💚 side
沢山の人の目に触れる存在になると、比例して心無い言葉や批判を受ける数も増えていく。それが良いか悪いかは置いといて、そんな言葉たちを受ける度に、俺達は段々と麻痺して慣れていく。
けれど、どれだけ免疫がつ こうと必ず心は傷付いていくもので、その負った傷や痛みを隠さなければいけない。それもまた俺達の仕事であるという。
幸い、俺にはメンバーという仲間がいて、愚痴をこぼしたり、弱音を吐いたり、不安を口にすることができる。日々そんな大切な存在に助けられて、救われてばかりだ。
ただ、そんなメンバーにさえ頼ることが苦手である場合、その抱えた感情はどこへやるのだろうか。
楽屋の隅でメンバーの会話をぼんやりと眺めている一人の男を、俺はそっと見つめた。
普段からハイテンションというわけでも、特段口数が多いわけでもない彼の不調は、他のメンバーに比べて察しにくいところがある。 本人がそれを隠そうとすることも要因のうちの一つで、「大丈夫か」と問えば、彼は必ず「大丈夫」と言う。
今日はメンバー全員でのバラエティ番組の収録で、朝に集合したときはまだ普通だった気がする。我慢していた体調が悪化しているのか、もしくは、何か嫌なことに触れてしまったのか。
俺の隣でスケジュールを確認していた照も彼が好調ではないことに薄々勘付いていたようで、俺に耳打ちするようにそっと話しかけてきた。
岩「……どうする阿部」
阿「声はかけてみるけど、多分そのまま収録出るだろうね」
その場に立てる限り、多分彼は無理をしてでも仕事を続ける。それは負けず嫌いだからでも、プライドが高いからでもなく、仕事に穴を開けて迷惑をかけたくないという彼の強い思いがあるからだと、俺やメンバーは知っている。だからこそ彼の希望には寄り添いたい気持ちもあれど、無理をしている彼の背中を押すこともできず、俺は懸命にそのラインを見極めて、手を差し伸べたり牽制したりしている。
今日は、そのまま出しても大丈夫そうかな。
少しの間様子を窺い続けて、彼の不調が体調によるものではないのだというところまでは分かった。逆にここで無理やり休ませたほうが、悪化してしまうかもしれないし。
思ったことをそのまま照に告げると、彼の姿を確認しながら「わかった」と頷いた。本人の性格とリーダーという役職が相まって、照はメンバーをよく見ていることが多い。ただ干渉しすぎるようなことはせず、見守っているような存在で、メンバーの不調に気が付きやすい俺は相談相手として非常に助かっている。
そろそろスタンバイの声がかかるだろうと思い、さっと彼のもとへ向かうと、俺が見つめていたことに気がついていたらしい彼は少し不満げな顔をして、顔を逸らしていた。
舘「別に大丈夫だから」
阿「分かってる。でも、無理そうだったらすぐに声かけて。俺でも照でも、とにかく誰でもいいから」
舘「……わかった」
あぁ、相当やられてるかもな。
何年も共に過ごしていると、些細なことも分かってしまうようになる。
舘さんが目を見てくれなくなるときは、決まって心情を覗かれたくないときだ。
❤ side
この業界で生きていて時折、自分自身の脆さに呆れに似た苛立ちを覚える。もう何年もここにいて、受ける言葉が喜ばしいものだけではないことなんて分かりきっているはずなのに、人間らしく傷付いて、落ち込んで、やるせなくなる。
窓の外を颯爽と流れて消えていく似通ったビルをぼんやりと眺めながら、一人の男のことを必死に考えた。あいつはきっと「そんなことないよ」って言ってくれる、俺を必要としてくれる、優しく受け入れてくれる、存在を認めてくれる。
先程同じ場所で解散したのだからこんな場所にいるはずないと頭では分かっているのに、なぜか視覚は男の影を探していた。
ほんと、馬鹿馬鹿しい。
信号待ちをしていたタクシーが発進しだして、重力にされるがままに俺は座席と身体を沈ませた。
暇を持て余した思考が被害妄想を繰り広げていく。ラジオの話し声が途端に俺を非難する声に変わっていく。車内に運転手と二人きりなのだから向けられているわけがない多量の視線が、身体を貫くように突き刺さる。痛くて、苦しくて、辛い。
ズキズキと痛みはじめた頭を沈めるようにそっと目を瞑ると、暗闇に包まれた視界に反応したそれは止まることなく膨張していった。
大丈夫、いつものことだ。
そんな妄想とは乖離したように冷静な自分が言う。
そうだ、大丈夫。俺はまだ、大丈夫。
そう思い込ませ、「大丈夫」という言葉を無理にでも飲み込むと、プラシーボ効果のように調子が回復していくはずなのに、今日はなぜかそれが効かなかった。
静かで孤独な部屋に迎えられて、靴を脱ぐことさえ億劫になりながら俺はだらだらと自宅へあがった。
誰もいない。そんな当たり前のことが酷く寂しく思えて、そんなキャラじゃないのに泣きそうになってしまう。
上着も脱がずにソファへ身体を沈ませ、スマホで時刻を確認するともう既に午後9時を回っていた。
冷蔵庫になにか食材があったか考えたのもつかの間、自身の食欲のなさを自覚して思考は停止した。今日は、いいか。
めずらしく今日中にやらなければならないことが残っておらず、退屈で空虚な時間がゆっくりと足を進めた。指先からじわじわと感傷に蝕まれるように、体温が冷めていく錯覚に駆られた。
誰かの体温に触れたい。声が聞きたい。抱きしめられたい。
そんな欲がふつふつと湧き上がってきて、気がつけば一人の男とのチャット欄に『あいたい』と打ち込んでいた。
しかし、変換を遂げる前に、それらの文字は儚く消えていく。
こんなこと言ったって迷惑でしかないだろうし、そんな柄じゃないって分かってるし。
消したのは自分自身だというのに、指は再び文字を綴り始める。
『たすけて』『あいたい』『きて』『おねがい』
その度に自分自身に嫌気が差して、間違えて送信してしまわぬように、再び文字を消していく。
ぐらぐらと蝋燭のように頼りなく震える感情が、段々と揺れを増していく。
なんで、なんで今日こんなに駄目なんだよ。
気がついた頃には、冷えた頬に熱い涙が伝っていた。自分自身が嫌になる。三十過ぎて寂しくて泣くとか、なんなんだよ。
他人では許せたかもしれないそれが、俺自身のこととなると気味が悪くて仕方がない。
そんな言葉を脳内に並べておきながらも、涙は止まらず夕立のように流れ続けている。
送信してもいないメッセージが届くことなんて100%ないのだから、無理だと分かっているのに、なぜか俺は今、恋人が迎えに来るのを待っている。
弱々しい鼻にかかった声で恋人の名前を呼ぶと、突然、鍵が解錠される音が玄関で響いた。
え、……え、なんで。
俺が帰宅してからインターホンは鳴っておらず、合鍵を持っているのなんて一人しかいない。やってきたであろう主に驚くままメッセージアプリを確認するものの、そこには何の言葉も送信されていない。
じゃあ、なんで。なんでお前はここに来たんだよ、
舘「……あ、べ」
阿「あぁやっぱり、舘さん泣いてるじゃん」
そう言って阿部は荷物を下ろすより先に、俺を抱きしめながら慰めるように俺の頭をやさしく撫でてくれた。阿部の体温に、強張った心がじんわりと溶かされていく。
阿「もう我慢しなくていいよ、俺が傍にいるから」
舘「な、んで……」
阿「朝からメンタルやられてそうだったから今日は連れて帰ろうと思ってたのに、舘さん先に一人で帰っちゃったから。だから、甘やかしにきた」
そう微笑む阿部の目には俺だけが映っていて、安心感のある低音は俺の名前を呼ぶ。肩に顔を埋めると会いたくて仕方がなかった恋人の匂いがして、抱きしめた腕に力がこもった。
もうひとりじゃないと理解した思考は、ぼろぼろと感情をこぼしていく。いつもなら喉元で止めるそれらの言葉を、今は止めることができなかった。
舘「会いたかった」
阿「うん、俺もだよ」
舘「……辛かった」
そっかと優しい相槌を打ちながら、阿部は抱きしめていた腕を解き、輪郭に手を沿わせるようにして丁寧なキスをした。手のひらから伝う熱があたたかくて、触れ合った唇は柔らかくて、やさしい阿部の体温にどんどん溺れていく。
阿「涼太が頑張ってるの、みんな知ってるよ」
舘「っ、……な、まぇ」
阿「ふふっ、いつものお返し」
そう悪戯な笑みを浮かべる恋人が愛おしくて仕方がない。絶対に手放したくない、離れたくない。手放さないでほしい、離さないでほしい。
鎧を外した脆弱な俺を守ってくれるのは、この俺よりも可愛くて、細身で、あざとさで溢れている、美麗な花のような男で。
阿「今日、このまま泊まってってもいい?」
舘「いいけど、……その、俺、明日オフなんだ、けど」
阿「……それで?」
舘「っは、分かってんだろ、阿部」
阿「いや分かんない。ねぇ、ちゃんと言って」
舘「…………はやく、抱けよ」
「よく言えました」と言わんばかりの表情で再びキスをしてきたこの男に、俺は一生溺れ続けていくんだろうと、確信めいた何かを感じた。
寂しい夜が明けるまで、ずっと傍にいてくれ、阿部。
コメント
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う〜わ最高です。