テラーノベル
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かつての王邸のような贅を尽くした調度品はないが、木の香りが漂う慎ましやかな家屋は、二人の確かな愛の城となっていた。
しかしその日、二人の間を流れる空気は、北の国境よりも冷え切っていた。
原因は、些細なことだった。
元貴が術の使いすぎで倒れたことに対し、滉斗が「己の限界を知れ」と厳しく叱責したのだ。元貴は、皆のために良かれと思ってしたことを否定されたように感じ、珍しく声を荒らげて言い返してしまった。
「ひろぱのバカ! もう知らない!」
そう言い放ってから、半日が過ぎた。
夕餉の時間は、驚くほどの静寂に包まれた。いつもなら、元貴がその日の出来事を話し、滉斗が短くも温かい相槌を打つのが常だったが、今日は食器が触れ合う音しか聞こえない。
目が合っても、どちらからともなく視線を逸らす。
夜、それぞれの寝室へ戻る際も、短い挨拶すら交わさなかった。
一人きりになった元貴は、暗い部屋の寝台で膝を抱えていた。
意地を張って自分の部屋に戻ったものの、胸の奥がちりちりと焼けるように痛む。怒りはとっくに消え失せ、残ったのは、冷たい言葉をぶつけてしまった後悔と、耐え難いほどの「寂しさ」だった。
壁一枚隔てた隣の部屋に、愛する人がいる。
それなのに、世界にたった一人取り残されたような心細さが、元貴を支配していった。
一方、滉斗もまた、暗闇の中で天井を見つめていた。
元貴の身体を案じるあまり、言葉が鋭くなりすぎたことは自覚していた。謝ろうにも、今の自分にはどんな顔をして彼の部屋の扉を叩けばいいのか分からず、ただ氷剣の柄を無意味に握りしめていた。
その時だった。
「……ひろぱ」
蚊の鳴くような、微かな声と共に、襖がゆっくりと開いた。
そこには、枕を抱え、今にも泣き出しそうな顔をした元貴が立っていた。
「……まだ、起きていたのか」
滉斗の声は、昼間の厳しさが嘘のように柔らかかった。その一言で、元貴の張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
「……ごめん、なさい。ひろぱが心配してくれたのに、ひどいこと言って……」
元貴の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。滉斗は慌てて起き上がり、吸い寄せられるように元貴をその腕の中に引き寄せた。
「俺の方こそ、すまなかった。お前を傷つけるつもりはなかったんだ。……ただ、お前を失うのが怖くて」
広い背中に回された滉斗の手は、かつての氷のような冷たさは微塵もなく、驚くほど熱を持っていた。
しばらくの間、二人は言葉もなく、互いの体温を確かめ合うように抱き合っていた。やがて、元貴が滉斗の胸元に顔を埋めたまま、消え入りそうな声で囁いた。
「ねえ、ひろぱ……。今日は、ここで一緒に寝てもいい?」
その願いに、滉斗は一瞬だけ目を見開き、すぐに困ったような、けれど愛おしさに満ちた笑みを浮かべた。
「……当たり前だ。お前がいないと、この部屋は広すぎる」
二人は一つの寝台に潜り込み、重なり合うように横になった。
元貴は滉斗の腕を枕にし、その逞しい胸板に耳を寄せる。規則正しく打つ鼓動の音が、何よりの安眠薬だった。
「寂しかった……。ひろぱと口を利かない時間が、何百年にも感じたよ」
「俺もだ。二度とお前と喧嘩なんてしたくない」
滉斗は、元貴の柔らかな髪を優しく撫で、その冷え切った足を自分の足で挟んで温めた。
かつて王都の中央で、世界に二人きりであるかのように過ごしたあの頃。今、この小さな家の中でも、その幸福は変わらずに存在していた。
「おやすみ、ひろぱ」
「おやすみ、元貴」
窓の外では、元貴の術に共鳴した月見草が、静かに花開いていた。
喧嘩の後の少しの苦みと、それを上書きする圧倒的な甘さ。二人は深い眠りの中で、再び一つの夢へと溶けていった。
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