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意識が戻った後も、私は浴槽の中でしばらく動けずに呆然としていた。まさか、自分の胸にある痣からお猫様の残留思念を見てしまうとは思ってもいなかったからだ。
これは私が生まれた時にはもうあったものだ。そんなものに記憶が残っていたとあってはもう、自分の前世が『猫のイレイラ』である事を認め無い訳にはいかないと思った。
(でも、今までにだって何度も触れる機会はあったのに、それまでは一度も、何も起きなかったのは何で?)
何かきっかけが——
あ、『異世界召喚』か。 『召喚』され、この世界に連れて来られた事と指輪に痣が重なったのがトリガーになって残留思念を読み取れたに違いない。きっとそうだ。
その事に気が付くと、今までの私の人生すら決まった流れだった様に思えてきた。両親との早い別れ、一人っ子である事、親戚や親友のいない希薄な人間関係。
全て、いつか此処に戻る為に用意されたみたいだ。戻してもらえる事を願っていたみたいな…… 。
コンコンッ。ドアをノックする音で、私は思考の波から引き戻された。
「イレイラ?大丈夫?」
「あ…… 、えっと、大丈夫ですよ?」
ドア越しのカイルに何を心配されたのか、一瞬わからなかった。
お湯がぬるい。もう随分長い事湯船に浸かったままだったみたいだ。いくら待っても出てこない私をカイルは心配したのか。
「お湯、温め直す?それともあがる?」
「えっと、あがります」
「そう、わかった」
湯船からあがり、用意してくれていたバスタオルで体を拭く。夜着や下着、化粧品の類が全て用意してあったのでホッとした。こういったところも元の世界と類似しているというのは本当に有り難い。
眠る準備を整え、髪の毛をタオルで拭きながら居間に移動すると、窓際に置かれたソファーでカイルがくつろいでいるのが見えた。どうやら本を読んで時間を潰していたみたいだ。
「スッキリできた?」
「はい、おかげさまで」
「不自由な事があったら遠慮なく言ってね、直ぐに用意してもらうから」
「大丈夫ですよ。あ、でも髪を乾かすのが大変ですね。何かこう、簡単に乾かせる様な、便利な物とかあったりします?」
元の世界では風呂上がりの必須アイテムであった『ドライヤー』なんて単語を言ったって通じるはずがなく、身振り手振りで何をしたいか伝えてみる。どんな物であるかはさっぱり通じなかったが、どうも似た様な事は可能なのか、カイルの表情がぱっと明るくなった。
「それなら僕が乾かしてあげるよ!さぁ、ここに座って?」
カイルが嬉しそうに言い、席から立つ。ソファーの後ろ側に立って、背もたれをポンポンと叩いてみせてきた。お世話したくて堪らない。そんな顔を私に向けてくる。
「じゃぁ、お願いします」
断ってもこれは多分無駄だろう。濡れた髪を乾かしてもらえるのは有り難い話だし、『お互いにオイシイ思いが出来るのだ』と納得する事にした。
豪華なソファーに座り、体を預ける。カイルはそんな私の髪に触れ、毛櫛でとかし始めた。頭皮に当たる手が温かいから、魔法を併用して乾かしてくれているのだろう。
軽くマッサージも含めながらやってくれるので、とても気持ちよかった。まさに至れり尽くせりってやつだった。
「——はい、これでいいかな」
カイルが私の髪から名残惜しげに手を離す。仕上がりが気になり、自分の髪に触れてみると、ドライヤーで乾かしたみたいにすっかり無駄な水気が無くなっているだけでは無くて、この上なくサラッサラに仕上がっていて驚いた。まるで美容院で追加料金を支払って高級トリートメントを使ってもらった後みたいだ。
「え、何で?手櫛をやってくれただけですよね?」
驚いて何度も髪をいじってしまう。こんな髪は初めて触った。今の私ならこの髪質だけでシャンプーのCMに起用されそうな程である。
「毛並みの手入れには慣れているからね」
自慢気に言われて、『毛並みだんて、私猫じゃないし!』って思ったが、速攻で『猫だったよ!』と、二回のツッコミを自分に心の中で入れてしまった。
「子供の髪って綺麗だよねぇ。いつまでも触っていたくなって、困っちゃうよ」
カイルは私の髪を一掴み持ち上げると、そっとそこへキスを落とした。
「ヤダな、子供だなんて。今十九歳なんで、もうほぼ大人みたいなものですよ。向こうでは既に自活していましたしね」
「…… え?…… 十九歳?十歳、じゃなくって?」
カイルがひどく驚いた声をあげた。彼らから年齢確認をされていなかったから私も伝えていなかったし、そのせいでどうも彼は私の年齢を勘違いしていた様だ。
「いやいや、十歳とかありえ…… あ、此処だと、この身長って、その位の年齢だったりするんですか?」
「うん。だから、君はまだ…… 子供なんだって思って…… あぁ、大人、なんだ。そう、か」
カイルの呟く声を聞き、私の背中に少し悪寒が走った。…… 何だかイヤな予感がする。年齢は黙っていた方が良かったみたいだ。
「——えっと、じゃあ、それならもう寝ようか。明日に障るし」
「あー、そう…… ですね。——あ!でも、私は何処で寝たらいいですか?この奥の部屋って寝室ですよね?…… えっと、鍵を開けて貰えると、有り難いんですが…… 」
昼間に調べてあった、施錠のされた寝室のドアを指差してみたらカイルがキョトンとした顔をした。
「何で?君の寝室は向こうだ。僕と一緒に寝るんだよ」
有無を言わさず私を持ち上げ、カイルの肩に寝転ぶ様に乗せられる。まるで重たいお米を運ぶみたいな格好で、物凄く恥ずかしい。
「ひっ!」
「あ、この体勢はもうダメってセナに言われていたんだった」
今度は、床へ降ろす事なく私の体勢を変えさせ、お姫様抱っこしてきた。安定していて怖くは無かったが、グルグル変わる体勢に視界が回る。自分の三半規管の弱さに泣けてきた。
「うん、やっぱりこれがいいね。顔も見られるし、最高だ」
(こっちは、こんな顔を見られて最悪です!)
初めてのお姫様抱っこに恥ずかしさがピークに達する。鏡を確認するまでもなく顔が赤いのがわかるし、羞恥に体が震える。重いだろうから降ろして欲しい。今の自分はもう猫じゃないんだから、こんなの無理だ。
「あ、あの、降ろして…… 」と言うも、喉からはか細い声しか出てこない。
「相変わらず軽いね。羽みたいだ」
素敵な笑顔で言われても、『大人の体重で羽とか、あるわけないだろ!』としか思えない。
(こんなん無理、死んじゃう!どうしよう、でも暴れたら落っこちるかもだし)
軽くパニックになっているうちに、カイルは私の事など気にする事なく、鍵のかかっていない方の寝室のドアの前へ歩き出した。
彼が近づいたと思ったら勝手にドアが開いた。『自動ドアみたいでとても便利そうだ。魔法って本当にすごいね!』と、何度見ても、未知の体験に感心してしまう。
そうこうしているうちに、あっさりとベッドの側までカイルが私を運んで行く。そして三、四人程がゆうに眠むれそうな規格外なサイズのベッドの上に私を降ろした。
私の履いていたルームシューズを脱がされ、彼がそれを床に投げる。カイルまでベッドの上にあがってきたかと思ったら、そのままの勢いで彼は私の上に覆いかぶさってきた。
「——ひっぃ!」
顔が青くなり、小さな悲鳴をあげたらカイルの眉間にシワがよった。
「…… そんなに、嫌だった?僕らは番…… 違うか。えっと、夫婦なのに?」
(あれ?『番』であってるよね?さっき見た記憶で、お猫様もそう思っていたし…… 。——あ!そうか、今は二人共人間の姿をしてるから言い直したのか)
私が納得した顔をしたら、それが『行為の合意』を意味したものと勘違いしたらしいカイルが、嬉しそうに顔を近づけてきた。経験のない距離に焦り、私は寝そべった姿勢のまま上へ上へと逃げ出した。後頭部が枕にあたり、より焦りが加速する。既にもう逃げ場が余り無い。
「どうしたの?そんなに焦らさないで…… もうとっくに限界なんだ」
端正な顔が辛そうに歪み、息があがっている。『一体どうしたんですか?』などと訊かなくても、彼が興奮しているのがハッキリわかる。
そんな姿に正直ドキドキした。
も、もちろん!少し…… だけ、だけど。『少し』だったせいで、どうしたって焦りが勝ってしまう。『会ったばかりの人だ』って認識が邪魔して、既に自分が彼の猫だった事は理解出来ていても、私達が『番』である実感はまだ無いのだ。
「別にその、焦らしている訳じゃ、無くてですね?えっと、会ったばかりというか…… えっと…… 」
しどろもどろになり、働こうとしない頭の中をどうにかこうにか回転させつつ、何とかこの場を回避出来ないかと考える。自分は決して軽いタイプじゃないから、いくら相手が国宝級のイケメンでも、『ハイどうぞ』って体を与える気にはなれないのだ。いや、実は正直、少しだけアリかなとか思ったり…… イヤイヤイヤ!お、お、思って、ないしっ!
回らない頭のまま、ズルズルと後ろへ下がる。そのせいで、カツンと後頭部がヘッドボードにぶつかった。そこへ縋り付くように手を伸ばす。指が触れた瞬間、ここにもお猫様の記憶が残っていたのか、私は残留思念の中へ意識が持っていかれたのだった——