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【第一話:定時に終わらない殺業(後編)】
5. 傘を差した暗殺者
カツン、カツンとアスファルトを鳴らすヒール音。雨の夜の静寂を切り裂くその音は、佐藤の背筋を冷たく凍りつかせた。
軽トラの陰からそっと覗き込むと、濡れた路地の奥から一人の女が歩いてくるのが見えた。
黒のロングコートに身を包み、右手にはシックな黒傘、左手には大きなバイオリンケースを下げている。
「佐藤さん……あのバイオリンケース、絶対に楽器入ってないっすよね?」
春日が佐藤の袖を引っ張りながら小声で囁く。
「当たり前だろ、クラシック演奏家が夜中の路地裏に何しに来るんだよ。……おい、車に乗れ。バックでズドンだ」
「えっ、ひき逃げっすか!?」
「『掃除』の基本だ! 早くしろ!」
佐藤と春日は静かに軽トラのシートに滑り込み、ドアを閉めた。佐藤はキーを回し、エンジンを吹かす。ガタガタと車体が揺れ、バックギアに入れたその時——。
ドスッ!!
車のボンネットに、強烈な衝撃が走った。
フロントガラスの目の前に、いつの間にかコートの女が立っていた。彼女はバイオリンケースを開き、そこから露出した黒光りするサイレンサー付きの自動小銃(サブマシンガン)を、一直線に佐藤の額へ向けている。
「……動かないで。エンジンを切って、二人とも手を頭の後ろへ」
傘の陰から覗く女の瞳は、氷のように冷たかった。三十代半ば、整った容姿とは裏腹に、纏う空気は完全に「本物」の殺し屋のそれだ。
「……参ったな。協会の特別清掃員か」
佐藤は乾いた笑いを浮かべ、ゆっくりとキーを抜いてダッシュボードの上に置いた。
6. 15万円の男たちの反撃
女は軽トラのドアを開け、冷徹な声で告げる。
「ターゲットの猪熊勝、および現場を荒らしたあなたたち二人の処分を命じられています。理由を尋ねる権利はありません」
「おいおい、お姉さん。俺たちはただの委託業者だぞ? 猪熊を消せって言われたから仕事しただけだ。キャンセル通知が遅れたのは協会のミスだろ」
「ルールの例外は認められません。……まずは、そちらの若者から」
女が春日の方へ銃口をスライドさせた。
その瞬間、春日が叫んだ。
「佐藤さん! 例の『Z世代スペシャル』行きます!!」
「はあ!? なんだそれ聞いてねえぞ!」
春日は素早くスマホの画面を女の顔面に突き出し、超高輝度のフラッシュライトを爆発的に点灯させた。同時に、スピーカーから爆音の「防犯ブザー音+TikTokの大ヒット爆音BGM」を鳴らし始める。
「うっ……!?」
突如として視界を奪われ、鼓膜を狂わされた女がわずかに体勢を崩す。
「いまです! 昭和の技術見せてください!」
「お前……最高に頭悪いけどナイスだ!!」
佐藤はレインコートから自作の【超高電圧スタンガン】を引き抜くと、飛び出すようにして女の腕を掴み、銃身を押し上げた。
バチバチバチチチッ!!!!
紫色の電流が夜の雨を弾き、女の腕に直撃する。
「くっ……あぁぁっ!!」
凄まじい衝撃に女は銃を落としたが、さすがは協会の特別清掃員。激痛に耐えながら即座に回し蹴りを繰り出し、佐藤の胸板を蹴り飛ばした。
「ぐはっ……!」
佐藤は水たまりへ倒れ込む。女は落とした銃を拾おうと手を伸ばすが、そこに軽トラの荷台から泥酔して気絶していたはずの猪熊(ターゲット)がぐらりと倒れ落ちてきた。
「重っ!?」
巨体に押しつぶされた女の隙を見逃さず、春日が軽トラの運転席からアクセルを全開(ニュートラルから強引にローギアへ叩き込む)にして、タイヤで水たまりの泥水を女の顔面へ思い切りぶちまけた。
「佐藤さん! 走れ!!」
「覚えてろよ、Z世代ー!!」
佐藤は泥まみれになりながら起き上がり、助手席へ飛び乗る。軽トラは黒煙を上げながら、夜の街へと爆走して逃走した。
7. 定時には終わらない
数分後。追手を撒き、高速道路の下のガード下に車を停めた二人。
エンジンを切り、静まり返った車内で佐藤と春日は激しく息を吐いていた。
「……ハぁ……ハぁ……。死ぬかと思った……」
「佐藤さん……俺、レインコートに泥ついて最悪なんですけど……」
「俺の自作スタンガンも壊れたよ……修理費いくらかかると思ってんだ……」
ダッシュボードの上で、佐藤のスマホがブブブと震えた。
画面には【協会・受付】の文字。
佐藤は覚悟を決め、通話ボタンを押した。
「……もしもし」
『佐藤様、お疲れ様です。先ほど監査部から連絡がありまして』
オペレーターの落ち着いた声が流れる。
「……ああ、命からがら逃げ切ったよ。なんで俺たちが消去対象になってんだ? 説明しろ」
『大変申し訳ございません。協会のシステムエラーで、ターゲットの変更通知が誤送信されておりました。特別清掃員への依頼も撤回処理を行いました』
「……は?」
佐藤は脱力して天井を見上げた。
「システムエラー……? 俺たちが命がけでバトルしたのは、ただの誤作動かよ……」
『つきましては、今回のトラブルに対する迷惑料として、通常の報酬15万円に特別手当5万円を上乗せしてお振り込みいたします』
「合計20万……」
春日が横から目を出して輝かせる。「佐藤さん! 5万UPっすよ! ガリガリ君何本買えると思ってんすか!」
「黙れ……」
佐藤は深々とため息をつき、スマホを耳に当て直した。
「……で、荷台に転がってる猪熊はどうすりゃいいんだ?」
『あ、そちらは当初の予定通り、指定の解体場へ搬入をお願いいたします。本日の営業は25時までとなっておりますので、お早めにどうぞ』
ツーツーツー……。
時計の針は、すでに深夜1時を回ろうとしていた。
佐藤はゆっくりとシートに背もたれを預け、乾いた笑いを漏らした。
「……おい、春日」
「なんすか、佐藤さん」
「定時、とっくに過ぎてるぞ」
「明日の朝、遅刻確定っすね。あ、帰りにコンビニでホットスナック奢ってくださいよ。20万入るんだし」
「お前に奢るチキンはねえよ……行くぞ、解体場へ」
ボロい軽トラは、再び雨の降る深夜の街へと走り出した。
うだつの上がらない中年と、生意気な若者の「業務外残業」は、まだまだ終わりそうにない。
(第一話・完)
#からぴち
天嶺 雫玖
68
青い子
69
くろぬか
3,233
#いじめ
コメント
1件
いやー、めっちゃ面白かったです!「定時で帰りたいのに仕事が終わらない暗殺者」という設定、めちゃくちゃ好きです。Z世代の春日が繰り出す「フラッシュライト+TikTok爆音BGM」という奇策には笑いました。昭和の技術=スタンガンとの新旧コラボが絶妙で、コンビの掛け合いも最高。システムエラーで20万になったけど、結局定時過ぎて残業ってオチも皮肉が効いてます。次回も絶対読みたいです!