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白山小梅
12
#借金
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結婚式はペンションからほど近い場所にある小さな教会で行われた。木の温かみを感じらる礼拝堂と、大きなガラスから美しく見える緑の木々。明るい日差しが差し込み、二人の門出を祝福しているように感じられた。
扉が開き、奈子が父親と一緒に入場する。海舟は緊張した面持ちで二人が歩いてくるのを待っていたが、奈子の父親が彼女を引き渡すのを渋り、会場からは笑いが起こった。
奈子の両親と海舟は昔から馴染みがあるからこそ、そのやりとりが参列者には微笑ましく感じられたのだろう。
一悶着を終え、無事誓いのキスまで終わると、会場からは祝福の拍手が鳴り響いた。
あれからちょうど五年。昴と出会ったペンションへ行けば、あの切ない記憶が蘇るような気がして少し怖かった。ただ今日はペンションには戻らず、式を挙げたら近くのレストランで食事をするということなので、七香はホッと胸を撫で下ろした。
レストランもかしこまった雰囲気ではなく、ドイツの家庭料理を提供する温かみのある場所で、着替えを済ませた新郎新婦と一緒に穏やかで楽しい時間が流れていく。
親戚が一堂に介して、こんなふうに笑い合うのはいつぶりだろうーーそんなことを思いながら食事をしていると、奈子の隣にいた海舟が祖父たちに呼び出されるのが目に入る。
すると奈子が七香に手招きをしたので、七香は嬉しくなって立ち上がると、大急ぎで彼女の元へ走った。ずっと奈子と話したかったのだが、今日はきっと無理だろうと諦めていたので、ようやく訪れた絶好のチャンスだった。
海舟が座っていた席に座ると、奈子は満面の笑みで七香を迎える。
「七香ちゃん、久しぶりだね。今日は来てくれてありがとう」
「私の方こそ、招待してくれてありがとう! 二人が結婚だなんて、もう嬉しくて嬉しくて……というか、いつから付き合っていたんですか?」
「就職でこっちに戻って一年後くらいかなぁ。彼、遠距離と歳の差をずっと気にしていて。お互い社会人だし、近くに住んで、アタックを続けたらようやくオッケーしてくれたの」
「そうだったんだ……二人が結婚するって聞いた時、本当に嬉しかったの。やっぱり純愛は存在するんだよね……」
「純愛ってほどでもないけどね。私が彼以外を好きになれなかっただけで。でも今の言い方だと、もしかして七香ちゃん、まさかだけど未だにあのことを引きずってたりする?」
そう言われて七香は苦笑した。あの夏の出来事は、長年アルバイトをしてきた奈子にとっても衝撃を与えたようだった。
「引きずってるというか……自分はあんな恋はしたくないって心に刻んだというか……。私ね、恋愛対象として人見ることが出来ないんだ。芸能人とかイケメンな人を見てカッコいいとは思うけど、好きにはならないじゃない? 普段周りにいる一般の人に対しても、それと同じ感情なの。恋におちるっていう感覚がイマイチ理解できなくて……やっぱり、あのことが原因なのかなぁって……」
これは七香がずっと心の中にしまってきた問題で、悩みの一つだった。友人たちには『自分から好きになった人がいい』と言ってはぐらかしてきたが、実際は誰のことも恋愛対象として見ることが出来ずにいた。
「心が全く動かないの。もしこの人と付き合ったとして、手を繋ぐまではなんとか想像出来ても、それ以上のキスとか……いろいろな行為までは無理というか……。奈子さんは叔父さんと付き合う前も、そういうことって考えられましたか?」
奈子はキョトンとした顔で七香を見つめてから、にっこりと笑顔を浮かべる。
「うん、もちろん出来たよ。唇を見たらキスしたらどうなんだろとか考えるし、手が触れたら触りたいなって思ったり。でもそれは私が彼のことを好きだからであって、他の人にそんなことを思ったりはしないよ」
そんなこと、今まで一度も感じたことがない。今の話から考えれば、好きな人がいないと、感じることが出来ない感覚なのだろうか。
落ち込んだ様子で俯いた七香の肩に、奈子が優しく手を置いた。
「私ね、心には恋愛モードになるスイッチがあると思っているの」
「スイッチ……ですか?」
七香が不思議そうに首を傾げた。
「そう。きっと七香ちゃんが恋愛対象として好きになるためのスイッチを、誰も押せていないんじゃないかな。例えば仕草だったり表情だったり言葉だったり、心が揺れ動く何かがあると思うの。そのスイッチをたくさん持っている人はきっとすぐにときめくけど、少ない人はなかなかときめきを得られなくて、簡単に人を好きになったりしないんじゃないかな」
「なるほど……私はそのスイッチが少ないんだ。じゃあ奈子さんは叔父さんのどこにときめいたんですか?」
そんな質問をされるとは思っていなかったのか、奈子は驚いたように目を見開いてから、頬を赤く染める。
「えっ、私? そうだなぁ、優しくていい人なんだけど、人付き合いが苦手で、一人でも生きていけそうに見えるけど、実は寂しがりやで……私がそばにいてあげたいって思ったんだよね」
「なんか叔父さんだけに当てはまるポイントもある気がする」
そう言うと、嬉しそうに大きく頷いた。
「つまり、私のスイッチは海くんにしか押せなかったっていうことかもね」
「叔父さんにしか押せない……」
「七香ちゃんは……あの人以外にときめいたことはないの?」
「いないです。それなら、あの人に似た人を探せばいいのかな……あっ、ダメだ……あんな男にハマったら傷付くだけだわ」
「あはは、それはわからないけどね。でも七香ちゃんの心が動かされる出会いがあることを、私も海くんも祈ってる」
困ったことがあるといつも優しく手を差し伸べてくれる奈子に、これまで何度も助けられてきた。今回も彼女に話したことで、不思議と気持ちが落ち着く自分がいる。
「ありがとう、奈子さん」
七香が笑顔で頷くと、海舟が奈子の元へ戻ってきたので、残念に思いながらもその場を後にした。