テラーノベル
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真夏の熱帯夜の中、ひどく寝苦しい。俺は、喉の渇きを覚えて目を覚ました。
暑さからじっとりと汗をかいているのがわかる。気持ち悪くて、着ていたタンクトップを脱いで脱衣所へ持って行った。ベットに戻る前にキッチンに寄って、ウォーターサーバーの水をコップ一杯分注いで飲み干した。
脱衣所から持ってきた洗濯したばかりのタオルで、汗を拭う。
毎日こんなにも暑いと、本当に弱ってしまう。
冷房をつけた方が快適に眠れるだろうかと、エアコンのリモコンを真っ暗な部屋の中で探していると、不意に異変を感じて、俺は体を固くした。
ーー後ろに誰かいる。
その感覚が頭にこびりついて離れなくなった。
背後が嫌に、ヒヤッとしているのだ。涼しいは涼しいけれど、どちらかといえば、背筋が凍るような寒さだった。全身に悪寒が走っていく。
怖くて仕方がない。
お化けも怖い映画も、作り物のお化け屋敷だって、俺は大の苦手なのだ。
でも、後ろを振り返らないと、寝室に戻れない。今すぐに布団の中に潜り込んで逃げたいのに、退路を塞がれてしまっているから、どうすることもできない。
でも、いつまでもこうしているわけにもいかない。
勇気を振り絞って目を固く瞑ったまま後ろを振り返った。
恐る恐る目を開けてみると、そこには誰もいなかった。
なんだ、気のせいか。なんて、ほっと胸を撫で下ろした。
やっと見つけたリモコンを手に取って、寝室へ戻ろうと足を進めた瞬間、リビングの壁にかけていた丸い鏡が目に留まった。
月明かりを頼りに鏡は、俺を映している。
薄ぼんやりとした部屋の中で、青白くて、人のような形をしたそれが俺の背後に立っていた。
俺は深夜であることも忘れて、声の限りに叫んだ。
「イヤァァアアアァァァァッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
「ぅあぁぁぁぁッ!?!!?」
ひどく怖い夢を見て、飛び起きた。
夢だったのだろうか。
いや、昨日、確かに、青白い人みたいな何かが、俺の後ろにいた。
その姿は朧げで、誰だったのかはわからない。ここに住んでいた前の人だったりするのかな。でも、いわゆる事故物件なんてものには絶対に住みたくないから、ここを借りる前に何回も不動産屋さんに確認したのだ。だから、そんなわけ、絶対にないはずなんだ。でも、どうして…?どこからか、俺がお化けを連れてきちゃったのかな…。
ロケでみんなして俺をお化け屋敷に入らせるから、もしかしてその時に…?
朝からジメジメと暑く、蝉の声が鳴り止まない部屋の中で、俺はぶるっと身を震わせて、ベッドから出た。夜の間にかいた冷や汗を流そうと軽くシャワーを浴びてから、ランニングに出掛けた。
今日は午後からそれスノの収録がある。高タンパク質で低糖質な朝ごはんを食べてからジムに寄って、また汗を流し、備え付けのシャワーを浴びて、スタジオへ向かった。
楽屋に入って「おはよー」と挨拶をすると、ふっかが先に来ていたようで「ぅいー、おはよー」とゲーム画面と睨めっこをしながら返してくれた。
俺は昨日の話を誰かに聞いて欲しくて、ふっかに話しかけた。
「ねぇ、ふっか聞いて。昨日めっちゃ怖いことあったの」
「ほぇー。どんな?」
「夜、暑くて一回起きたの。それで、エアコンつけようと思ってリモコン探してたら、後ろに誰かいる感じがしたの」
「はいはい」
「それで、後ろ振り返ってみたんだけど、誰もいなかったの」
「うんうん」
「でね、気のせいかって安心してベッド戻ろうとしたら、鏡の中で、俺の後ろに誰かが立ってたの…!!!!!」
「わぁ、そりゃ怖かったねぇ。」
「…聞いてないでしょ?」
「聞いてる聞いてる」
「反応薄くない!?俺めっちゃ怖かったんだけど!!」
「照しょっちゅうホラー企画とかお化け屋敷ロケとか引っ張り出されるから、どっかで連れてきちゃたんじゃないの?」
「やっぱりふっかもそう思う?お祓いとか行ったほうがいいのかなぁ…」
「んまぁ、しばらく続くようなら、行ってみてもいいんじゃない?」
「そうだね、そうする。。。」
俺はその日から、自分の背後を気にしながら生活するようになった。
そんな毎日を過ごしていて気付いたことがある。
そいつは昼間は現れない。気配もしないのだ。
でも、夜、俺が寝る時間になると、どこかひんやりと寒くなって、目を覚ませば、鏡にあの青白い人影が映っている。俺の目では見えないのだが、鏡越しに見えるそれは、体を俺の方に向けていて、部屋の隅っこから静かに俺を見ているのだ。
初めこそ怖くて仕方なかったけれど、毎日この状態が続くと、怖がりの俺でも流石に慣れてきて、あんまり気にならなくなった。
なにしろ、その影は俺に何もしてこないのだ。無害という言葉がすごくしっくりくるほどに、ただただ、俺を毎晩見に来るだけなのだ。
そんな生活が一週間ほど経った頃、また、ひんやりとした部屋の温度に身震いして目を覚ますと、視界の端にその人影が見えた。
鏡を通さなくても、自分の目でお化けが見えるようになった。
鏡で見ていたときと同じように、その姿はぼんやりしていたけど、どうやらそれは男性の背丈で、骨格も男性のものであることがわかった。お化けといえば、女の人と勝手にイメージしていたから、この部屋に来るこの人は男性だったのかと、少し驚いた。
「あれからどうよ、お化け消えた?」
MV撮影の休憩中、ふっかが俺に話しかけてきた。
「ううん、まだいる」と答えると、ふっかは驚いたような顔をした。
「えぇっ!?最初にその話聞いてから結構経つよね?お祓い行かなくていいの?」
「うん、なんか、別に何もしてこないんだよ、その人。だから気が済むまでうちにいてもいいかなって思ってきてる」
「えぇ、、あんなにお化け嫌いな照がそんなこと言う?あんまり優しくすると、取り憑かれちゃうかもよ?」
「なんか慣れちゃったんだもん。害ないし。そうだ、それより、ふっか、今日ご飯食べに行かない?」
「どうした急に。」
「なんかラーメン食べたい気分なの。付き合ってよ」
「…っ、いいけど。」
「あと、食後にタピオカ飲みに行こ!」
「ラーメン食ってタピオカ!?お前さぁ、そんな高カロリーどうやって消費しろって言うんだよ…こちとら、もう三十代ど真ん中だぞ?代謝落ちてきてんだからな?」
「どうせふっかオフの日はろくにご飯食べないんだからいいでしょ?今日摂れるだけ摂っとこうよ」
「へいへい、しゃぁねぁな。ったく、一度決めたら曲げねぇんだから」
「んふふ、やったぁ」
渋々だけど、ちゃんと付き合ってくれるふっかの優しさが嬉しくて、タピオカが飲めることにもうきうきして、思わず満面の笑みをこぼした。
「「いただきまーす」」
深夜でも空いている家系ラーメン屋さんのカウンターで、ふっかと二人でラーメンを頼んだ。いつも減量メニューとか、筋肉にいいご飯とかを食べるけど、こういうジャンクな食べ物もたまには食べたくなる。ふっかはラーメン屋さんに着くや否や「麺固め、味濃いめ、油多めで」と言いながら注文していた。
あれだけタピオカが高カロリーだなんだと言っていたのに、ラーメンはコッテコテにするコイツは、やっぱり面白い。
「っはぁ〜、食ったし飲んだわ」
「お腹いっぱい。んふ、おっきいサイズにしてよかった。これすごく美味しい。」
「まだ飲んでんのかよ…お前の胃袋どうなってんのマジで」
「ん?甘いものは別腹っていうでしょ?」
「別腹サイズのタピオカじゃないから聞いてんだよ…ったく…。」
「ふっか、ありがとね。」
「ん?」
「今日付き合ってくれて。なんだかんだいって、ふっかと一緒にご飯食べるのが一番楽しくて美味しいから。」
「別に、メシくらい…いつでも付き合うよ…」
「優しいね。ありがとう。じゃあまたね。おやすみ。」
「はいはい、おやすみー」
満たされたお腹のまま、自宅に到着して、玄関のドアを開ける。
ふっかと過ごすのは楽しい。メンバーだけど、いい友達だとも思ってる。
またラーメンが食べたくなった時はふっかに声を掛けてみようと思いながら、風呂場へ向かった。
その日の夜、またいつものように肌寒くて目を覚ますと、体に違和感を感じた。
体が動かないのだ。
頭の先からつま先まで凍ってしまったかのように、ぴくりとも動けなかった。唯一自由の効く目を動かして、部屋の中を見回すと、ベッドの右端、俺のそばに青白い人影があった。
いつも遠くから俺を見ていた、ぼんやりとしたその人影は、今日初めて俺に近寄ってきた。
変にこの存在に慣れてしまった俺は、その人影をじっと見続けた。すると、徐々にその影の輪郭がはっきりしていって、体の形から、髪型まで、その表情までもがはっきりとわかるようになった。
瞬間、俺は目を見開いた。
俺はその顔を知っていたから。
ついさっきまで俺が一緒にいたあいつ。
深澤辰哉が、俺の顔を静かに見つめていた。
「ぅぉぉおっ!?」
また、飛び起きて朝を迎えた。
なんだったんだ。絶対に夢じゃない。確実に、昨日、俺の枕元にはふっかがいた。
でも、どうして?
本物のふっかにしては体が透けていたし、生気のないような青白い顔をしていた。ふっかは常に色が白くて、いつだって健康的というには程遠い顔色をしてはいるが、昨日のふっかは完全に血が通っていないような真っ青な顔をしていた。
ふっかは生きているはずなのに、どうして?
いや、もしかしたら、ふっかが本当に来ていたのかもしれない。
合鍵を渡した覚えはないから、もしかしたら、あの日、二人の家がある方向の分かれ道で解散せずにうちに来てもらったのかもしれない。
でも、今、この部屋には俺以外の気配はない。
ゾクっとする感覚が背筋に走る。
頭を振って、変な考えを振り解くようにして仕事に行く準備をした。
次のライブと、新曲の打ち合わせのために、事務所の会議室に入ると、早く着きすぎたのか、そこには俺とふっかしかいなかった。
「ぅいー、おはよ。昨日ありがとね」
と、ふっかが俺にいつも通りの挨拶をしてきた。このタイミングで、気になっていることを聞いてしまおうと、俺はふっかに近寄った。
「ねぇ、ふっか。昨日俺の家来た?」
「…は?」
「いや。昨日の記憶あんまりなくて、タピオカ買いに行った後、俺ふっかに泊まってもらったんだっけ、って」
「いや、俺まっすぐ帰ったけど?大丈夫?」
「あ、ぁあ…うん、ごめん。そうだよね。なんでもない。」
やっぱりふっかはうちには来ていないみたいだ。
なら、どうして?
余計に謎は深まるばかりだった。
うちにいるものが、ふっかだとわかった日から、そいつは俺が夜、自宅で過ごす時間にも現れるようになった。だけど、やっぱり後ろから俺を見ているだけで、何もしてこない。この存在がなんなのか気になって、ネットで「生きているのに霊」と訳の分からない日本語で調べてみた。
検索結果には「生霊」と書いてあった。
「生き霊かぁ」
この存在に何の疑問も持たなくなってきて、俺はそのうちに、家に帰ると部屋の隅っこに座って俺を待っている生き霊のふっかにに「ただいま」と声を掛けるくらいまでになった。こいつが、俺の生活の一部になってきた頃、俺は生き霊のふっかに「こっち来なよ。そこ、テレビ見えないでしょ?」と言った。
霊相手に俺は何を言ってるんだ?と思いつつも、なんだかずっと後ろで静かに座っているこいつに、寂しさみたいなものを覚えたんだ。
いつも会っているふっかは、いつだって喋っててうるさくて、たまに鬱陶しくて。
そんなやつが、俺の家では透けた体で、一言も喋らず、近寄ってくることもせずに、ああやって佇んでいるのが、何だか心細かったんだ。
生き霊のふっかは俺の声が聞こえているのかどうかわからなかったけど、ぴくりとも動かなかった。
やっぱりコミュニケーションは取れないか、と麻痺し始めているのかもしれない自分の思考に自嘲しながら、もう一度テレビの方を向いた。
しばらく映像に夢中になっていると、不意にヒヤッとした温度が腕を掠めた。
びっくりしてその方を見やると、俺が座るソファーの隣に、生き霊のふっかが座っていた。その顔には表情はなくて、楽しいのか、悲しいのか、どんな気持ちなのかはわからなかったけれど、俺のさっきの言葉が聞こえていたのか、近付いて来てくれたようだった。
一言も話さないふっかと無言でテレビを見て、その日は眠りについた。
そんな日々はあっという間に過ぎて、俺はもう当たり前のように生き霊のふっかと生活するようになっていた。
いまだにふっかは何も喋らないけど、誰かが家の中にいて、なんなら知り合いだし、この状況は、俺としては寂しくなくてありがたかった。
初めはあんなに怖がっていたのにな、と思うと人間の「慣れ」という力はすごいなと、変に感心した心持ちだった。
「ふっか、そろそろ寝るね。おやすみ」
生き霊のふっかにそう伝えると、ふっかの影が一瞬だけブレて、青紫色の唇が小さく動いた。
「ひか、る…おや、すみ…」
「へっ!?」
喋った……。
ふっかが喋った。
たった一言だけだけど、俺に返事をしてくれた。
俺は、よくわからない感動を覚えながら、ベッドに入った。
初めは鏡越しに現れただけ、次に姿形がはっきりしていって、俺が起きている時間帯にも現れるようになって、今日、初めて喋った。
なんだか、どんどんふっかの力みたいなものが強くなっているみたいだった。
現実に生きているふっかは、相変わらずケロッとしていて、多分だけど、生き霊のふっかがここに棲み憑いているなんて、夢にも思っていないんだろうな、と思った。
でも、それを現実のふっかに言ったら、きっと今のこの生活は、夢が覚めたようにパッと消えてしまうような、そんな気がした。それは、嫌だった。
どうしてかはわからないけど、今のこの毎日がずっと続いてくれたらと思う自分がいる。
もしかしたら、明日からはふっかがもっと喋れるようになっているかもしれないと、現実味のない淡い期待をしながら、俺は眠りについた。
今日も、相変わらず、ふっかは俺の枕元に立っていた。
コメント
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不思議不思議🤔💛💜