テラーノベル
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店を飛び出してから、二人は一言も言葉を交わさなかった。
ナオミが無言で拾ったタクシーの座席でも、ただひたすらに重い沈黙が流れている。
ナオミは、窓の外を流れる昼下がりの景色を見つめたまま、微動だにしない。
いつもの妖艶な笑顔も、さっき直美を言い負かした時の容赦ない鋭さも消え失せていた。ただ、どこか遠くを見つめるその横顔は、ガラス細工のように綺麗で、今にも壊れてしまいそうに儚い。
(私……やっぱり、出しゃばりすぎちゃったのかな。いくらナオミさんのためとはいえ、健司さんは渡さないなんて、あんな大声で……っ)
思い出して今更顔が火を噴きそうになるのを必死で堪えながら、穂乃果はギュッと自分のスカートの裾を握りしめた。ナオミの横顔を盗み見るたびに、胸がちくちくと痛む。
やがてタクシーが停まり、二人は静まり返った部屋へと戻った。
荷物を置いて、リビングのソファに腰を下ろした瞬間、どっと緊張の糸が切れたような空気が空間を満たす。
並んで座るソファの距離が、やけに近く感じられた。
「さっきは、ありがとう。穂乃果……」
ぽつり、と。
ネオンの下のママのトーンでも、エリート青年のトーンでもない、ひどく素朴で、掠れた地声がナオミの唇から溢れた。
「――っ! い、いえ! 私こそ、あんな出しゃばった真似をして、本当にすみませんでした……っ! ナオミさんの気持ちも考えずに、偉そうに大声を出しちゃって……!」
慌てて頭を下げて謝る穂乃果を、ナオミは咎めるどころか、ふっと力なく微笑んで見つめていた。その瞳が、いつもよりずっと優しくて、どこか脆い。
「ううん。違うの……。穂乃果はいつも、アタシの全てをそのまま肯定してくれてたから、忘れてたのよ」
「忘れてた、って……何をですか?」
小首を傾げて問いかける穂乃果に、ナオミはすぐに答えず、ただじっと自分の大きな掌を見つめて黙り込んでしまった。
時計の秒針の音だけが響く静寂。けれど、その沈黙はタクシーの中のそれとは違って、どこか甘くて、切ない。
どれくらいそうしていただろう。
ナオミはゆっくりと視線を穂乃果に戻すと、試すような、けれど少し怯えるような声で囁いた。
「ねぇ、穂乃果は気にならないの? アタシがなんで『ナオミ』って名乗ってるのか、とか」
直美に言われた「気持ち悪い趣味」という言葉が、やっぱりナオミの胸の奥にトゲのように刺さっているのだ。穂乃果はそれを痛いほど察した。
穂乃果は少しだけ考えて、それからナオミの綺麗な瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「そりゃあ……気になりますけど……本人が言いたくない事を無理に聞き出さなくってもいいかな? って」
嘘偽りのない本音を口にしながら、穂乃果はそっと、ナオミの大きな掌の上に自分の小さな手を重ねた。
「それに、私が出会った時、すでにナオミさんだったんだから、誰が何と言おうとナオミさんはナオミさんでしょ?」
――あなたの生き方を、私は何があっても否定しない。
想いを全部込めてそう言い切ると、ナオミは弾かれたように目を見開いた。
いつも完璧に世界を従えているはずのその瞳が、微かに潤んで揺れている。
「穂乃果、あんたって子は、本当に……っ」
「……大丈夫ですよ。泣きたいときは思い切って泣いていい。……ナオミさん、私にそう言ってくれたじゃないですか」
穂乃果はそっと腕を伸ばすと、自分よりもずっと大きな、その広い背中を優しく抱き寄せた。
そうして小さな手でゆっくりと背中を擦ると、引き締まったナオミの広い肩が、小さく、小刻みに震えているのが掌を通じて伝わってきた。
夜の街で誰も寄せ付けない圧倒的な女王として君臨し、昼間は完璧なハイスペックの男として立ち回る。
そんなナオミが、生まれて初めてすべての鎧を剥ぎ取られ、ただの傷ついた一人の人間として、穂乃果の胸の中で震えていた。
「……ずるいわよ、あんた」
ナオミの大きな手が、穂乃果の背中に回される。
壊れ物を扱うように、けれど切実な強さで、ナオミは穂乃果の小さな身体を強く抱きしめ返した。
穂乃果の肩口に顔を埋めたナオミの呼吸が、微かに、熱く乱れる。
「そんなこと言われたら……アタシ、もうあんたを離せなくなっちゃうじゃない……」
その呟きは、ネオンの下の妖艶な毒を孕んだ低音ではなく、純粋で、どこまでも甘い懇願だった。
コメント
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あおいです🌷 タクシーの中の重い沈黙から、リビングでナオミさんが初めて素の声で「ありがとう」って言った場面、本当に胸にきました。「気持ち悪い趣味」って刺さった棘を、穂乃果ちゃんが「あなたの生き方を否定しない」ってまるごと包み込んだ優しさに、私もじんわり涙腺が緩みました。すべての鎧を脱いで震えるナオミを、そっと抱きしめるラスト…もう何度でも読み返したいです。お二人の距離が確かに変わった、大切な回でしたね。
猫塚ルイ
