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講義を終え、友からのカラオケの誘いを断った後、『他分野にわたる資料の完備された素敵なサークルルーム』へと向かう。小説サークルでの時間こそが、この大学生活最大の楽しみ。
そこはサークル要項の一つである最低人数五人を満たしていないため、その実態は物置でただただ文字と向き合う。なんとも薄気味ぐらい集まりではあるのだが、それでも俺にとっては初めての似た志を掲げた仲間であった。
旧校舎の一角、過去の大学資料なんかの保管されている、この部屋こそがそれだ。俺はカバンから推敲途中の原稿用紙数十枚を取り出し、それだけを手に中へ入った。
今日は普段以上に湿っているだろうか。そう思いながら視線を落とすと、机を食べるのではないかというほどに顔面を伏せる美蘭がいた。
急なホラー展開、既にこの様子を見つけていた東雲へ助けを求める。とはいっても、音に反応するゾンビだったり、妖怪会の類だと大変なため、『なにこれ』と指さしながら口を動かした。彼女は俺の意図をくみ取り、『説明しますので、少々お待ちを』と手のひらを向ける。なんと優秀な後輩だろうか。
少しして彼女は、何かの機器(私物)をこちらへ向けた。どうやらそれは照明だったようで、彼女の操作で何度も点灯した。モールス信号だろうが、当然わからない。なんと優秀な後輩だろうか。
と、ここであることを思い出した。そういえば今日は美蘭が優勝を狙っている、大会の結果発表日であった。そうか、つまりはそれを逃した悔しさでこうなったというわけか。ようやく緊張がほどけ、推敲作業に移ろうと椅子に腰を掛けた。
作業は特に問題もなく進んだ。かなりの時間が経っても、一ミリと動じない美蘭だけが気掛かりであった。
「もう、小説やめようかな」
やっと動いたかかと思うと、そう呟いた。あまりの衝撃に全身が硬直した。単純に信じられなかったのだ。あの美蘭が小説をやめるなどと。
我流の愛に対する哲学と、計算された巧妙な物語を組み合わせる彼女の作風は、世界的に見ても唯一無二であった。確かにこの段階で挫折はあっても、続ければ確実に世間は評価してくれる。それは明白であった。
いや、違う。俺が真に思ったのはこのようなことではなかった。美蘭が小説をやめるという判断をとること自体が、あり得ないことだった。
そう、その時そこにいたのは、美蘭ではない何かであったのだ。