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「そうね、今年の重陽《ちようよう》の節句は、沙奈《さな》あってのものだったわ。はい、ご褒美」
徳子《なりこ》が、前に置かれた高杯から干し棗《なつめ》の甘煮を、つまみ取る。隣に座る沙奈は、あーんと、ねだるように口を開けた。
「さ、さ、沙奈!お前、何て事を!」
お仕えする身でと、長良が焦る姿などお構いなしで、沙奈は、徳子から与えられた干し棗をもぐもぐ味わっている。そうして、高杯から、棗を摘まむと、徳子へ向けて、差し出した。
「あら、私《わたくし》も、頂けるの?」
徳子は、幼子の仕草に頷くと、そっと口を開けた。
「ああ、美味ね!」
干し棗を口にして、徳子と沙奈は、これ以上ないほど、顔を緩ませ、至福のときを堪能している 。
徳子は、この干し棗の甘煮に目がない。今日も、徳子の為にと、多めに用意していたはずが、高杯には、すでに数えるほどしか残っていなかった。
「ああ、お方様、申し訳ございません!妹はまだ幼くて、物を知りませんゆえ……」
一方、長良は、あるまじき事と、ひたすら、頭を下げている。
「あ、そうか。長良も、あーんして欲しいのね」
「あら、焼きもち?」
女房達にからかわれ、長良は、あわてふためいた。
「それじゃ、長良も、あーんしてもらいなさいな。ねぇ、武蔵野様?」
女房の一声《ひとこえ》に、皆の視線は、武蔵野へ集中した。
その意味を察したのか、武蔵野、長良の二人は、同時に固まる。
その有り様に、女房達はどっと笑った。
「おや、随分と楽しそうじゃないか。私も混ぜてもらおうかな?」
声の主に、女房達は、色めいた。屋敷の主人、守近その人が物珍しそうに伺っている。
「まあ!守近様!お戻りでしたか。お出迎えもせず、申し訳ございません!」
腰を上げようとする、徳子《なりこ》を、守近は制した。
「ああ、徳子姫、どうか気を使わないでください。私が、予定より早く戻って来ただけですから」
竹馬《ちくば》の友、斉時《なりとき》に誘われ、屋敷へ囲碁を打ちに行っていた──事になっているが、都で一二を争うモテ男が、囲碁の勝負ごときで、満ち足りるはずはない。
そこは、深く追及しないのが、徳子の為と、女房達も心得ていた。
にも関わらず、
「まあ、若様、呑気に囲碁など!その様な時間がおありでしたら、鍛練なさいまし!それに、何ですか!人前で、お方様の事を姫と呼ぶとは!」
武蔵野が、鬼の形相で、守近に迫っている。
「武蔵野よ、お前だって、私の事を、若様呼ばわりしているではないか。いつまで、私の乳母を続けるつもりだい?」
うっと、言葉に詰まる武蔵野に、又もや、女房達は、顔を見合せ含み笑った。
武蔵野は、守近の父の代から仕える女房で、守近含め、この屋敷で産まれた子供、つまり、守近の姉弟達を育て、申し分のない家へ嫁がせ、立派に分家させと、男顔負けの働きを見せてきた。
得てして、女房なるものは、外で、はたまた、内で、気の合う男を見つけ、嫁いで行くものなのだが、武蔵野に限っては、お役目一番と、屋敷から離れる素振りは、はなからなかった。
時に扱いにくい事もあるが、長年の女房としての経験からか、都の貴族社会に精通しており、その事情通具合には、守近も助けられて来た。
それだけに、邪険にできない存在であるのだが、とにかく、頭でっかち、口煩い。