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#独占欲
矢嶋の部屋に一泊した日から一週間が過ぎた。あの日以来、彼と顔を合わせる最初の金曜日だ。
本番まであと十数分という頃に、彼は慌ただしい様子でやって来て、皆への挨拶もそこそこにスタジオに入って行った。ガラス越しに彼を眺めながら、ふと心配になったのは、番組が終わった後、矢嶋と顔を合わせた時、果たしていつも通りに振る舞えるかどうかということだった。
放送が終わり、矢嶋が私たちの元へやって来た。
彼を見た途端どきどきして、それまで梨乃と辻に見せていた笑顔が不自然に強張りそうになる。
「お疲れさん。ところで、ぼちぼち改変期だろ?この番組は、新年度もすべて変更なしだって話をしていた所なんだ。梨乃ちゃんは続けてくれるって」
「そうですか。梨乃ちゃん、ありがとう。これからもよろしく頼むね。川口さんには続けてもらえるんですか?」
「もともとは、暫定っていうことで手伝ってもらってたからなぁ。だけど、なかなかいい人が見つからないしな。俺としては、このまま続けてほしいんだけどね」
矢嶋は壁際の長椅子に腰を下ろし、辻と私の顔を交互に見る。
「だったら、続けてもらえばいいじゃないですか。現場の希望だって言えば、上だって駄目だとは言わないでしょ。もちろん川口さんが嫌じゃなければ、ですけど」
「私、夏貴さんと一緒で、毎回楽しいんです。今さら違う人と組むのもちょっと……。ねぇ、夏貴さん、一緒に続けましょうよ」
言いながら梨乃はキラキラした目を向けて来た。
それを眩しく、また、嬉しく思いながらも、私は苦笑する。
「ありがとう、梨乃ちゃん。私も続けられたらいいなとは思うけど、どうなんだろう。もともとは私、編成広報局に派遣されてる身だから」
矢嶋のことはさて置き、可能なら続けたい。ここでの仕事にもだいぶ慣れたし、楽しい。
「ねぇ、辻さん。上の人にお願いしてくださいよ。夏貴さんも続けたいっていう顔、してますよ」
梨乃に頼むように言われて、辻は首を大きく縦に振る。
「もちろん言ってみるよ。渋るのは中沢局長あたりだけだろうから、そこはうちの局長に、うまく話をつけてもらおう。夏貴ちゃん、新年度もお願いすることになったら、その時は引き受けてくれるかい?」
「もちろんです!」
間髪入れずに頷く私に、梨乃が嬉しそうに笑う。
「夏貴さんもやる気だし、新年度からもきっと一緒ですね。夏貴さん、今後もよろしくお願いします!ということで、私はお先に失礼します。また来週!」
梨乃はぺこりと頭を下げて、元気よくマスタールームを出て行った。
「俺も先に戻るよ。局長が戻ってきているはずだから、夏貴ちゃんの件、早速話すわ。矢嶋、後は頼んだよ」
「了解です」
辻が出て行き、技術の男性担当者の姿もすでにない。矢嶋と二人きりになって、私は緊張した。この緊張から早く解放されたくて、そそくさとドアに手をかける。
「えぇと、私も戻りますので」
しかし矢嶋に引き留められる。
「夏貴、待って」
「な、何ですか?」
私はドアの方を向いたまま訊ねた。二人きりになった瞬間から、私の頭には、あの日のあれやこれやが蘇ってきていて、矢嶋の顔をまともに見られない。
それなのに、カツっと足音をさせて、彼は私のすぐ後ろに立つ。
「あの後、体調はどうだ?大丈夫だったか?」
「は、はい。もう大丈夫です。あの日は本当にありがとうございました」
「それなら良かった。で、あの後、佐竹さんとはうまくいってるのか?」
「うまく、というか……。週明け早々謝ってくれました。金曜日だってたくさん謝ってもらったし、佐竹さんの勘違いだったみたいなのに」
「お前……」
矢嶋は呆気に取られたようにつぶやいた。
私は怪訝に思い、おずおずと振り返る。
「私、何か変なことでも言いました?」
「いや、変っていうか……」
矢嶋は苦笑を浮かべて、壁に背を預ける。
「佐竹さんの『勘違い』って言葉、真に受けてたのか?あの作業を今日中に、って、俺には嫌がらせにしか思えなかったんだけど」
私は首を傾げる。
「私も最初は、もしかしてと思わないではなかったですけど……。でも佐竹さん、勘違いだったって、言ってましたし……。だから私に謝ったわけでしょ?」
「まったくお前は、人がいいというか……」
矢嶋は呆れ顔でため息をつき、話を続ける。
「佐竹さん、以前は業務企画局にいたんだけど、その時、ある契約社員の女性に対して、ずいぶんときつく当たっていたらしいんだ。その人が辞めてしまって、本当の理由は曖昧なままだけど、周りの連中は察していたらしいな。佐竹さんが好きな男が、その女性のことを好きだったみたいだ。……ここまで言えば、分かるか?」
「その方に嫉妬していたから、冷たく当たっていたということですか?」
「と、聞いてる」
「えぇと……」
私は考え考え口を開く。
「今回もその時と同じように、佐竹さんは私に嫉妬していたっていうことですか?」
「そういうことなのかな、と、俺は想像してたけどね」
「じゃあ、矢嶋さんは佐竹さんの気持ちに気づいていた、と?」
「まぁな」
「ということは」
私は眉間にしわを作る。
「もしもあれが、本当に嫌がらせだったとしたら、その原因を作ったのは、矢嶋さんってことになるわけですよね。矢嶋さんと関わったことで、私、巻き込まれたってことになるじゃないですか」
「それは悪かった。でも、俺の気持ちが夏貴に向いているってこと、佐竹さんに知られてしまうくらいには分かりやすかったってことか」
矢嶋は悪びれる様子もなく、呑気に自分の行動を分析などしている。それから不意に私の顔をのぞき込んだ。
「夏貴は俺のことで嫉妬はしてくれないの?」
「な、何を急に……」
「例えばさ。俺が他の女性と一緒にいるのを見て、とか」
「どうして私がそんなこと……」
「ふぅん。じゃあ、行くって返事しようかな。実は水沢アナから食事に誘われてるんだ。行こうかどうしようか迷ってたんだけど、残念ながら夏貴は全然気にならないみたいだからさ」
水沢アナ――水沢玲奈は、矢嶋と同じこの局のアナウンサーだ。以前、佐竹のお使いで報道の長谷川を訪ねた時、一度だけ遠目に見たことがあったが、華のある美人だった。
あの美しい人から食事に誘われていると聞いて、心がざわめいた。彼のすぐ近くに素敵な女性がいるということに改めて気づかされ、胸の中にもやもやとしたものが広がり、なぜか泣きたいような気持ちになる。
「へぇえ、それは良かったですね。楽しんできてください。じゃあ、私はこれで」
歪む顔を見られたくなかった。私は矢嶋を避けるように顔を伏せて、ドアノブに手を伸ばした。
その手を矢嶋の手がつかむ。
「その食事って、アナウンス室の全員で、だからな」
「え……」
私はのろのろと顔を上げた。
私の目をのぞき込みながら、彼は付け加える。
「ついでに言うと、水沢さんは報道の長谷川さんと付き合ってる。この秋に結婚が決まってるらしいよ」
「そ、そうですか……」
その話を聞いてほっとした自分に気づき、戸惑う。
「もしかして、今、嫉妬したのか」
訊ねる矢嶋の声は嬉しそうだった。
わざと私の心を揺らそうとしたのかと腹立たしくなり、苛立ちながら彼を見る。
「そんなわけないじゃないですか。勘違いしないでくださいね。矢嶋さんが誰とデートしようが、私には全然関係ないので」
彼は口元に拳を当ててくすくすと笑い出す。
「夏貴って、ほんと、素直じゃないよな。ま、そういう所も好きなんだけどね」
「やめてください。ここ、職場ですよ」
「どうせ今は二人きりだ」
ふふんと鼻を鳴らし、彼は笑いを収める。
「とにかく、あれから佐竹さんから何もされていないなら、それでいいんだ。だけど、もしもまた何かあったら俺に言えよ」
「何かなんてないと思いますし、仮に嫌がらせされたとしても、自分でなんとかできますから」
「それは頼もしい」
彼は腕を組んで笑った。
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