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夜が明けきる前、街は妙に静かだった。 雲賀ハレルはほとんど眠れないまま、PCの前で夜を明かしていた。
モニターにはまだ「同期成功(部分)」の文字が点滅している。
コーヒーの香りだけが現実の証だった。
木崎が壁にもたれながら煙草をもてあそんでいる。
「……なあ、あの瞬間、見えたよな。砂の粒」
「ええ。境界が“開いた”ってことですか?」
「開いたというより、“息をした”んだ」
木崎はゆっくりと煙を吐いた。
「反記録プログラムは、嘘の記録を剥がす。つまり、閉じてた世界の皮を一枚むく。
その結果、異世界の“呼吸”が現実にまで流れ込んでくる」
ハレルはネックレスを握った。金属の冷たさの中に、わずかな鼓動を感じる。
「でも、境界を開いたら危険なんじゃ……」
「元から危険だ。お前の父さんも柏木も、それを承知でやってた。
“真実を記録するためには、世界のどこかを犠牲にしなきゃならない”ってな」
静寂の中で、ネックレスの光がふっと弱まり、
代わりにモニターの端に新しい文字列が浮かんだ。
【SYNC DATA:LOCATION=AME=REA】
【STATUS:PHASE 2/RECORDING ONGOING】
「第二段階……向こうで何かが起きてる」
木崎の声が低くなる。
「行方不明者九名のうち、残り六名のデータが再び“更新”された。
まるで、生きているみたいに」
ハレルは立ち上がり、外を見る。朝霧の中、街灯の光が砂のようにかすんでいる。
「父さん……これが、あなたの見ていた“真実”なのか」
*
砂の迷宮アメ=レア。
リオとアデルは、崩れた回廊を進んでいた。
砂を踏む音だけが響く。空気は乾ききり、肌に張りつくようだ。
「空間が……変わっている」
アデルが立ち止まり、掌を開く。微細な砂粒が宙で渦を描く。
「記録が書き換えられた跡ね。カシウスが“記録世界プログラム”を動かしてる」
リオは唇を噛んだ。
「やっぱり……姉さんをあの装置に繋げたのも、あいつなんだな」
「彼の目的は“記録を理想に合わせて書き換える”こと。
けれどそれは、現実の誰かを犠牲にして成り立つ偽りの再生よ」
アデルの金属の瞳が淡く光る。
「リオ、あなたの腕輪。反応している」
リオが見ると、観測鍵の欠片が強く光り、青と砂色の二色が混ざり合っていた。
「ハレルが……向こうで何か動かしてる」
その言葉と同時に、足元の砂がざわりと鳴った。
突然、砂の中から白い腕がのび上がった。
乾いた皮膚。指先には焦げ跡のような痕。
リオは即座に後退し、アデルが剣を抜いた。
「来たか、“観測亡霊”!」
アデルの剣が砂を切り裂く。光の軌跡が亡霊を貫くが、形は崩れない。
砂粒が再び人の形に集まり、顔を上げた。
首筋に、黒い痣。
「……こいつらも、“行方不明者”の影……」
リオは腕輪をかざした。
「《観測反転(Reverse-Log)》!」
眩しい光が走り、亡霊が一瞬だけ凍りつく。
その背後に、さらに二体、三体――。
彼らはふらりと歩きながら、口のない顔をリオたちに向けた。
アデルが叫ぶ。「後退するわよ!」
「駄目だ、中心に進まなきゃ……姉さんが――」
リオの視界が一瞬白く焼けた。
遠くで誰かが呼ぶ声――「リオ!」
それはハレルの声だった。
*
現実世界。
ハレルの胸のネックレスが再び光る。
セラの声が響いた。
《彼らは今、境界の中心にいる。……そこに、ユナの意識がある》
木崎が顔を上げた。「なら、俺たちはどうすればいい?」
《“反記録”をもう一段階、深く。境界のデータ層を開いて》
「そんなことをしたら、世界が――」
《壊れるかもしれない。でも、止められるのはあなたたちだけ》
ハレルは短く息を吸った。
「父さんが命をかけて守ったのは、この瞬間のためなんだ」
木崎は苦笑しながらモニターに手を伸ばす。
「――なら、やるしかねえだろ。俺たちは記者だ。“真実”のためにな」
画面に再び砂色の光が灯る。
青と砂の二色が交差し、文字が浮かび上がった。
反記録プログラム:第二段階 準備完了
ハレルはネックレスを強く握りしめた。
遠くのどこかで、砂の風が吹いたような気がした。
(リオ、アデル……もう少しだけ、持ちこたえてくれ)
――境界は、まだ呼吸を続けている。
そして次の瞬間、光が世界を貫いた。