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エレベーターは無音で上昇し、ディスプレイに階数がカウントアップされる、20階、30階、40階・・・窓はないが外部カメラの映像がサイドパネルに投影され、梅田の街並みがどんどん下に遠ざかる
大阪駅の屋根が玩具のように小さくなり、淀川の水面が夕陽にきらめく、エレベーターの空気は微かにラベンダーのアロマで満たされ、ストレスを溶かす
ポンッ『45階に到着しました』
金色のドアノブにキーカードをスワイプすると電子錠がカチリと解錠してドアが開く、靴を脱いで入って行くと、広々としたリビングに床から天井までのガラス窓、そして梅田の夜景が広がった
「おお~い! 鈴子帰ったよ~♪」
「お帰りなさい、定正さん!」
弾けるような声で彼女が応えると、若さに溢れた華奢な身体が定正に向かって飛びついた、20代前半の愛らしい顔、肩までカールした髪、そしてぽっこりと膨らんだお腹
クリーム色のジャラード・ピケのワンピースが、彼女の無垢な魅力を一層引き立てている、定正は満面の笑みで巨大なテディベアを差し出す
「ほぉ~ら! 赤ちゃん! パパでちゅよ~♪」
鈴子はキャーキャーとはしゃぎながらテディベアを抱きしめた、その無邪気な仕草に定正は目を細める、彼女にキスをし、すかさずお腹に顔を寄せて囁く
「やぁ、きみも元気だったかい?」
「ねぇ、ねぇ、あなた! 今日、婚姻届を出してきたの! やっとよ!」
「おおっ!私が離婚してからもうそんなになるかい?」
鈴子は興奮した様子で受領印が押された婚姻届のコピーを定正に差し出した
「本当はティファニーの青い婚姻届がよかったんだけど~♪」
「ハハッ、婚姻届に色なんか関係ないよ」
定正は幼な妻の愛らしさに心を奪われて優しく微笑んだ、彼の視線は、鈴子の無垢な笑顔に釘付けだった
彼女と並ぶ定正は、まるで父親と娘のような歳の差を感じさせる、それでも、定正の心は彼女への愛で満ちていた・・・いや、盲目的な愛と言うべきか
「はやく! はやく! こっちへきて! まだ見せたいものがあるの!」
鈴子が定正の手を引っ張り、4つの部屋のひとつへ向かう、彼女の指は華奢な見た目に反して、力強く彼の手首を締め付けた
「おおっ、何だい? どうした?」
「サプライズよ! 早く早く!」
彼は彼女の後ろを、子供のようにはしゃぎながらついていく、部屋のドアが開くとそこは真っ暗だった
「電気をつけて!」
鈴子の声が響く、定正がスイッチを入れると、部屋は一瞬にして青に染まっていた、大きな三段式のケーキ、青いバルーンで埋め尽くされた空間、そして・・・目の前に置かれた真っ青なベビーシューズ・・・
定正の視線は、その小さな靴に吸い寄せられる
「おい・・・鈴子・・・まさか・・・」
彼の声は震え、感動で目が潤んでいた、そっとベビーシューズを手に取って掌で大切そうに包み込む
「今日、病院でね! 性別がわかったの! 男の子ですって!」
鈴子は明るく言った、彼女の目は、定正の反応を一瞬たりとも逃さず観察している
「おおっ! なんとっ!」
定正は鈴子をぎゅっと抱きしめた
「嬉しいぞ! ああっ! 本当に私に息子ができるのだな! 跡取りが!」
「そうよ! 前の奥様が与えられなかったあなたの跡取りを、私が産んであげるわ」
鈴子の言葉は甘く、しかしどこか鋭い刃のように定正の心に突き刺さる、しかし彼は気づかない
「これで伊藤ホールディングスは安泰だっ!」
定正は歓びに鈴子を抱き上げ、くるくる回った、鈴子もキャーキャーとはしゃぎ、笑い声を上げるだが、二人は両手を握り合い、額をコツンと寄せ合う
「私は・・・今とても幸せだよ・・・あの時君と別れなくて本当によかった」
定正の瞳は涙で輝いている
「私も・・・あなたが奥様と別れて私を選んでくれて本当によかった・・・」
鈴子の声は柔らかだが言葉の端々に何か重いものが潜んでいる、そんなことに微塵も気づかない定正はただ彼女の愛に溺れていた
「約束するよ・・・私の資産は全てその子のものだ、私はこれからその子とお前を幸せにするために全力をかけるよ」
「子供はこの子一人じゃ終わらないわ、私、少なくともあと三人は産むつもり! あなたのためにね!」
鈴子の言葉は愛に満ちているように聞こえるが、彼女の指先は、定正の手を握るたびにわずかに力を増していた
「おおっ! それじゃ、がんばらないとな!」
「老いる暇はないわよ、定正さん!」
鈴子の笑顔は完璧だった、二人は再び幸せそうにクスクスと笑い合った、定正はとても幸せそうな顔をしていた、鈴子は彼と抱き合いながらテーブルに置かれている婚姻届けのコピーをじっと見つめた
受領印が押されたその紙は、まるで二人の未来を祝福するかのように見えた、しかし、その下に記された名前が、部屋の青い光の中で異様な存在感を放っていた
―婚姻届―
―夫になる人―伊藤定正―
―妻になる人―高村鈴子―
高村鈴子
・:.。.・:.。.