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背後から響く男の濁った笑い声は、遠ざかるほどに不気味さを増し


湿り気を帯びた夜風に混じって消えていった。


会場の喧騒を抜け出し、人気のない出口へと足を向ける。


尊さんの足取りはどこか焦燥感に駆られているようで


導かれるままに辿り着いたのは、街灯の下にひっそりと置かれた古いベンチだった。


「…恋、手痛かったろ。すまない」


尊さんは俺を座らせると、自分は立ったまま、絞り出すような声で謝罪を口にした。


見下ろす彼の瞳には、祭りの灯りではなく、深い後悔の影が落ちている。


差し出された俺の手の甲には、赤黒く腫れ始めた痛々しい痕。


それを凝視する彼の視線が、まるで自分の身を刻まれているかのように震えていた。


「えっ? 尊さんのせいじゃ……」


「とにかく、今手当するもの買ってくるから、ここで待っててくれ」


言い募ろうとする俺の言葉を遮り、彼は背を向けた。


駆け出す足音が夜の静寂に響き、その背中が暗闇に溶けていく。


一人残されたベンチの冷たさが、金魚を失った喪失感と相まって、じわじわと胸の奥に不安を広げていった。


だが、待つこと五分もしないうちに、激しい足音と共に尊さんが戻ってきた。


「悪い、待たせた……っ」


肩で息をする彼の額には、じっとりと汗が浮かんでいる。


手にはコンビニのポリ袋が握られていた。


尊さんは俺の前に迷わず膝をつくと、汚れるのも構わずに地面に跪き


壊れ物を扱うような手つきで俺の右手を包み込んだ。


「痛むか…?」


「少し…でも、ちょっと腫れてるぐらいなので、大丈夫ですよ」


強がって見せたが、彼は納得した様子もなく袋から消毒液と瞬間冷却パックを取り出した。


「とりあえず、消毒して冷やすか」


市販の水で細かな泥を丁寧に洗い流した後、タオルを介して冷却パックを当ててくれる。


冷たさがジンと痺れるような痛みを引かせていく。


「これで30分ぐらい冷やしてから、湿布を貼った方が良さそうだな…」


「はい…ありがとうございます」


「いや、傷つけてしまったのは俺のせいだ。俺がしっかり見ていれば防げたのに……」


低く、沈み込むような声。


尊さんは視線を落としたまま、自責の念に囚われていた。


「もう…大袈裟ですって!尊さんのせいじゃないですし」


努めて明るく振る舞う俺を、尊さんはゆっくりと見上げた。


その瞳には、先ほどまでの心配とは別の、鋭く、凍てつくような光が宿っていた。


「……あのな、恋。俺も目を疑ったし、動揺したが……さっきの男、前に話した『成田 薫』なんだ」


心臓がドクリと跳ねた。


「え……っ?」


「気の所為だったら良かったが……その、顔も声も……間違いなくそうだ」


「そんな偶然って…あります……?」


信じたくなかった。


尊さんを苦しめていた過去の人間が、こんなに近くにいたなんて。


「……俺も嘘であってくれと思った」


尊さんは片手で顔を覆い、独白するように言葉をこぼした。


「あのキチガイな行動も、狂気染みた笑い方も、全てが合致するんだ。恋が怪我してから……ここまで全力で走るのに必死だったせいで、まだ混乱してる」


悔しそうに唇を噛み締める彼の頬を、大粒の汗が伝い落ちる。


「きっと俺を見つけて、わざと恋を狙って怪我をさせたんだ」


「わざと……? それは、まだ尊さんのことが好きっていうことなんでしょうか? 俺を狙うってことは……」


「……違う。俺が気に入らないんだ。アイツは昔からそうなんだ。俺にムカつくと、俺だけじゃなく、周りのヤツを傷つける。見せしめるみたいにだ」


尊さんは、手当てを終えた俺の右手を、今度は祈るように両手で包み込んだ。


そして、深い絶望を背負ったように頭を下げた。


「だから、俺のせいなんだ。恋……怖い思いをさせてしまって、本当にすまない」


「そ、そんな! 頭上げてくださいよ……! 尊さんは何も悪くないのに……っ」


慌てて声を張り上げる。


トラウマを呼び起こすような相手に遭遇して、冷静でいられるはずがない。


「そんな、トラウマの人が現れたら誰だって動揺しますし……金魚のことは……悔しいですけど、目を離した俺にも責任ありますし……!」


「そうは言ってもな……」


言い淀む尊さんの言葉を遮るように、夜空のキャンバスが弾けた。


ドーンという重低音が腹に響き、頭上で大輪の花火が色鮮やかに咲き乱れる。


「ほら! 尊さん、花火始まりましたよ」


「……っ」


「穴場スポットあるって言ってましたけど、ここで見ますか? もし、またさっきの人と会ったら……尊さん……嫌ですよね?」


尊さんは一度、空の花火を仰ぎ見てから、苦渋に満ちた顔で俺を見た。


「あぁ……なにより、またお前が危険に晒される方が耐えられない。悪い、良いところで見せてやれなくて」


「もう、謝るのはこれで終わりにしてくださいよ?俺は尊さんと花火見れたら、どこでも嬉しいですもん!」


「……っ」


「穴場スポットは気になりますけど……また来年来ればいいじゃないですか?」


精一杯の笑顔を作って、彼の心を縛る罪悪感の鎖を解こうとする。


尊さんは一瞬、呆気に取られたような顔をした後、小さく吐息をついた。


「そう、だな」


「はい!」


「……ありがとう、恋」


ようやく、彼の瞳に少しだけ柔らかな温度が戻った。



◆◇◆◇


帰り道、尊さんは俺の歩幅に合わせ、守るように寄り添って歩いてくれる。


金魚の死は悲しく、成田という男の存在は恐ろしい。


けれど、隣で沈黙を守る尊さんの、今にも壊れてしまいそうな横顔の方が今の俺には耐えがたかった。


「尊さん」


足を止めて呼びかける。尊さんも止まり、怪訝そうにこちらを振り返った。


遠くで上がる花火の光が、交互に彼の端正な輪郭を赤や青に染め上げる。


「なんだ……?」


「今日、尊さんと花火見れて嬉しかったです」


「…………」


「尊さんにとっては……いや、俺にとってもですかね。ちょっと災難はありましたけど」


俺は、怪我をした方の手をグッと握りしめ、力強くガッツポーズを作ってみせた。


「手のことは、気にしないでくださいね? 本当に、尊さんのせいじゃないんですから。俺、こんなに元気ですし!」


満面の笑みを向けると、尊さんは一瞬言葉を詰まらせ、喉を鳴らした。


そして、抗う間もなく──。


「えっ……」


大きな手が俺の背中と後頭部に添えられ、視界が彼の胸元で塞がれた。


ギュッ、と。


痛いくらいに強く、けれど慈しむような抱擁。


「尊さん……?」


「……お前が……笑顔でいてくれると……助かる」


耳元で響く彼の声は、ひどく掠れて震えていた。


トク、トク、と、重なる胸の鼓動がいつもより速い。


「さっきは……情けないとこ見せたな」


「そんなことないですって……!」


「お前を守ると言ったのに、守りきれなかった」


抱きしめる力が、さらに強まる。


彼は俺の肩に顔を埋め、悔しさを吐き出すように続けた。


「……アイツが現れたとき、足が竦みそうになった。俺の弱さがお前を巻き込んだ。だから……今度こそお前には指一本触れさせないようにすると約束する……っ」


その震える背中に、俺はそっと手を回した。


大きな体を、ゆっくりとなだめるようにさする。


「……恋?」


尊さんの体が微かに離れる。


俺を見つめる彼の瞳は、迷子のような不安を湛えていた。


「あの、俺は、巻き込まれたなんて思ってませんよ。だから、そんな顔しないでください」


月明かりと花火の残光の中で、俺は背伸びをした。


尊さんの唇に、自分の唇をゆっくりと、慈しみを込めて重ねる。


「……っ、お前な……」


離れると、尊さんは耳まで赤くして、毒気を抜かれたような顔をしていた。


「えへへ……今日はまだ、してなかったので」


少しだけ子供っぽくはにかむ俺を見て、尊さんの口元にようやく微かな苦笑が浮かぶ。


「……なら、お返しだ」


今度は彼の方から。


熱を孕んだ優しい口づけが、傷ついた心をゆっくりと溶かしていく。


金魚はもう戻らない。


けれど、こうして隣で笑ってくれる尊さんがいることが、今の俺には何よりの救いだった。



◆◇◆◇


「そろそろ、帰るか」


尊さんが差し出してくれた大きな手を、迷わず握りしめる。


「はいっ!」


夜空には最後の一発が大きく花開き、俺たちの影を足元に長く引き延ばした。


横を歩く尊さんの瞳には、まだ消えない不安の種が残っているかもしれない。


けれど、繋いだ手から伝わってくる力強い脈動が、何よりも確かな絆を物語っていた。


尊さんがいつも俺を守ってくれるように。


(尊さんのことは……俺が守らなきゃ)


決意を込めて、その大きな手をぎゅっと強く握り返した。

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