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ソラマリアが封印を剣先から剥がすと責めるような視線を感じた。顔を上げると、こちらを見ていたリューデシアは床に落ちた鶴の剥製へと目を移す。そして魂無き剥製を拾い上げながら徐々に落ち着きを取り戻したのか、静かに問う。
「可哀想だって思わない?」
それが自身とレモニカのどちらに向けられた問いなのか、ソラマリアには分からなかった。
未だ招かれざるレモニカは開け放たれた扉の前で答える。「もちろん同情心はありますし、わたくしたちとて解決策を模索しています」
「解決策? 彼らの魂を自由にしつつ、魔導書を無力化するってこと?」
「そうですわね。それが理想です」
リューデシアは拾い上げた剥製の断面から溢れる詰め物の綿を見つめて何事かを考えている。
「まあ、いいよ。飲み物でもいかが? 何かお話に来たんでしょ?」剥製を文机の上に置き、代わりに椅子を動かして、リューデシアは促す。「私も、私の可愛い二人の妹とお喋りしたかったんだ」
「私のことはお気になさらず」とソラマリアは端的に断る。
「おかしいの。昔はもっと親し気な口調だったのに、姉相手だからってそう畏まらなくてもいいよ」
「いや、私は大王家に仕える身として王女に――」
「いいから」と有無を言わさぬリューデシアの言葉にソラマリアは従わざるを得なかった。
レモニカが入室し、ソラマリアが続こうとした時、廊下の右方から近づいてくる者がいた。
ソラマリアが誰何を問う前に、「取り仕切る者と申します。御用聞きに参りました」と給仕らしき格好をした女が告げた。「何なりとお申し付けくださいませ」
名前からして使い魔のようだが、見た目は人間と遜色ない。白い肌の反射光が若干強い程度だ。
ソラマリアはリューデシアに伝えようとしたが、その使い魔の声は聞こえていたらしく、「全て饗す者に任せているの。下がっていいと伝えて」と答えた。
ソラマリアは取り仕切る者に伝えようとしたが、その王女の声は聞こえていたらしく、「承知仕りましてございます」と答え、辞儀をして去った。
すぐ後、饗す者がやって来て料理の残った皿を――魔法のように――片付け、紅茶と菓子を並べて立ち去った。ソラマリアの見たこともない濃い色合いの紅茶と扁桃の香る焼き菓子だ。
「それで、その姿について、聞いて良いの? ソラマリアの一番嫌いな人? ってことだよね?」
「わたくし自身の姿ですわ」とだけレモニカは答えた。
リューデシアは眉を寄せ、レモニカとソラマリアの顔を交互に見つめる。ソラマリアは一口紅茶を飲み、紅茶の喉を焼くような薬味に顔を顰め、御茶菓子に伸ばした手を引っ込める。
「つまり、ソラマリアは、レモニカを最も嫌っている、という意味、だよね?」リューデシアは濃霧の中を歩むように尋ねる。
レモニカはそれに答えず、茶碗に口づける。自分で言え、という意味だとソラマリアは解した。
「その通りです。恥じ入るばかりなのですが、嫉妬しているのだ、と」そこまで言ってソラマリアは自分の顔が仄かに熱を帯びるのを感じた。
「レモニカを!? どうして? 妬む要素なんて……。あ、ごめんね。そういう意味じゃなくて。でも何で?」
「あまりお責めにならないで、お姉さま」とレモニカが柔らかな声で窘める。「ソラマリアはそれだけお母さまを愛していたということですわ」
「ああ、なるほどね」とだけ言ってリューデシアは何かを思い出すように宙を見つめていた。
おそらく護女たちを連れ去った時のことだ、とソラマリアは推測する。ヴェガネラ王妃が如何に素晴らしい人物であるか、その娘に語って聞かせた覚えがあった。
「嫉妬に狂うほどに?」とリューデシアは独り言のように呟いた。「……そう。だからって一番嫌いな生き物? そこらの虫や溝鼠よりも嫌いってこと? ちょっと信じがたいんだけど」
「ソラマリアを恐れさせる生き物などいませんもの」とレモニカが得意そうに言い、ソラマリアは自分にしか分からないほどささやかな微笑みを浮かべた。
「そっちじゃなくて、君だよ、レモニカ。よく一緒に居られるね」とリューデシアが指摘する。「どうして信用できるの? 言っては何だけど、妬み嫉みはありふれた悲劇の源泉だよ。女神落とし子。マルカティシアの二人の兄。揺籃の賢者の不遜な弟子」
「それなりに時間を過ごしましたので……」
「その理由が知りたいんだけど、まあ、いいよ」リューデシアの言葉は急流の如く遠慮なく流れてくる。「ソラマリアはどうなの? 任務とはいえ妬ましい女と一緒にいて辛くないの?」
「いいえ。それに、王妃が、私を娘にしようとしてくださったことを知って、それはつまり後にレモニカ様をご出産なさることを踏まえてですから、その、つまり……」
「姉として、ね」とレモニカが付け加える。
「なるほど。私が攫われたから、姉代わり?」と呟くリューデシアの顔を見られず、ソラマリアは机の上のお菓子を見つめていた。「姉なんて先に生まれたってだけだと思うけどね。大体こうして私が戻ってきた以上、姉代わりの必要なんてないんじゃない?」
そもそもリューデシアの代わりだったのかもしれない、という発想がソラマリアには無かった。なれるはずもなく、必要もないはずだ。
その時、叩音もなく不躾に扉が開き、ソラマリアは抜刀と共に立ち上がって振り返る。そこにいたのは給仕の使い魔取り仕切る者だった。
「何か御用は――」
「誰の命令下か答えろ」とソラマリアが【命じる】と取り仕切る者は機嫌の悪い子供のように頬を膨らませる。
次の瞬間、ソラマリアは宙を斬るように剣を振り上げ、鋭い音を立てた。叩き、弾いたのは鋭い先端に殺意を秘めた針だった。取り仕切る者が更なる針をレモニカ目掛けて吐き飛ばす。それも決して口の中には納まるはずのない量を次々と射出する。しかしどのような壁にも防具にも劣らないソラマリアの剣によって飛来する針は全て防がれた。
けたたましい音を立てて机が倒れる。レモニカがその身を守るために倒し、リューデシアと共に机の天板の陰に隠れたのだった。
すると針は止み、取り仕切る者を名乗った使い魔は二本の短剣を袖から取り出して握りしめる。
その短剣はソラマリアにも見覚えがあった。殺しの魔術を修めた使い魔殺す者の得物だ。ユカリ派であり、レモニカに手を出す理由はない。つまりやはり何者かに【命令されている】ということだ。こんな真昼に襲撃してきたのは、命令の範囲内で作戦が失敗しやすい機会を選んだ殺す者の解釈による精一杯の抵抗だろう。
殺す者はしかし部屋を出て、扉を閉めた。部屋から離れる足音は聞こえないが、聞かせないくらいのことは出来るだろう。背後の窓から改めて襲撃するつもりか、そう思わせて再び扉から入ってくるつもりか。いずれにせよ、殺す者にソラマリアは殺せない。最大の障害を排除してからレモニカを狙うということはないはずだ。ソラマリアは机の天板と自身で姉妹を挟み込むように位置取る。
長い静寂が十分に部屋の隅々まで満たされた、その瞬間を見計らったように激しい叩音と共に蹴破られた扉がソラマリア目掛けて飛んでくる。それを斬り落とすのはソラマリアにとってあまりにも容易いことだったが、吹き飛ばされた扉と同じ速度で侵入できる者については慮外のことだった。
扉を叩き割った時には既に殺す者の刃は暗殺対象の首元に迫っており、並外れた瞬発力を持つソラマリアでも間に合うはずはなかった。だが、しかし、それでも、殺す者はソラマリアの剣によって叩き斬られ、封印が露わになるまで白磁の人形は粉砕された。
殺す者の刃がレモニカの喉元に届く前に一瞬止まったのは、その暗殺者が机の陰でリューデシアと身を守るように抱きしめ合うソラマリアの姿を目にしたからだった。
ソラマリアの姿のレモニカが、一体何が起きたのかと不思議そうにリューデシアとソラマリアと砕かれた白磁の人形を見比べ、最後に自身の手を見つめる。
「ああ、そういえば言っていませんでしたね」とレモニカはようやく気づき、リューデシアに説明しようとする。「以前にも変身したことがあるのですが……」
「私、そんなにソラマリアのことが嫌いなの? 溝鼠よりも?」
誰にも何とも言えなかった。