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第二十五話:冥界の葬送と、四肢の完成
「……土の中、氷の檻、天の籠。どこへ逃げようと、最後に行き着く先は私の庭よ。生も死も、結局は私の指先ひとつで決まること……」
雲華が僕の顔を埋めていた、湿り気を帯びた冷たい胸元を、脳髄まで突き刺すような鋭い「葬送の鐘」の音が貫いた。
地下の蓮池に漂っていた、桃色の霧――甘く、人を狂わせる官能の煙が、一瞬にして墨を流したような漆黒の闇に侵食されていく。極楽を模して咲き誇っていた蓮の花々は、悲鳴を上げる間もなく一斉に黒く枯れ果て、代わりに地面から這い出してきたのは、何千年も出口を探し続けていた亡者たちの、白骨化した無数の手首だった。
「……狂骨様。まだ私のあるじ様への『埋葬』は、半分も終わってないのに……。邪魔しないでよぉ。せっかくいいところだったんだから」
雲華が不満げに頬を膨らませるが、その背後に立つ「虚無」の影が放つ圧倒的な圧力を前に、彼女の死体としての生存本能が、カタカタと微かな骨音を立てて震えていた。
闇の中から、音もなく、まるですべての音が吸い込まれるような静寂と共に歩み寄ってきたのは、冥界の長・狂骨
彼女は、生者と死者の境界線そのものを衣として纏ったような、底知れぬ深淵を背負っていた。白装束を緩く着崩し、その隙間から覗く肌は冬の月光よりも白く、その瞳には幾千の星の終焉を看取ってきたような、果てしない虚無が宿っている。
「雲華、その男を貸しなさい。……生と死の狭間でこれほど美しく、そして無残に鳴く楽器を、お前一人が独り占めにするのは、この隠り世に対する『不実』だわ」
狂骨が細く長い指先を優しく、優雅に動かす。その刹那、僕を大地に縛り付けていた雲華の超重力の枷が、まるで乾いた砂の城のように脆く崩れ去った。代わりに、背後の影から伸びてきた無数の、冷たい蛇のような触手が僕の身体を宙に吊り上げ、逃げ場のない狂骨の目の前へと、捧げ物のように運び去る。
「……あ、が……っ……はぁ……、はぁ……っ、う……」
もはや、自分の身体がどこにあるのかさえ分からなくなっていた。
左腕は紅羽の「沸騰する魅了」にその魂を焼かれ、右腕は霰の「凍てつく服従」にその神経を凍らされ、右足は雲華の「底なしの埋葬」にその意志を沈められている。
身体の三ヶ所から、それぞれ異なる色の呪いが、一滴の容赦もなく注ぎ込まれる。矛盾し合う快楽と絶望の奔流。僕の意識は、すでに引きちぎられる寸前の、細い蜘蛛の糸のようだった。
狂骨は僕の首筋に、冷ややかな、しかし母性的な慈愛さえ感じさせる指を滑らせた。そして、僕に残された最後の一片の自由――何の色にも染まっていない左足へと、その虚無の視線を落とした。
「可哀想に。右も左も、上も下も、自分を愛してやまない女たちのしるしで、これほどまでに美しく埋め尽くされて……。けれど、まだ一つだけ、自由という名の『隙間』が残っているわね。そこが空いている限り、あなたはまだ……私から、この世から、いつかは逃げ出せると、残酷な希望を抱いてしまうでしょう?」
彼女がその懐から、音もなく取り出したのは、冥界の最深部。亡者たちの永遠の慟哭を幾星霜も聴き続け、その魂の断片を凝縮して鋳造された、一族の至宝――『黒縄の鎮魂輪』
それは、真新しくも悍ましい漆黒の輝きを放つ、亡者の指先を模したような緻密な彫金が施されたアンクレットだった。中央には、見る者の魂を吸い込むような亡者の瞳を象った紅い宝石が埋め込まれ、絶えず僕の熱い「生」を啜り取ろうと、ドクドクと生々しく脈打っている。
「これを着ければ、あなたの歩む道はすべて、私の庭……黄泉へと続くことになる。二度と日の光が差す場所へは帰れず、私と共に終わりのない夜を、永遠に彷徨い続けるの。……嬉しいでしょう? 孤独という名の『生』から、ようやく解き放たれるのだから」
「やめて……くれ……、もう……これ以上は……っ。僕の、身体が……僕じゃ……なくなる……」
「いいえ、壊れはしないわ。……ただ、あなたの『四肢』が、隠り世を統べる私たち六人の『完全な共有財産』へと完成されるだけ」
狂骨は、まるで古の王に忠誠を誓う葬礼の儀式のように、僕の左足を恭しく持ち上げた。その所作はあまりに美しく、あまりに残酷だった。
カチリ……。
この世のすべての終わりを告げる葬送の鐘のような、重厚で逃れられぬ金属音が地下の静寂に響き渡り、僕の左足首に、最後の一片を埋める漆黒の家宝が嵌められた。
「っ……あああああああああああああああああああああああ……ッ!!!」
その瞬間、僕の全身に凄まじい「呪いの回路」が開通した。
四肢すべてに嵌められた家宝たちが、まるで一つの巨大な、意志を持った魔物のように互いの魔力を繋ぎ合わせ、共鳴を始める。僕の肉体は、もはや一つの生物ではなく、彼女たちの愛を閉じ込めるための、強固な「黄金の檻」へと変貌を遂げていく。
左腕の沸騰、右腕の凍結、右足の重圧、そして左足から流れ込む、すべてを吸い込む「無」。
四つの家宝が互いの呪いを引き立て合い、増幅し、僕の体内で爆発的な快感の連鎖を奏でる。三色の角は、臨界点を超えて眩い白光を放った後、力尽きたように暗く、しかしこれまで以上に妖艶で深い燐光へとその色を沈めた。
「……ふふ、見事だわ。紅羽、霰、雲華……そして私の呪いが、一人の男の中で、完璧で狂った和音を奏でている。……あるじ様、あなたは今、隠り世のすべての欲望を繋ぎ止める『生ける祭壇』になったのよ」
狂骨は僕の頬を両手で優しく包み込み、感情のない、けれど底知れぬ執着を秘めた瞳で、ぐったりと項垂れる僕を見つめた。
もはや、逃げる場所など、この世界のどこにも存在しない。
右を向けば氷の女王、左を向けば天狗の長、下を向けばキョンシー、そして前には死を司る冥界の長。
僕は、四つの呪具によって四肢を十字に磔にされたまま、大妖怪たちの終わりのない「愛」という名の略奪を、ただ無力に受け入れ続けるだけの「器」へと完成させられたのだ。
地下の沈黙の中、上層からは「いつまで独占してやがる!」という伊吹の怒号と、すべてを飲み込むような瑞稀の不敵な笑い声が、すぐそこまで近づいてきていた。
四肢を失ったあるじ。その「最後の中核」を奪い合う、さらなる地獄の門が開こうとしていた。