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「みんなでプール行かない?」
誰かのその一言で、教室は一気に浮き足立った。
「やば、行きたい!」
「水着持ってる? てか日焼けしたくない〜!」
笑い声と騒ぎの中心に、私はいなかった。ただ耳で聞きながら、ペン先はノートに触れたまま動かせずにいた。
私は、自分の体が嫌いだった。幼い頃から少しだけふっくらしていて、特に下半身のボリュームは、同級生と比べると明らかに違う。鏡に映る自分を見るたび、ため息が出る。プールなんて、水着なんて、絶対に無理。想像するだけで、肌に張り付く水着の生地が、自分を醜く見せるようでぞっとした。
夏。
太陽。
水着。
──見せられるわけ、ないじゃん。
「西村は? 行くっしょ?」
突然声をかけてきたのは、北村春人だった。
さらっと名前で呼ばれたことに、胸がキュっとする。彼とは席が隣で、時々他愛ない話をするけれど、こんな風に私を誘ってくれるなんて。でも、ダメだ。
「え、あ、うちその日、家の手伝いあるかも。ごめんね」
「そっか……一緒に楽しみたかったけどな……」
たったそれだけ。でも、体中が熱くなった。心臓がバクバク音を立てて、汗がにじむ。本当は行きたいに決まってる。春人の隣で笑っていたかった。
でも、この体を見られるくらいなら、行かない方がマシだった。
───
その日から、私は変わった。
まずは食事。朝食を抜いてみたり、昼はサラダだけ。夕飯は水だけの時期もあったけれど、すぐにフラフラしてやめた。鏡を見るたび、憎いとすら思える脂肪に触れる。このままじゃ、ダメだ。変わりたい。誰のためでもない、自分のために。そして、もしも、春人の隣に立てるなら。
YouTubeで見つけたダイエット動画を真似して、夜に汗だくになって踊った。最初はまともに動けず、自分の体の重さに絶望した。でも、諦めたくなかった。朝はプロテイン、昼はサラダ、夜はスープ。時には猛烈な空腹に耐えられなくなり、冷蔵庫の前で葛藤した。**甘いものが食べたい。温かいご飯が食べたい。でも、そのたびにプールの写真が頭をよぎる。**誰にも言わず、ただひたすら、自分に負けたくなかった。
春人のInstagramには、みんなで行ったプールの写真が載っていた。
笑顔。日焼けした肩。美味しそうなかき氷。
私はその夏にいなかった。**画面の向こうの楽しそうな世界に、私はいなかった。でも、次の夏には、きっと。**いつか、ちゃんと隣に立てるように。
───
季節は秋。
制服のスカートが少しだけ風に揺れて、頑張って痩せたはずの体も、まだどこかぎこちなかった。
──ほんとに変われたのかな。
そんな不安を抱えたまま、帰り道を歩いていた時。
「西村!」
ふいに名前を呼ばれて、振り返ると、そこに春人がいた。
「なんか……めっちゃ変わったな」
そう言いながら、彼は私の顔をじっと見つめて、ふっと目を細めた。
「無理……してないか? 顔色、ちょっと悪い気がする」
私は、少し笑ってみせた。
「……うん。夏、行けなかったからね」
「え?」
一呼吸置いて、言葉をこぼす。
「ほんとは……プール、行きたかった。
でも、水着なんて着れなかったの」
風が、カラカラと落ち葉を転がしていった。
「だから、変わりたかった。
自信がほしかったんだ。……笑えるようになりたくて」
春人は、何も言わずに私を見ていた。
その視線に、胸がきゅっとなる。
沈黙。
でも、それは冷たいものじゃなかった。
そして──彼は静かに言った。
「……オレさ、西村のこと、好きだった」
「え……?」
声が出なかった。
「ふわふわしてる感じが可愛くて、何気ないことで笑ってくれるのが嬉しくて、
幸せそうにお弁当食べる姿、ずっと癒されてた」
春人の目が、まっすぐ私を見ていた。
逃げられないくらい真剣で、でも、どこか不器用な熱を含んでいて。
「今もすごく綺麗になったと思う。……でも、変わる前の西村も、
オレにとっては、ずっと可愛かったよ」
言葉が、心にぽとぽと落ちてくる。
あたたかくて、でも少し苦しくて。
涙が出そうになるのを、ぐっとこらえた。
「……だから、もし無理してるなら、もう頑張らなくていい。
西村には、ずっと笑顔でいてほしいから」
夕焼けの中、彼の手がそっと私の手に触れた。
「ずっと、伝えたかったんだ。
西村のこと……好きです」
頭が真っ白になる感覚と、一気に押し寄せる嬉しさで、
心がじんわりと温まっていく。
「もぉ〜……ばか……早く言ってよ」
涙まじりに笑いながら、私は春人の胸をポンポンと叩いた。
「大好きな春人の隣に、自信持って立ちたくて……だから頑張ったのに……」
春人は少し目を丸くして、それから照れくさそうに笑った。
「それはゴメン。……でも、どんな西村でも隣にいてほしいよ」
「え……じゃあ、戻っていいの? 好きなだけ食べていい? ……いっぱい?」
春人は小さく吹き出して、私の頭に手をのせた。
「いいよ。いっぱい美味しいもん食べに行こ」
「じゃあ……ラーメン食べたい」
私は涙を拭って、満面の笑みで答えた。
「最高じゃん」
ふたりの手が、自然に重なる。
指先がそっと絡まり、夕焼けのなかにやさしい時間が流れていた。
──あの夏、私はいなかった。
でも今、ちゃんと春人のとなりにいる。
それだけで、胸がいっぱいだった。
*『サイドストーリーは恋をする~誰かの恋の真ん中~』シリーズ*