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熱海駅から5分ほど歩いて着いたのはモダンな佇まいの
「TULLY’S COFFEE プリンス スマート イン 熱海店」
店内に入ると
尊さんは迷わずブラックコーヒーと「みみまでやわらかフレンチトースト セット」を注文し
俺は空腹に負けてボールパーク ドッグと、秋の訪れを感じさせる「ほっこりカラメルOIMOラテ」を選んだ。
窓際の席に腰を下ろすと、目の前には熱海の街並みが広がっている。
尊さんは、運ばれてきたコーヒーの香りを深く吸い込むと、陶酔したように静かに目を閉じた。
その彫刻のように整った横顔を前にして、俺は妙な緊張感を覚え、逃げるようにラテを口に運んだ。
店内に流れる穏やかなジャズの旋律が、周囲の適度な話し声と溶け合い
心地よい膜のように俺たちを包み込む。
「んん~、おいしっ!このラテもお芋の甘さが体に染みて美味しいですっ!」
思わず声を弾ませた俺を見て、尊さんの口角が不意に上がった。
「ふっ……お前、口元にケチャップつけすぎだ」
そう言うと、尊さんは身を乗り出し、手慣れた仕草で紙ナプキンを俺の唇に当てた。
指先から伝わる微かな体温に、心臓が跳ねる。
(は、恥ずかしい……っ)
顔がカッと熱くなるのが分かった。
俯く俺の視界で、尊さんは満足そうに自分の朝食に戻る。
「ん……コーヒーもフレンチトーストも……美味い。来てよかったな」
その一言が、何よりも甘いデザートのように俺の胸を満たした。
◆◇◆◇
温泉旅行2日目。
枕元の時計が7時を回ったころ、俺は意識を浮上させた。
隣のベッドからは、尊さんの規則正しい寝息が微かに聞こえてくる。
昨晩の光景が、鮮やかな残像となって脳裏をよぎる。
温泉街の夜景を眺めながら語り合った時間。
湯気に包まれた露天風呂。
そして交わした晩酌、珍しく酔った尊さんは驚くほど饒舌で
普段の険しさが消えた無防備な顔は、まるで俺だけが知る秘密の宝物のようだった。
俺は静かに起き上がり、窓辺へと歩み寄った。
カーテンを開けると、朝日に照らされた相模湾が、まるで砕いた宝石を撒いたように金色に煌めいている。
網戸越しに届く潮の香りが、少し重たい寝起きの頭を爽やかに吹き抜けていった。
「きれいだなぁ……」
独り言がこぼれた瞬間、背後で衣擦れの音がした。
「……早いな、恋」
低く、掠れた声。
振り返ると、尊さんが髪を乱したまま上半身を起こしていた。
いつもの凛々しさは影を潜め、微睡みの中にある気だるげな表情が、妙に男らしくて目を逸らせなくなる。
「あっ、おはようございます! 起こしちゃいましたか?」
「おはよう。……いや、ちょうど目が覚めた」
尊さんは大きく伸びをして、浴衣の襟元を緩めながら「腹減ったな」と小さく笑った。
タイミングを見計らったかのように、廊下から軽やかなノックの音が響いた。
仲居さんの手によって運び込まれた御膳は、漆塗りの器が朝光を反射し、それ自体が美術品のような輝きを放っている。
「おはようございます。本日も心ばかりのおもてなしをさせていただきます」
案内された座卓には、瞬く間に色鮮やかな料理が並べられた。
「ご飯は本日も釜焚き、炊き立てをご用意しております。白米かお粥、どちらになさいますか?」
「俺は白米でお願いします」
「同じく」
ふっくらとよそわれた米は、一粒一粒が立っており、湯気とともに甘い香りを振りまいている。
続いて運ばれてきたのは、近海で獲れたばかりの新鮮なお造りだ。
「うわぁ……平目に鮪、鯛まで。宝石箱みたいですね」
「食欲を唆るな……」
尊さんの瞳が、子供のように僅かに輝くのを見て、俺の胸はさらに弾んだ。
そして、仲居さんが最後にうやうやしく差し出した一皿。
「こちら、地元・熱海の名店『釜鶴』さんの干物となっております」
その瞬間、香ばしい煙とともに、凝縮された海の旨みが部屋いっぱいに広がった。
「いただきます」
二人で声を合わせ、まずは白米を口にする。
噛み締めるたびに溢れる米の甘みが、空っぽの胃に優しく染み渡っていく。
「うま……っ! 」
「確かに、こりゃ箸が進むな」
尊さんはそう言いながら、お造りの平目に箸を伸ばした。
彼の箸使いは、無駄がなく、流れるように美しい。
「恋、こっちの平目もどうだ?」
「うわ、食べたいです……! いただきます!」
勧められるまま、ポン酢をひと垂らしして口に放り込む。
淡白ながらも力強い旨みが弾けた。
「野菜も瑞々しいし、出汁の加減が絶妙だな」
煮物を口にした尊さんの表情が、さらに柔らかく解けていく。
「この生姜の効かせ方も最高ですね。冬になったら、こんな味の鍋を突きたいくらいです」
「なら、今度一緒に作って食うか」
冗談めかした、けれど確かな約束を含んだ言葉。
「はい、ぜひ!」
◆◇◆◇
そうして、程なくして主役の干物に箸をつける。
表面はパリッと香ばしく、中の身は驚くほどふっくらとジューシーだ。
皮目がサクッと砕ける音とともに、熟成された旨みが口内を支配する。
「……んんっ。干物ひとつで、こんなに幸せになれるなんて…」
「まったく、大袈裟だな」
そうは言うが、尊さんの視線は干物に釘付けだ。
最後の一口まで惜しむように完食し
「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
食後の余韻に浸りながら、窓の外を見つめていた尊さんが、不意に声を落として呟いた。
「なあ、恋……連れてきてくれてありがとな」
「え?」
「俺のこと気遣って、この旅行を計画してくれたんだろ」
尊さんの視線がゆっくりと俺の方を向く。
「あ、えっ、気づいてたんですか?」
「そりゃあ、誰かのために動いてる時のお前って分かりやすいからな」
「俺が成田のことで気が落ちてるの知って、励まそうとしてくれたってとこか」
「はは…バレバレですね。でもそんな、お礼言われるようなことじゃないですよ、俺がしたくてしただけで…」
「いや、本当に感謝してる。お前といると……いつも通りの自分でいられる」
その言葉に胸が一杯になった。
「えへへ、尊さんが笑ってくれると嬉しいです」
「…にしても、良く恥ずかしげもなくそんな素直に言えるな」
「だって本心ですし!」
「まったく……」
尊さんは照れたように頭を掻く。
「今日は何から行く?」
「んー…色々ありますよね…」
「…なら少し熱海市街を歩きながら考えるか」
朝陽が差し込む部屋で、俺たちは旅の続きに思いを馳せた。