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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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花園劇場は驚くほど静かだった。


パチパチと、まばらな、いや、あきらかに何かに遠慮している拍手が流れている。


チョンと拍子木が鳴り、幕が開いた。


支配人による岩崎の独演会開催宣言のような挨拶があり、今、舞台には、前座としてお咲が立っている。


一階の升席は、新聞広告、雑誌の特集、二代目の強引な勧誘のお陰で、先に行われた音楽学校の発表会よりも観客は集まっている。


お咲も、この数日、中村が連れてきた声楽科の男子学生、山上の指導の元、発声もぐんと上達していた。


岩崎も、数日しかないと、自分の得意な曲に絞って演目を組み立てた。もちろん、学校の教鞭も休み、男爵家へ泊まり込んでチェロの練習に集中していた。


その間、月子は、お咲の練習の為に勢ぞろいしている、中村、山上の食事作りに勤しんだ。


岩崎を支えるつもりが、何故かお咲と、中村達を支えることになり、そして、騒がしくて申し訳ないと、こ近所へ詫びを入れて回りと、月子なりに気を使った。ご近所の皆は、そうゆう事なら独演会も楽しみにしていると好意的だった。


これが、数日の間に行われ、裏では、男爵家執事の吉田と女中頭の清子が、岩崎とお咲の舞台衣裳を用意するという至難の技を繰り広げる。


慌ただしくはあったが、皆、成功の手応えを感じていたのに……。


「まずいですなぁー、雑誌社さんよぉ」


舞台の袖から、様子を眺めている沼田が、野口へ渋い顔で言った。


「新聞社さん、やはり、来賓に観客は遠慮、いや、緊張してんですかねぇー」


「わ、私は、精一杯、お咲ちゃんに教えました……」


手拭いで、緊張からの汗を拭きながら、少し小太りの若者が沼田と野口の言い分を追いかける。


「あー、声楽の山上先生。この場合、指導云々の問題じゃないんでねぇ、一種の運、いや、境遇、いや、うーん、何でこんなことになったんだか。お咲だって、衣裳は、完璧。急遽ではありますが、劇場の下働き使って背後で踊りまで見せる決め細やかな演出……なんでしょ?」


あぁなんで、と、野口が独りごちた。


「雑誌社さんよぉ、流石に、パシャパシャ写真も不味かろうし、というほどの、来賓がまさかやって来るとは想像をこえましたなぁー」


沼田も困り果てていた。


そう……。数日での客集め、新聞は連日広告し、記者二人組で、岩崎男爵へ、後援者についても詰め寄った。のが、いけなかったのか、はたまた、よかったのか……。


二階桟敷席には、中央から左右の席までぐるりと金屏風が置かれ、独演会の支援者でもあるお偉方が陣取っていた。


そこまでは良い。それだけ、後援者が集まったのだから。男爵の手柄と言って良いだろう。


しかし、良く良く見ると、桟敷席に座る支援者達は、夫婦同伴で、シルクハットに燕尾服。夫人はドレス姿という、何故か正装でビシッと決めている。


そして、所々に、巡査までが立って警備を行っているのだ。


「……いくらお忍びだって、まさか、宮家のご当主までやって来るとは、誰も思ってなかったでしょう。そりゃ、あたしら、庶民は、びびりまくりますよ」


「はあー、男爵家って、流石なんだねぇ。やるときはやるってことか……」


野口と沼田が、恐る恐る、桟敷席の中央を見た。


軍服姿の誰がどう見ても、気品が溢れかえっている人物が座っていた。その隣に男爵が座り、談笑を行っている。


「はあーー、すごいねぇ、岩崎男爵ってのは……」


「いや、雑誌社さん、華族ってものは、だろう。でも、なんで、宮様と呼ばれるお方が、お忍びで……」


そんなにも、岩崎という男は凄い演奏家だったのか?と、記者二人組は首を捻った。


「お、お静かに、中村さんが、バイオリン構えましたよ。始まりますよーー」


山上の声は、緊張のあまり裏返っているが、流石、声楽家の端くれ。まるで唄っているような美声に、沼田と野口は、目を丸くした。


「……ということで、ごめんなさいね。月子さん」


芳子が、桟敷席の末席で、先ほどから月子へ耳打ちしている。


「まさか、あのお方がいらっしゃるとは……。お忍び、だから一応名前は伏せておかないといけないし、後ろには、警備の巡査が立っているし……」


「い、いえ、それは良いのですが

……。いったい、お忍びというのは……」


二階桟敷席。数々の支援者、つまり、男爵が集めた華族、資産家達と、距離を置き、芳子と月子の二人はひっそり座っていた。


「ええ、とある、そう、お忍びだから、とあるお方と言っておきましょう。そのお方が、急遽、京介さんの演奏を聴きたいとおっしゃって……。だから、皆、気を使ってドレス姿……」


発表会の時とは異なり、おとなしめの紺色のドレスに身を包む芳子は、少し窮屈だと言いたげな顔をした。


「あ、あの、私は着物なのですが……」


完全に場違いだと月子は思いつつ、一緒にいても良いのかと不安になった。


「大丈夫よ。月子さんは後援会の面々じゃないし、その振り袖もよく似合っているわよ」


芳子は、月子が纏う、ごくごく淡い珊瑚色に菊の花や吉祥模様が配置された着物に目をやり、


「月子さんは、色白だから、どんな色でも似合うのねぇ?」


などと、嬉しそうに言った。まるで、自分も明るい色の着物を着たいと芳子は言いたげだった。


実際、着物は、男爵家が月子のために仕立てた物で、寸法も色味も月子にぴったりだったのだ。


「まだまだ、仕立ててますからね。着々と仕上がってるわよ!だから、月子さん、どんどん外出なさい!」


なんとなく、話があらぬ方向に進みつつあると月子は思いつつ、遠慮ぎみに、お咲の衣裳について尋ねてみた。


舞台には、桃太郎の格好をしたお咲が、唄に出てくる、ミケに、タマに、シロに扮した劇場の男達を従えている。


「あーー、あれ!田口屋さんが言い出して!京一さんに直談判というか、吉田に食ってかかったのよ。デビューがかかっているのだから、桃太郎の格好だろうって!」


「え?」


「でしょー!訳がわからないわ!で、それを揃えちゃったのが田口屋さん!どうやら、花園劇場経由で、他の劇場に桃太郎の衣裳はないかって、問い合わせたみたい……」


それを男爵家で寸法直したようだった。


「まあ本当に、色々あったのよぉ!あら!月子さん!始まるわ!」


桃太郎に扮したお咲へ、すっと一筋光が当たった。


それを合図に、後ろに控えている中村が、バイオリンの弓を引く。


「……お咲ちゃん、大丈夫かな。なんだか、いつもより、緊張している……」


月子は、まさに大舞台に立つお咲を心配した。それと同時に、お咲に続く岩崎は、一人で演奏するのだと心底心配になった。


二人とも大丈夫なのだろうか。


こうして、見物している月子ですら、前回とはまるで異なる雰囲気に、落ち着かないのだ。


実際に舞台の立つとなると、とてもじゃない緊張に襲われるはず。


月子は、はらはらしながら舞台に目をやった。

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