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水瀬菜音
11,918
#岩本照
絶対辰哉
525
#BL
うさみみ
20
狼の背に揺られながら、僕はただただ圧倒されていた。 鬱蒼とした木々がざわめく暗い夜道を抜けた瞬間、視界がふっと拓ける。
「うわぁ…!」
思わず、胸の奥から感嘆の声が漏れた。 そこは、まるで御伽噺の世界に迷い込んでしまったかのように幻想的な場所だった。頭上からは満天の星空と柔らかな月光が降り注ぎ、森の奥深くの澄んだ空気が満ちている。
何より、そこにいた彼らから目が離せなかった。 真っ先に目に飛び込んできたのは、奥で眠っている見たこともない美しくも異色の毛並みを持つ一頭のユニコーン。そしてその神秘的な一本角の先には、雀程に小さな、まるで揺らめく炎のような色をした小鳥が丸くなって眠っている。
少し離れた場所には、犬と猫の精霊──クー・シーとケット・シーが、お互いに寄り添い合うようにして静かに息を立てていた。
僕の心が、一瞬で弾む。怪我の痛みも忘れて、不躾ながらじっと見惚れてしまった。
「ここは、一体…?」
呆然と呟いた僕の耳には、低い人語が響いた。
『誰にも、教えるなよ。』
「…え?わっ、!?」
声の主が誰かを悟る間もなかった。すぅ、と狼の身体が急速に縮み、滑らかな動きで人の形へと輪郭を変えていく。頼りにしていた大きな背中を突然失った僕は、為す術もなく草地の上へと尻もちをついた。
「っててて…、」
と腰を擦りながら見上げると、そこには一人の男が立っていた。 月光に照らされる端正でどこか近寄りがたい冷徹さを纏った銀色で短髪の男が、肩越しに俺を冷たく見下ろす。だけど、直ぐにふい、と視線を逸らすと、静まり返る広場に向けてぶっきらぼうに声を張った。
「おい、怪我人だ。」
その声に、ユニコーンの角の上で眠っていた小鳥が、ぱちっと目を覚ました。小鳥は少しふらつきながらもパタパタと小さな翼を羽ばたかせ、男の肩に着地する。 すると、炎を纏って小鳥の輪郭が解け、瞬く間に人の姿へと変わっていった。
──だけど、そこに現れたのは、どう見てもまだ3歳くらいの小さな男の子だった。
小さな手で眠そうに目を擦っていたその子は、僕の姿を見るなり、怯えたように男の頭…というより、顔面に必死にしがみついた。
「…このひと、だれぇ…?」
「ちょっ…前見えない。いいから治してやれ。」
「いやや!しらんひと、こわい!」
「この人は大丈夫。怖くない。」
「いややぁ…!」
「はぁ…康二、…怒るぞ?」
男が少しだけ声を低くすると、関西弁の混じる男児──康二くんは、びくっと小さな身体を震わせた。
「ゔっ…うぇ…っ、おこられるん、ややぁ…」
澄み切った綺麗な瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出す。《そんな風に言わなくても、》と焦る僕を余所に、男はその涙を指先でそっと掬い取った。そして、康二くんの身体をがっしりと支えながら僕の肩にある、コカトリスにつけられた深い傷口に迷いなく擦り付けてきた。
「っ、え…っ!?」
温かい雫が触れた、次の瞬間。 傷口が淡い光を放ち、すうっと見る間に塞がっていくのが分かった。じんじんと痛んでいた熱が引き、完全に消え去っていく。
(嘘でしょ、あんなに深かったのに…!)
僕は信じられない思いで自分の肩を何度も触り、目を丸くした。
驚く僕の正面で康二くんが肩から下ろされると、そそくさと男の背後に回り、今度はその長い脚にしがみついた。そして、男の大きな影に隠れるようにして、涙目のままじーっと僕を見つめている。
その警戒心の強さも、小さな仕草も、あまりにも愛らしくて。 僕は痛みの消えた肩を回しながら、彼を怖がらせないように、ふわりと柔らかく微笑みかけた。
「…君のお陰だね。傷、すっかり治っちゃった。ありがとうございます、康二くん。」
すると、男の脚に尚もしがみついたまま、康二くんが不満そうに小さな唇を尖らせた。
「───ゃん。」
「…ん?ごめんなさい、頑張って言ってくれたのにうまく聞き取れなかった。ちゃんと聞くから、もう一回言ってくれるかな?」
僕は更に目線を下げて、優しめのトーンで促す。すると康二くんはもじもじしながら、小さな声で、だけど一生懸命に主張してくれた。
「…こうちゃんが、ええ。」
あ、可愛い…!胸に弩級の衝撃を受けながらも、僕は満面の笑みで頷いた。
「分かったよ、こうちゃん!じゃあ…そうだな…僕のことは、大ちゃんって呼んで?」
「…ん、だいちゃん。」
漸く少しだけ警戒が解けた小さな顔を見て、僕の頬が緩みきった、その時だった。
『康二、戻っておいで。』
静かで、どこかミステリアスな響きを持つ声が響いた。ハッとして振り向くと、さっきのユニコーンがゆっくりと大きな深い蒼の目を開けて、こうちゃんを呼んでいる。
「うん!」
さっきまでの怯えが嘘みたいに、こうちゃんは嬉しそうに返事をした。そして再び炎を纏って小鳥の姿に変わると、パタパタとユニコーンの角の上へと戻っていった。ユニコーンは、自分の角にとまった彼を一瞥してから、銀髪の男へと鋭い視線を向けた。
『…何で人間を連れて来たの。』
「コイツは大丈夫だ。」
『根拠は?』
「匂い。」
『…、そう。』
二人の淡々とした会話に、僕は自分が場違いな場所にいることを痛感して、途端に恐縮して身を縮めた。
「えっと…あの、すみません。ここって、皆さんの大切な聖域、なんですよね?助けていただいてありがとうございました。じゃあ、もう僕はこれで失礼します。」
これ以上お邪魔しては悪いと、慌てて立ち上がろうとした、その時。 一連の騒がしさに漸く目を覚ましたらしいクー・シーとケット・シーがのそりと身を起こし、
『『良い匂いする…、』』
二匹の鼻先がぴくぴくと動き、何故か僕のリュックの前ポケットへと一直線に引き寄せられていく。
(あ、もしかして…。)
彼らが嗅ぎつけたのは、スラム街での慈善活動の時に子どもたちに配ったクッキーの残りだった。
「あ、えと、…食べます…?」
『いいのか?』
『美味しそう。』
僕がポケットからクッキーを取り出すと、ユニコーンの角の上に居たこうちゃんが、羽をピルピルと震わせた。
『こうちゃんも、それたべたい…!』
「勿論いいよ、どうぞ。」
僕はクッキーを丁寧に開封して、寄ってきた全員の前に差し出した。 皆、もぐもぐと本当に美味しそうに齧っている。
…ダメだ、我慢できない。
元々動物好きな僕の胸は、もう高鳴りを抑えきれなくなっていた。
だって、目の前にいるシェルティに似た風貌のクー・シーも、ノルウェージャンフォレストキャットに似た二足歩行のケット・シーも…当たり前だけど、目に見えてもふもふのふわふわなのだ。こんなの、触るなと言われても無理な話で。
「…触っても、いいですか…?」
ウズウズして、我慢できずに手を伸ばしかける僕に、ケット・シーがどこか嬉しそうに目を細めてくれた。
『俺はいいよ。お菓子くれたからね。』
「ありがとうございます!では失礼しますね…。」
僕は歓喜しながら、その極上の毛並みにそっと両手を埋める。
まるで最高級のシルクと綿飴を混ぜ合わせたような、この世のものとは思えない柔らかさだ。 優しく心を込めて撫でてあげると、ケット・シーは気持ちよさそうに目を閉じ、ゴロゴロと深く深く喉を鳴らし始めた。
(かっ…可愛い…!!)
僕にとって、この上ないご褒美で胸がいっぱいになる。
「あ、あのっ、」
そんな僕達の様子を、すっかり呆れきった表情で見つめている銀髪の男に、僕は意を決して声をかける。怪我を治してくれたお礼も、まだちゃんと言えていない。
「何だ?」
「怪我の治療、本当にありがとうございました。もしよろしければ、また来てもいいでしょうか…?ここのことは誰にも言いませんので!」
「…好きにしろ。」
どこか冷たいけど、拒絶はされなかった。その事実だけで、僕の心はパッと明るくなる。
「ありがとうございます!あの…僕、佐久間大介って言います。お名前をお伺いしても…?」
「──照。あのユニコーンは蓮。」
紹介された蓮さんは、一度だけサファイアのような瞳をこちらに向け、再び静かに瞼を閉じた。そのあまりに美しい佇まいに、思わず息を呑む。
『俺は涼太。』
「、わ…!」
すると、僕の膝の上で気持ちよさそうにお腹を見せていた赤毛のケット・シーの姿が、ぱちぱちっと電気の粒子を纏って人の形へと変わっていく。
膝枕状態で現れたのは、僕の想像を遥かに超えて、しっかりとした気品のある成人男性だった。そのギャップに、僕は撫でていた手の置き所に困って慌てて上げた。
「それと、」
涼太さんが、クー・シーに視線を送った。
『…翔太。』
おすわりをしながらくぁ、と大きな欠伸をした暗い青の毛並みを持つクー・シーもまた、一陣の風をその身体に纏う。風が止めば、胡座をかいて少し面倒くさそうな表情を浮かべた、綺麗な顔立ちの成人男性の姿へと変わった。
「ここは訳ありの幻獣たちの溜まり場なんだ。…本当に、誰にも言うなよ。」
「はい、神様に誓って。」
念を押す照さんに、俺は胸元のクロスを握って答える。
こうして、僕と夜の森の幻獣たちの不思議な秘密の日々が始まったんだ。
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