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男爵邸へ一台の車が滑り込んで来た。演奏会を終わらせた岩崎とお咲を乗せた新聞社の車だ。
「先生、ちょっと質問ですがねぇ」
助手席の新聞記者沼田がポツリと言う。
「なんで、演奏中もその襟巻き外さないんです?」
「だって、新聞社のおじさん。えりまきは、月子様が作ったんだよ?チュッチュッだよ」
岩崎と共に後部座席に座る、お咲が得意げに答える。
「あー!なるほどね!チュッチュッチュッってわけだな?お咲!」
言って、沼田は、ガハガハとゲスな笑い声をあげた。
「な、何を!ただ、寒いだけだ!!おい、お咲、最近口が達者すぎるぞ?!余計なことを……」
照れ隠しなのか、抗議なのか、岩崎は躍起になるが、ピタリと口をつぐみ外を見る。
視線の先、岩崎達を出迎えに現れている屋敷の皆は、なぜか、晴れ着姿だった。
「……何がおこってるんだ」
岩崎がつぶやいているうちに、車は止まり、ドアが開けられる。
「おかえりなさいませ!」
いつもより、やけに張り切った出迎えの声が響き渡り、妙な笑みまで手向けられた。
同時に、
「京さん!遅いわっ!」
羽織袴、つまり、新郎の格好をした二代目が駆け寄って来る。
「さあさあ、皆、お待ちかねだ!京さん正装してるし、そのまま来なよ!月子ちゃんの姿見てみなよっ!」
「二代目?!お前、祝言だったろう?後から挨拶に行くつもりでいたが……なんでここに?!」
「何でもいいからっ!さあ!行くぜ!」
二代目が、岩崎の腕をつかんで離さない。
「いえ、田口屋様、流石に晴れの舞台です。京介様にも、お召し替えしていただかないと」
執事の吉田が、真顔で二代目を注意するが、岩崎はさっぱりわけがわからなかった。
「……吉田。演奏会は終えてきたのだが?何かあるのか?!」
これ以上まだ演奏するのかと、岩崎が吉田を怪訝に見る。
「チュッチュッチュッーの、しゅうげんだよー!」
戸惑う後ろから、お咲が嬉しげに声を上げた。
「祝言は二代目だろう?」
「まだ分からないかねぇ。せっかくだから、京さんも、祝言あげちまったらどうだ?!と、話が上手くまとまってさっ。ちょうどいいじゃねえか!」
へへへっと、二代目は笑うが……
「いや、ちょうどいいも何も!!」
岩崎にとっては、寝耳に水の話だった。しかも祝言。ついでに行うものではなかろうに……。しかし、周りの皆は、知っていたのか、この企てを喜んでいるとしか見えない。
「な、何を勝手なことを!月子の身にもなれ!突然すぎるだろっ!」
「あら!大きな声がすると思ったら、やっぱり帰ってたのね!京介さん!さあ!早く早く!」
芳子がひょっこり顔をのぞかせ、
「ああ、やっと帰ってきたか。待ちくたびれたぞ!京介」
その傍らでは男爵が、ほんのり頬を染めてご機嫌な様子でいる。二代目と梅子の祝言でいくらか祝い酒を飲んだのだろう。
「い、いや、あのですね!兄上?!」
「やだ!京介さん!あなた、月子さんと祝言挙げないつもり?!」
きいぃーと、歯ぎしりが聞こえそうに、芳子が叫ぶ。
「うわっ、それ、男としてどうよ?!」
二代目が、驚愕し、
「ほんと!そうだわね!田口屋さん!」
更に、芳子は眉を吊り上げる。
「あーー、なんか、お取り込み中みたいですが、それ、祝言とやら、取材させて頂いても構いませんか?」
手帳と鉛筆を構えた沼田が、男爵夫妻に許可を得にかかった。
「おう!記者さんよ!めでたい席だから、是非に是非に!ねぇ、岩崎の旦那?」
「ああ、むろん構わないよ」
男爵は、朗らかに笑い、芳子も大きく頷いている。
たまらないのは岩崎で、何を言っても無駄だと理解したのか、皆の調子の良さに呆れたのか、呆然とするのみだった。
「……仕方ないというわけか」
「うわっ、京さん、感じ悪っ!月子ちゃんが聞いたら泣くぜっ!」
この二代目の一言に、屋敷の皆まで、そうだそうだと、言い出して岩崎の立場は完全に無くなってしまった。
「わかりましたよ!わかりましたから!」
「そうこなくっちゃ!月子ちゃん待たせてもいけねえよ!執事さん、ちゃちゃっと京さんの支度整えてくれよっ!」
かしこまりましたと、吉田は律儀に頭を下げ、岩崎は二代目に引っ張られながら屋敷の内へ向かう。
その様子を、男爵夫妻、屋敷の皆は、嬉しげに眺めている。
「あれ?確か、祝言あげてませんでしたかね?何度挙げれば気が済むのやら。ほんと、チュッチュッチュッだなぁ」
沼田が、ポツリと言った。