌な表現だった。
開きすぎている。
つまり、現実側の普通の空間に、白い施設がより深く侵食しているということだ。
その時、廊下の突き当たりの壁に、円形の装置が見えた。
エレベーターではない。
階段でもない。
床と壁の境目に埋め込まれた、縦向きの輪。
日下部が息を呑む。
「……昇降環」
木崎が即座に言う。
「向こうと同じか」
日下部は画面と見比べる。
「名前は違うはずです。
でも構造は……たぶん同じ」
現実側では、もっと機械的な形をしている。
金属の輪。
操作盤。
白い表示。
だがその中心を流れる青白い線は、異世界側の術紋と同じリズムで脈打っていた。
城ヶ峰が低く言う。
「ここから下が最深部だな」
誰も反論しない。
空気が、そう告げている。
◆ ◆ ◆
【異世界・オルタ・スパイア中層・昇降環】
昇降環の紋様が、足元で一段強く光った。
サキのスマホの表示が跳ねる。
《LAYER SHIFT》
《UNSTABLE》
「来る!」
ノノの声と、昇降環の起動がほぼ同時だった。
視界がずれる。
石室が遠のく。
雨音が消える。
代わりに、耳鳴りみたいな低い音が満ちる。
ハレルは、主鍵が急に熱くなるのを感じた。
リオとアデルの副鍵も、それに応じるように光る。
セラが低く、しかしはっきり言う。
「足元から動かないで。
“見えた出口”より、鍵の反応を優先して」
アデルが短く叫ぶ。
「聞いたな、動くな!」
次の瞬間、六人の姿が光の輪の中へ沈み込んだ。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー地下三層・昇降環前】
日下部の端末に、異世界側から短い跳ねが入る。
《LAYER SHIFT》
《UNSTABLE》
「向こう、降り始めた!」
日下部が言う。
城ヶ峰は迷わない。
「こちらも行く」
木崎は昇降環をレンズ越しに見た。
金属の輪の奥に、ただの下層ではない“別の深さ”が開いて見える。
「……最悪だな」
だが、もう引き返す段階ではない。
城ヶ峰が輪の前へ立つ。
日下部、佐伯、村瀬、木崎、隊員たちも続く。
現実側の昇降環が、白く点いた。
二つの世界で、ほぼ同時に。
塔も、タワーも。
顔の下のそのさらに下へ、降りるための輪が動き始めていた。
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