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展開が神ってる〜
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ワンクッション
エーミールが連れて来られたのは、郊外にある超高層高級ホテル。
「……無駄に金ばかりかける必要など、なかったろうに」
「そう言うな。全快とまではいかなくても、エーミールの退院祝いくらい、豪勢にやりたいじゃないか」
「……他に客人は?」
「いない。二人きりはイヤかい?」
「拒否権などないのだろう?さっさと済ませろ」
「そう身構えるな。ただ、一緒に食事をして、ゆっくりと語り合いたいだけだ」
ニヤニヤと笑いながら語るグルッペンに、エーミールは唾棄したくなる衝動を何とか抑え、舌打ちで堪えた。
ホテルに入り、特段荷物のない二人は、そのまま予約してあった最上階のスウィートルームへと入っていった。
グルッペンとエーミールは向かい合わせの席に座ると、給仕がシャンパングラスにシャンパンを注ぐ。
「では、エーミールの退院を祝して」
グルッペンがグラスを持ち上げ、エーミールに向ける。エーミールは逡巡するも、グラスを持ち上げグルッペンに向けて手を伸ばした。
「乾杯」
グラスの合わさる音が、室内に響き渡る。グルッペンもエーミールもの中のシャンパンを一気にあおった。
給仕に「お飲み物は?」と聞かれ、グルッペンはペリエを、エーミールはウォトカを頼んだ。
「随分と強い酒を所望するなぁ」
「飲まないとやってられないからな」
「……まあ、いい。酔ってくれた方が、本音を聞きやすいしな」
「所詮、酔っ払いの戯れ言だ。嘘か本当かなど、わかったもんじゃないでしょうに」
「シラフでも嘘や隠し事の多いヤツだからな。だが、面白い話が聞けるかも知れん」
グルッペンの眼鏡が光り、エーミールに強い視線が注がれる。エーミールは閉口し、胸ポケットからタバコとライターを取り出すと、ライターの側面でタバコの吸い口を数回叩いた。
「……で?何が聞きたい」
「そうだな…。例えば、キミの本当の名前、とか?」
「……あの男を締め上げた時点で、わかっているはずだろう?」
「ああ。だが、キミの口から、直接聞きたい」
エーミールはしばらくタバコを持つ手を止めて逡巡すると、氷のように冷たい目でグルッペンを睨んで、口を開いた。
「本当の名前、というのなら、エーミール。J・J=エーミールだ。偽名は幾つかあるが、『今の』本当の名前は、これだ。嘘だと思うなら、俺のIDカードでも見てみるか?」
「はっはっはっ。なるほど。あくまでルソーをなぞるんだな」
グルッペンが笑うと、部屋のドアがノックされ、給仕が前菜と飲み物を運んできた。二人は会話を中断し、サーブされた飲み物を受け取ると給仕係に軽く会釈する。
給仕が去り、互いに飲み物を口にしてから、再びグルッペンの口が開いた。
「確かに、キミにとっては、捨てた家で捨てた名前だろうが、その影響力はどれほど隠蔽しようが、ついて回る。利用すべきはした方が得ではないか?」
「……ブタに食わせた方がマシですね、あんなクソみたいな肩書きは」
「なるほど。あくまで、キミ自身の力で、のしあがりたいと。素晴らしい根性だ」
「この縁故社会の国では、甘い考えとはわかっていますがね。ですが、汚名を着ていただくには、都合のいい生贄(スケープゴート)ではある。いずれ『利用』はするかもしれません」
「なるほどね」
グルッペンはそう呟いて口端を上げると、炭酸水を手に取り口に含んだ。
「質問を変えよう。何故キミは、教授職に就く事に固執する?」
「難しくないですよ。片田舎の称号だけのクズな家名より、名の通った大学の教授の方が、遥かに世界的に通じる」
「確かにキミほどの頭脳があれば、教授職に就いてのしあがるのが、一番手っ取り早いな」
グルッペンはグラスを持ち上げると、炭酸水越しにエーミールを見つめて笑う。
「その頭脳を、私のために振るう気はあるかね?」
「…………」
エーミールは片眉を吊り上げ怪訝な表情を浮かべると、グラスのウォッカを一気にあおってグルッペンを睨む。
「それは質問ですか?それとも『命令』ですか?」
「『命令』……だとしたら?」
「……。確かに、貴方の思想は面白そうだし魅力的だ。傍にいれば、もっと面白いものが見られるでしょう。だが、貴方に飼われるのだけは…御免だ」
「はっはっ。そうかそうか。実にキミらしい答えだ、エーミール」
ドアの外に近付く気配を感じ、再び二人は口をつぐむ。
少しして、ドアをノックする音。
「どうぞ」
エーミールが給仕の入室を促す。
ワゴンで運ばれてきたのは、メインの小鹿のステーキと2本のワイン。
「デザートは、いつお持ちいたしましょう」
「すぐに持ってきてもらえるかな。そうしたら、今日はここでの給仕はしなくていい」
「承知いたしました」
「エーミール。デザートと一緒に、何か持ってきてもらいたものはあるか?」
「……ウィスキーは何がありますか?」
「バーボンとアイリッシュ、ヤマザキがございます」
「そうですね。……そうしたら、ヤマザキをお願いいたします」
「かしこまりました。そちら様は」
「ワインがあるから大丈夫かな。ティーセットだけ頼む」
「かしこまりました。では、すぐにお持ちいたします」
給仕が恭しくお辞儀をして退室すると、グルッペンが不思議そうな顔をしてテーブルに乗り出す。
「知っての通り、俺は酒には明るくないんだが……ヤマザキって、何?」
「ジャパニーズウィスキーですよ。日本らしく造りが丁寧なので、界隈では近年人気のウィスキーです」
「へぇ~…。エーミールのことだから、ウィスキーならてっきりスコッチかアイリッシュだと思っていたんだが」
「ワインだって、ブルコーニュでなくとも、チリやニュージーランド産も負けず劣らずです。今や産地や伝統など、関係ありませんよ」
「なるほど、参考になる。にしても」
グルッペンは肩肘をテーブルにつくと、ニヤリと笑ってエーミールを見つめた。
「酒の美味さも人の能力も、ブランドなど関係ない。と言いたいのか?」
「……確かに、ブランドというものは、歴史や伝統が紡いできたものです。が、ブランドの威光を食い潰し、 才もないのに胡座をかき続ければ、いずれ失墜する」
「キミの御尊父や叔父上のように、ということか?」
「…………」
普段から険しいエーミールの顔が、更に一層険しくなる。
「キミの御祖父君までは何とか頑張ってきたようだが、先代で身上潰してしまったな。実の息子や甥の身体を売るくらいにまで、落ちぶれてしまって」
「……黙れ」
俯くエーミールの声が震える。
グルッペンは構わず話を続ける。
「実に惜しい。キミほどの才能があれば、先代の損失など、すぐに巻き返せるだろうに」
「黙れッ!!」
部屋中に響く、エーミールの渾身の叫び。
ドアをノックする音で、部屋は再び静寂に包まれる。
「入りたまえ」
グルッペンが入室を促す。
「失礼いたします。デザートとお飲み物をお持ちいたしました」
全く手をつけられていない料理に眉ひとつ動かさず、給仕係は配膳を整えデザートと飲み物をセットする。
「ワゴンはこちらに置いておきます。何かありましたら、フロントまでご連絡ください」
「では、失礼いたします。ごゆるりと」
給仕係は深々と一礼すると、ドアを閉めて部屋を出た。
「……話が途切れ途切れになってしまったな。まあ、いい。冷めてしまったが、ゆっくりと食事といこう」
グルッペンは鹿肉のステーキに、ナイフを入れて口に運ぶ。
「うん。冷めても美味いな。うまいこと臭みを抜いてある。エーミールも食べたまえ」
「……食欲がない。ウィスキーだけもらいます」
「強い酒だけでは、いけないな。何か食べないと身体に響く。少しくらいはつまめないか?」
「大丈夫……です」
絞り出すようにエーミールは強がる言葉を出すと、琥珀色の液体をあおった。
さっさと酔い潰れてしまいたい。けれど、緊張感からか、なかなか酔いが回らない。
「もう一度聞く。私の下につく気はないか?」
「断る」
即答するエーミールに、グルッペンは苦笑いを浮かべ、肩をすくめる。
「これだけ弱味を握り、貸しを作っても、相変わらずつれないな。下手な女より高くつく」
「買い被ってもらっては困る。逆だ」
「?」
エーミールの言葉に、グルッペンは不思議そうな顔をして首を傾げる。
「入学してまだ数ヶ月。なのにキミはそのカリスマで、多くの支持者を持ち、学長すらキミは取り込んでしまっている。人心掌握に長けたキミに、私はまだまだ役不足だ。違うかい?」
「これはまた……。ずいぶんと買ってもらったモンだな」
これ以上ないとも言えるエーミールの賛辞に、グルッペンは嬉しそうに顔を歪めて笑う。
「いずれキミは、この国を担う重要ポストに就く政治家……、いや、キミの野望はその程度で収まるわけがない。もっと…もっとデカイ事を成し遂げる男だ。それに比べ、俺はただの学者を目指しているだけ。器が違いすぎる」
「私を買ってくれるのは嬉しいが、キミこそ自分を卑下しすぎだ」
「私は自分の能力をしっかりと分析した上で、述べました。そもそも私達は、進む道の方向が違いすぎる」
「果たして、本当にそうかな?」
「?」
今度は、エーミールが首を傾げる。
「自分の事というものは、存外自分ではわからないものだからな。まあ、いい。この話は、しばらく保留にしよう」
「最後に、一番聞きたかったことだ。何故、逃げようとした」
「!!」
エーミールの表情が、強張る。グルッペンは立て続けに言葉を紡ぐ。
「逃げ込む場所もない。手段もない。なのに何故、キミは逃げた?」
「…………」
「この件だけは、答えてもらうぞ。『わからない』『覚えてない』は、ナシだ」
「…………」
言葉が出ない。
エーミールの目は泳ぎ、テーブルに添えられた指は所在なさげに、人差し指と中指でテーブルの端をカリカリと引っ掻く。
何故。
聞かれても、エーミール自身にもわからない。
だが、目の前にいる男の眼鏡の奥から発せられる鋭い眼光は、エーミールを決して逃がそうとはしない。
エーミール自身に、自分の深層にある何かに気付き向き合えという、グルッペンの真意を理解はできる。
けれども。
わからない。
自分の事なのに、わからない。
鹿肉をつまみ、ワインで飲み込みながらも、グルッペンはエーミールから目を離さない。エーミールから答えが出る事を、頑なに待っている。
ワインが含まれたあの口から発せられた、あの言葉。
エーミールの全身をゾワッとした激しい悪寒が走る。この場から逃げ出したい衝動に駆られた。
見開かれた目、きつく結ばれた口、強く握られた掌。
グラスに掛けようとしたグルッペンの手が止まる。
「エーミール」
取っ掛かりにたどり着いたところで、グルッペンがエーミールの名を呼ぶ。
もうわかっただろう。
言外に含まれた言葉の意味に、エーミールは小さく肩を震わせた。
「……キ、ミ…が……」
小さく、震える声で、エーミールの口が開く。
グルッペンは指を組んで肘をテーブルに付き、黙ってエーミールを見据える。
「キミが……あの言葉を……言って、しまった、から……」
【続く】