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あれから二日後。討伐ギルド内にある掲示板に一枚の案内が張り出された。通常の討伐依頼が書かれた紙よりも大きく、とても目立っている。書かれている文言は『討伐ギルド主催・初心者向け討伐講座』とある。完全予約制である事、講師は討伐ギルドの受付嬢が日替わりで受け持つ事、ヒーラーが同行してくれる旨などの記載もあった。注意事項として一番下に、『補助要員が同行してくれますが従者ではありません。横柄な態度、命令などは厳禁です。充分お気を付け下さい』と書かれており、どう考えても自分の事だなと察したスキアが貼られているポスターの前ですんっと冷めた顔になっている。
(…… いやいや。こんなん、絶対に誰も来ないだろ)
スキアはそう思ったが、興味深そうにチラチラとポスターを気にしている者が既に何人も居る。一緒にポスターを見上げていたルスがその事に気が付き、隣に居るスキアの袖をくっと引っ張って、「邪魔になっているから座ろっか」と声を掛けた。
ルスとスキアが近くの椅子に座ると、すすっと討伐ギルドの受付嬢であるミント、アスティナ、クレアの三人が近づいて来た。
「実はですね、ずっと前からこういった講座をやって欲しいとの要望があったんです、はい。異世界からの移住者達は皆さん適切な教育期間を経てから色々な職種につきますが、過去に戦闘経験の無い人達も『せっかく異世界に来たんだから、前とは違う事がやりたい』などといった理由で討伐ギルドに登録しに来る人達も結構多んですよ、えぇ。でもそういった人達は、移住した事で得た戦闘スキルや戦闘知識がどんなにあろうとも、頭デッカチなだけの未経験者であるという理由でなかなかパーティーには入れていません、はい」
ミントがボソボソと小さな声で説明してくれた。彼女の話を真面目に聞いていたルスは初耳だったらしく、そうなのか!と驚き顔になっている。
「そうなんですよねぇ。結局ぅ、一人でコツコツと薬師ギルドで薬草集めから始めたり、報酬として得られた回復薬を片手に、一人だったり、運が良ければ同期の移住メンバーと共に苦労してゴブリン討伐から始めるパターンばかりなんですよぉ。移住者の教育係であった魔法使いさん達のおかげで冒険の知識はいっぱい頭の中に入っていても、どうしたって経験が無いと色々苦労も多いので、討伐に行く為の実践的な知識や経験を与える講座の必要性は移住受け入れの初期段階から言われてはいたんですぅ。でも常時同行を頼めそうなヒーラーさんを確保出来ず、断念してきたんですよねぇ」
「なので、今回やっとこの企画を通せたという訳です。こちらは討伐ギルドに登録して下さっている方々の身の安全の向上につながりますし、ルスちゃん達は臨時職員扱いになるから毎月最低限の収入を確保出来る。まさにこれがWin-Winの関係ってやつですね」
アスティナとクレアの顔には安堵の色が浮かんでいる。腫れ物扱いをされて長らく仕事が貰えないままでいたルスの事が心配でしょうがなかったみたいだが、これでひとまず最低限の生活を維持していても誰にも不審がられずに済むだろう。
「ありがとうございます!」
ルスはそう言うと、ふわっとした尻尾を振りながら嬉しそうに頭を下げた。だが彼女の隣を陣取っているスキアはまだ不満でも抱いているのか何なのか、少し不機嫌そうな顔のままである。
「この講座を通して気の合うヒトがいればパーティーに勧誘しても良いでしょうし、時間が経てばまた誰かしら依頼に誘ってくれるヒトも出てくるかもしれません。ここは気長にいきましょう」
クレアがそう言って眼鏡の縁を指先でくっとあげる。するとルスは笑顔を返し、「そうですね」と素直に頷いた。
「それじゃぁ、早速臨時職員さんとなったルスちゃんにお仕事をお願いしますぅ。これから待機所に置いてあるお茶のおかわりを用意するので、それを手伝ってもらってもいいですかぁ?」
アスティナが両手を伸ばすと、ルスはその手を掴んで椅子から立ち上がった。ちらっとスキアの方へ視線をやり、「えっと、ちょっと行ってくるね」と声掛ける。ギルド内程度の距離なら離れていても問題はないので、スキアは軽く手を振って応えた。
「人手が足りないみたいだったら、呼ぶんだぞ」
初めてのおつかいに向かう子供を見守る親みたいな気分でスキアが言う。
「うん!」
「じゃあ、行きましょうか」とアスティナに手を引かれ、ルスがギルドの奥にある給湯室へ向かった。
「私も手伝いましょう。小柄な二人だけでは重いでしょうしね、はい」
ボソボソとした声でそう口にしながらミントもアスティナとルスの後に続く。流れでクレアもバックヤードに下がるだろうとスキアは思っていたのだが、何故か彼女は彼の隣の席にドンッと腰掛けた。
「…… 先程からずっと、この状況が不満そうですね」
眼鏡をくっと持ち上げてクレアが言う。テーブルに頬杖をついていたスキアは視線だけを彼女に向け、ふんっと鼻で笑った。
「ギルドに来るたびにお二人の様子を見守っていましたけど、スキアさんは一貫して『仕事がなくても別にいいじゃないか』といった雰囲気でしたからね。働きたくないのでしたら、ルスちゃんだけお借りする形でも我々は一向に構わないんですよ?」
「…… 働く必要性を感じていない事は認める。僕にだって蓄えはあるんだし、今のままでも生活が破綻することは無いんだしな」
お金なんていくらでも簡単にくすねてしまえる事実を嘘で隠す。盗み取る事への罪悪感なんか微塵も無いが、正直に話さねばならない理由もない。
「働くのは何も、お金の為だけじゃないですよね?」
「否定はしないが…… 」とまで言って、スキアは黙った。クレアの話の続きが気になる様だ。
「異世界からの移住者達は皆、少なからず前の世界の話をしてくれます。だけど、前の世界で酷い目にあった人程思い出話をしたがらず、ルスちゃんはその最たる例で、一度も過去の話をしてはくれません。此処に初めて来た時も私達と打ち解けようともせず、ただ黙々と依頼に応じているといった感じでした。今みたいに笑ってくれる様になるまで、随分と大変だったんですよ」
いいとこ取りしている貴方はずるいとでも言いたそうに、クレアがスキアにジト目を向ける。
「色々な経験をして、今のルスちゃんがあるんです。この間の一件は…… 流石にスタートには問題アリでしたけど、それでも私達は、今後も彼女に様々な経験を積んで欲しいと考えています」と言い、クレアは無遠慮にスキアの顔を指差した。
「本当なら、これはルスちゃんの夫である貴方の役目なんですよ!」
「ぼ、僕の?」
クレアの勢いに圧倒され、スキアの体が少し後ろに下がった。
「嫁を独占したい、この先も自分達の世界にはリアン君との三人だけで良いって魂胆が見え見えですけど、それじゃあルスちゃんの為にはならないんだと、夫ならばちゃんと割り切って下さい」
「僕はそんな——」とまで言って、スキアが言葉を詰まらせた。『自分の行動は全てルスが無意識に望んでいる事なのだ』と話した所で理解は得られまい。加えて、己が独占欲丸出しな状態であったとは指摘されるまで全く気が付いていなかった事にショックを受けている。
(独占したいって…… 。じゃあルスは、僕に独占される事の望んでいるって事、なのか?)
今の自分の行動や感情の全ては、ルスの善性や無意識下の希望に支配されているものなのだと思い込んでいるスキアの顔がカッと真っ赤に染まった。いつもと違って不思議と悪くない気分だ。だが、そう思うこの気持ちさえも影響下にあるせいであるからなのだと考えると、段々頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。そして、何か単純な事を見落としているような感覚にも襲われた。
「お待たせー!スキアもお茶飲む?」
目一杯冷たいお茶の入った大きなガラスの器を両手に抱えたルスが奥から戻って来た。優しい笑顔を前にすると、スキアの抱えていた複雑な感情がふっと霧散していく。
(マズイ…… かなりの速度でルスの善性に毒されている)
スキアはそう確信したが、争おうとする気持ちよりも先に、笑顔を返しながら「頂こうかな」と答えていたのだった。