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イベント当日
会場の空気は、朝の早い時間にもかかわらず
熱気で渦巻いていた。
時計はまだ正午を少し過ぎたばかりだったが
まるで真夏の陽射しが会場全体を包み込むように、ざわめきと興奮が充満していた。
人気モデル・八神天旺の番発表&ファンイベントとあって
集まった報道陣やファンの数は尋常ではなかった。
会場の外には長蛇の列ができ
色とりどりの応援グッズを手にしたファンが期待に目を輝かせていた。
報道陣のカメラがひしめき合い、フラッシュの光が断続的に空間を切り裂く。
眩しい照明の下、どこを向いてもレンズがギラギラと光を反射し
まるで無数の目がこちらを凝視しているかのようだった。
俺は、そんな熱狂の中心に、場違いなほど黒くシンプルなジャケットを羽織り
ぎこちなく立たされていた。
テオの一歩後ろ、まるで彼の影のように存在しているだけ。
心臓は朝からずっと、壊れた時計の針のように激しく
止まることなく鼓動を刻み続けていた。
喉はカラカラに乾き、手のひらは緊張でじっとりと汗ばんでいる。
指先が微かに震え、自分でもその震えを抑えられないのが分かった。
こんな大勢の前で、こんな注目を浴びる場所に立つなんて、俺には似合わない。
頭の中でその思いがぐるぐると渦巻き、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
未だ整理しきれていないのに
カメラのレンズが容赦なく俺を捉えていた。
「緊張しすぎだ、深呼吸しとけ」
隣に立つテオが、囁くように言った。
低く、落ち着いた声は、この喧騒をものともしない。
彼はいつもこうだ。
どんな状況でも、表情ひとつ乱さない。
さっきまでスタッフや司会者と軽快に笑い合い
冗談を飛ばしていたと思えば、今は報道陣の前に堂々と立ち
どこか誇らしげにすら見える。
その余裕が、俺には眩しすぎた。
テオの存在感は、まるでこの会場全体を支配しているようだった。
一方の俺は、ただその隣に立つことすら恐ろしくてたまらなかった。
自分がこの場にいる資格があるのか、頭の中で何度も自問自答していた。
会場内のざわめきが、徐々に収まり始めた。
まるで空気が一瞬で引き締まったかのように静寂が広がる。
ステージ上の巨大なスクリーンにテオの姿が映し出され
スポットライトが一斉に彼を照らし出す。
その光はあまりにも眩しく、俺の視界が一瞬白く染まった。
司会者がマイク越しに声を張り上げ、会場に響き渡る。
「それでは、八神天旺さんより本日、皆様に重要なご報告があるとのことです!」
瞬間、記者たちのシャッター音が嵐のように響き渡った。
フラッシュの光が、まるで雷鳴のように連続して瞬く。
俺は思わず目を閉じたくなる衝動に駆られたが
隣に立つテオの存在が、ぎりぎりで俺を現実に繋ぎ止めていた。
彼の背中が、揺るぎない壁のように感じられた。
俺はただ、必死にその後ろに立つことだけを考えた。
テオがマイクを手に取り、口を開いた。
「大体察しているとは思うが、今日はいつも応援してくれる皆に大事な話がある」
その声は、ステージ用の張り上げたものではなく
いつもの彼の自然体の声だった。
少し低めで、どこか柔らかく、親しみやすい。
まるで友達と雑談するような気軽さで、会場全体を包み込む。
だが、その言葉の内容は、まるで爆弾のように会場を揺さぶった。
「SNSでも言った通り――俺には、番がいる」
ざわっ、と会場が一瞬にして揺れた。
まるで波が引いた後の静寂が訪れ、すぐにまたシャッター音と小さなざわめきが戻ってくる。
俺は司会者の顔が一瞬引き攣ったのを見逃さなかった。
彼女の笑顔が、ほんの一瞬だけ凍りついたのだ。
だが、テオはそんな空気をまるで楽しむように、にやっと笑った。
その笑顔は、どこか挑戦的で、自信に満ちていた。
「紹介する。こいつ、白鳥翼。俺の専属カメラマンで……俺の番だ」
そう言って、テオは自然に俺の腰に腕を回してきた。
その瞬間、触れられた箇所がじんわりと熱くなり
まるでそこから全身に熱が広がっていくような感覚に襲われた。
俺の心臓はさらに激しく打ち始め、まるで胸から飛び出しそうだった。
「……どうも」
俺はたった一言だけ、マイクに向かって頭を下げた。
声は小さく、震えていたかもしれない。
カメラのフラッシュが一斉に瞬き、まるで俺を飲み込むような勢いで光が襲いかかってきた。
会場が再びざわめき、記者のひとりがマイクを持ち上げ、鋭い声を飛ばした。
「交際はいつからですか? 番契約は本当なのでしょうか?」
テオが答えるより先に、俺は思わずマイクを握りしめた。
震える指先を必死に押さえながら、それでも
今この瞬間だけは、俺が自分の言葉で伝えなければいけない。
そう強く思った。
「はい。番契約は事実です」
その瞬間、会場が再び大きくざわついた。
全身の血が逆流するような感覚に襲われ、頭がクラクラした。
だが、俺は逃げなかった。
テオの腕が俺の腰に回されていること
彼の体温がすぐ近くにあること。
それが、俺に勇気をくれた。
「先月、彼にプロポーズされ、番になることを決めました」
言い切った瞬間、足が震えた。
記者たちの質問が一斉に飛び交い、まるで嵐のような勢いで俺に押し寄せてきた。
だが、その声はもはや遠くの雑音のようにしか聞こえなかった。
俺の意識は、ただ隣にいるテオの存在にのみ集中していた。
彼の手の温もり、彼の落ち着いた呼吸
それが、俺のすべてを支えていた。
その現実が、胸にじんわりと染み渡り
初めて、ほんの少しだけ、誇らしい気持ちが芽生えた。
イベントの進行に移るため
俺は先に帰ろうとしたが、テオに「控え室で待ってろ」と言われた。
疲れもあったし、緊張で体が重かったので
俺は素直に従い、控え室で仮眠を取ることにした。
ソファに体を沈め、目を閉じると
会場のにぎわいが遠くの夢のように感じられた。
3時間ほど、ぐっすりと眠ってしまった。
イベント終了後
控え室で待機していた俺の元にテオが入ってきたのは午後7時を少し過ぎた頃だった。
イベント自体は4時間ほどで終わったようだ。
ドアが開く音で目が覚め、寝ぼけ眼をこすりながら「お疲れ様です」と声をかけると
テオは少し疲れたような、それでいて柔らかい笑みを浮かべた。
「なぁ、翼、ちょっと充電していいか」
突然の言葉に、俺は一瞬首をかしげた。
「充電…? あ、スマホのバッテリー無くなりましたか?」
と聞くと
彼はふっと笑い、ソファに座っていた俺に突然もたれかかるように抱きついてきた。
「えっ、テ、テオ…っ?」
俺の肩に顔を埋め、彼は大きく息を吸い込んで吐き出した。
まるで俺の匂いを確かめるような仕草に、心臓がドキッと跳ねた。
緊張と驚きで体が硬直する。
「…充電って俺自身のことな。ちょっと吸わせろ」
「すっ…吸わ……っ??」
「落ち着くんだよ、お前の匂い」
彼の声は低く、掠れていて
どこか甘い響きを帯びていた。
その言葉に、胸がざわめき、熱がこみ上げてくる。
テオの匂い――
彼特有の、ほのかにスパイシーで
どこか温かい香水の香りが、俺の鼻腔をくすぐる。
こんな近い距離で彼を感じるなんて
初めてじゃないのに、毎回心臓が暴れ出す。
「匂い……?」
「Ω特有のフェロモンとは別なんだけどな、なんか安心すんだわ」
そのまま、背中に回された彼の腕がさらに強く締まり
俺はぐっと引き寄せられた。
体が密着し、彼の体温がじんわりと伝わってくる。
心臓がバクバクと鳴り、頭がぼんやりしてくる。
「ちょっ…ち、近いんです、けど」
「いいだろ、番なんだから」
その言葉に、反論する余地なんてなかった。
テオの腕の中で、俺はされるがままになっていた。
すると、突然彼が顔を上げ
俺の顎にそっと手をかけ、引き寄せるようにして見つめてきた。
「もう1つ。充電したい」
「なに───」
言いかけた瞬間、唇を塞がれた。
一瞬の出来事だったが、彼の唇の柔らかさと温もりが電流のように俺の全身を駆け巡った。
心臓が跳ね上がり、頭が真っ白になる。
「翼」
甘く、囁くように名前を呼ばれ
反射的に目を閉じると、再び唇が重ねられた。
今度はもっと深く、まるで俺の内側を探るような動きに脳が痺れるような感覚に襲われた。
自然とソファに押し倒されるような形になり、俺は思わずテオのシャツをぎゅっと掴んだ。
「んっ……」
息苦しさと同時に、得も言われぬ快楽が体を駆け巡る。
自分でも驚くほど、身を委ねてしまう自分がいた。
ゆっくりと唇が離れると、細い唾液の糸が引いていて
その淫靡な光景にさらに胸が騒いだ。
そのとき――
コンコンッと、控え室の扉が軽くノックされ
勢いよく開かれた。