学校から一番近いカフェに二人で入り、先にレジで注文をして席に着く。落ち着いた印象の店内はまだ空いていて、俺達の他にお客は二、三人しか居ない。店内にはゆったりとしたソファーと小さなテーブルが並び、長居する事を許してくれる雰囲気が全体にある。音楽は流れておらず、話し声が微かに聞こえるくらいだった。
一番奥の席に二人で座り、テーブルに頼んだ飲み物を置いた。俺はコーヒーをミルクと砂糖入りで頼み、松島さんは長ったらしくて名前の覚えられない何やらオシャレな飲み物を注文していた。
「桜庭君って正直な人なのね。好感度がまた上がったって感じだわ」
松島さんに天使みたいな笑顔を向けられたが、理由がわからない。
「え、何で?俺何かした?」
「コーヒーを頼んだでしょ?でも、普段は飲まないからなのか、ミルクと砂糖を入れたわ。カッコつけて『ブラックで』だなんて言わないで、ね」
「どれもこれも商品名がオシャレ過ぎて、コレしか中身のわかる物が無かったから頼んだだけだしね。子供舌なせいでブラックなんか当然飲めないし、カッコつけて飲めない物のままにしていても、お金の無駄だしさ」
「あぁ、わかるわ。私も初めてこういったカフェに来た時は、どうしていいのかわからなくってちょっと動揺したもの。適当に頼んで、後でネットで中身が何なのか調べて、知らない事を誤魔化したりしていたわ」
「俺も覚えないとなぁ」
「…… こうやって、彼女と来た時に困るから?」
松島さんの一言に体が固まった。彼女の意図が全くわからない。
「まぁ、そんな感じ…… かな?でもまぁ、俺には彼女なんてできないだろうし、そんな必要も無いかもしれないけどね。あ、でも——ここのコーヒーは美味しいから、友達とならまた来るかも」
ミルクと砂糖入りコーヒーを一口飲み、そう言って、テーブルにまた戻す。
「本当、素直なのね」
クスクスと笑われたが、嫌な感じじゃなかった。
「もっと知りたいわ、桜庭君の事」
「俺の事?」
「えぇ。好きな物とか嫌いな物、誰と仲がよくって、今まで何をしてきたのかとか…… ね」
対面に座る松島さんが、僕に向かい手を伸ばしてくる。妖艶な笑みをたたえた彼女に手を重ねられ、俺は眉間にシワが寄ってしまった。
とびきり可愛い女子に手を掴まれて、嬉しく無い筈がない。
筈がないのに…… 何でだろう?
肌が粟立つだけで、ときめいたりとかはしなかった。
不自然じゃない程度にゆっくり、ゆっくりと掴まれた手を離していき、ソファーの座席に深く腰掛ける。
何で気持ちが落ち着かないんだろう?こんな美人に『貴方の事が知りたいわ』なんて言われて、飛び跳ねない奴はいないだろうに。
「俺の好きな、もの?何で?」
「言ったでしょう?桜庭君を、知りたいって」
「…… わかった。いいよ」
軽く頷き、俺は一つ、二つと自分の事を話し始めた。
「……——嘘でしょう?そんな事があったなんて。私ったら損したのね、もっと早く、貴方に話し掛ければ良かったわ」
松島さんが俺の話を聞いて、お腹を抱えて笑っている。中学時代にあった色々な事を話しただけなのに、こうも笑ってもらえるとは意外だった。
「話し上手なのね、桜庭君って」
笑い過ぎのせいで目尻に涙を浮かべ、本心から言ってくれている感のある言葉に、やっと自分も心からの笑顔を松島さんに向ける事が出来た。
「ありがと、んな事女子に言われたのは初めてだよ」
「そういえば、あまり女の子と話してないって言ってたわよね」
「影で、『がっついてるみたいで引く』って言われてるって噂で聞いてから、何となくね。別に女子を避けてる訳じゃないんだけどさ」
「そんな感じ、今は全然無いわ。話していてとっても楽しいもの」
「褒めたって何も起きないよ?」
「そう?残念だわ。——ねぇ…… 彼女は、もう欲しかったりはしないの?」
「うわぁ…… もしかして、そっちのクラスにまで噂いってるの?」
顔を両手で覆い、ソファーの背もたれに後頭部を預け、天を仰ぎ見る感じになった。
「あー…… うん。誤魔化してもバレるだろうし、その通りよ。『桜庭君、彼女欲しいアピール凄いよね』って」
「恥ずかしいな」
モテたいとは思っているが、別のクラスの松島さんにまで噂がいってるなんて恥ずかし過ぎる。確かにまぁ、クラス内で『清一ばかりズルイ』とか『アイツばっかモテるなんて!許せんっ』とは言っていたかもしれないが、他にまで回るとは。女子の情報網の恐ろしい事…… 。
「——今でも、欲しい?」
「…… え?あぁ、まぁ…… 」
不思議と歯切れの悪い返事しか出来ない。実は…… 本心から、『彼女が欲しい!』とは最近思えないのだ。
新しい人間関係をつくり、それを大事にしたいとまで思える程の相手がいない。こうなってみてやっと、圭吾が、『好きだから、付き合うもんじゃないのか?彼女が欲しいから付き合うって、何か逆じゃね?』と言っていた意味が分かる気がした。
「あのね、最近の桜庭君となら付き合いたいなぁって子が…… 私のお友達にいるの」
「——はぁ⁈」
店内に響く大声があがり、俺は慌てて口を塞いだ。店内の客が入店時よりも少し増えていて、『煩い学生だ』と雄弁に語る眼差しをこちらへ無遠慮に向けている。周囲に向かい頭を下げ、失敗したなと思いながらため息を吐いた。
(松島さんの言葉は、どこまで本気なんだろうか?)
「可愛い子よ。優しいし、まだ誰とも付き合った事がない子だから…… その、分かるでしょ?」
表面上は優しい笑みなのに、『処女よ、童貞には丁度良いでしょう?』と言っているみたいにしか見えず、何だか気持ちが悪い。
「桜庭君、昔はちょっと太っていたでしょ?でも今はシュッとしていて、活発だし、何よりも最近は全然がっついていなくて雰囲気変わったよねって言われてるの、知ってた?」
「いや、全然」
清一との事で毎日が埋まっていて、周囲を気にする機会があまり無かった。悪くない方向に評価が変わっている事は嬉しいが、何でだろう?松島さんの口から聞いてもあまり信用出来なかった。
「その子の事、紹介してあげてもいいけど…… 条件があるの」
(あぁ…… やっぱりな)
松島さんの言葉に対し、驚きは無かった。むしろ『こうじゃないと、俺になんか話し掛けてなんかこないよねー』と納得したくらいだ。
「条件?」
「あのね、桜庭君から楓君に『松島さんと付き合ってあげて』って、言って欲しいなぁ」
「…… きよ——楓に?俺から?」
「私ね、中学時代のまだ冴えない雰囲気だった時からずっと、宝石の原石みたいな楓君が好きだったの。高校に入って少しづつかっこよくなっていく姿を、遠くでずっと見ていたわ。ぽっと出の子達が告白合戦をしてる中、長い事モヤモヤしていたけれど全然誰とも付き合おうとしないでしょ?私も正面から行っても無理だろうなぁって思いながら様子を伺っていたんだけど、やっと攻略方法がわかったの」
ニッと笑う顔が蛇みたいだなと思った。こんな顔を正面から見せられては、魅せられる前に女性不信になりそうだ。
「楓君、親友の桜庭君が言う事なら何でも聞くもの。貴方の口から私を薦めてくれたら、きっと上手くいくわ」
松島さんが、いい案だと思わない?と言いたげな顔を向けてくる。
「桜庭君は可愛い彼女が手に入るし、楓君はこれ以上感情の押し付けでしかない告白から逃げる事が出来るのよ?素敵でしょ?」
(素敵?そうだろうか…… )
「ねぇ、お願い。そうね…… 一回くらいならしてもいいし」
「すごい…… 提案まで、してくるね」
深読みしやすい言い方をしてるけど、きっと男が期待するような事を彼女は言っていないなと、何となくわかった。
「四年間ずっと楓君が好きだったの。その時間を無駄にはしたくないのよ」
「貴重な時間を有意義なものだった事にする為なら、何でもするってことか」
剥き出しの好意が、こんなに醜いモノだとは知らなかった。
「えぇ、そうなの。話が早いのね。流石、楓君の親友なだけあるわ」
松島さんが満足気な笑みを浮かべ、ふふっと笑う。思い通りに事が動いていると確信している顔だ。
「貴方の立ち位置が、私は欲しいの。楓君の側に居るのは私でないといけないわ。桜庭君なら、わかるでしょ?彼女が欲しいのよね?だから、私達の欲しいモノを、交換しましょう?」
俺に向かい、松島さんが手を差し出してくる。どうやら彼女は俺と握手したいみたいだ。
(契約の証、みたいな感じだろうか)
「さぁ、約束しましょう?」
「…… わかった、いいよ。でも握手は勘弁して欲しいかな」
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