五月晴れのある日、僕らは何度目かのスタジオに、三人で足を運んでいた。
統括マネージャーの仲村さんと、すっかり10歳の元貴を受け入れてくれたスタッフさん達と挨拶を交わし、今日は撮影に向けて最終リハを行う。
「おー元貴、今日も元気かぁ。」
「うるせー…夏彦うるせぇ。」
「こいつホントに10歳か? あんま変わんなくない?」
元貴がスタジオ入りするようになってから、サポートメンバーも駆け付けてくれていた。すっかり慣れたその様子に、一緒になって笑い合う。
スタジオの一角に、楽器を並べ、元貴を真ん中に据えて、いつもの配置に僕たちも着いた。リハをやり終えて、スタッフさん達もホッと胸を撫で下ろす。
「では、テストでカメラ回しまーす。大森さん、最後カンペ読むまでお願いします。」
撮影スタッフさんが、手を上げて僕たちと、特に元貴に向かって声を掛ける。元貴が、チラ、とこちらを向いた。その顔には、不安が宿っている。
「大丈夫、僕も若井も、ついてるから。」
僕がそう言って笑いかけると、少しだけ、口角を上げる。前を向いて、肩を上げ下げして深く息を吐くと、元貴がギターを抱えた。
イヤモニにキッカケが流れ、ダニキのドラムが軽快に鳴り響くのに重ねて、僕のキーボードから曲が始まる。
元貴の真っ直ぐな歌声が、みんなへ向けて軽やかに飛んでいく。間奏部分では、若井と眼を合わせたり、僕の方を向いて笑顔を確認し合ったりして。段々とその表情は柔らかく、楽しげなものに変わっていって、僕は久しぶりのみんなとの通し演奏に、心が躍っていた。
ああ、楽しい。やっと、やっと元貴がここに還ってきた。若井と僕で、還すことができた。これだけで、それだけで、僕は、もう、いいや。
かべにゆく道をふさがれる時は
それこそニコニコ気にしなけりゃいい
気づけばなやみの種はかれ果て
新しい芽を開くから
ラララ…
楽しい世の中さ
最後まで歌詞カンペを見ながら間違えずに歌い切り、元貴がホッと一息つく。ギターを横のスタンドに置いて、両手を膝に揃えて、姿勢を正した。カンペが、最後のメッセージへと捲られていく。
「…えー…、みなさん、お久しぶりです。大森元貴です。体は、だいぶ元気になりました。まだまだ時間はかかっちゃうかもしれないけど、絶対にみんなの前に帰ってくるから、どうか、それまで待っていてください。えー…今日は、『ノニサクウタ』を、きいてもらいました。また、いろんな歌をみなさんにとどけたいと思いますので、どうぞ、またぼくらに会いに来て下さい。…以上、」
元貴が、僕と若井を交互に見て、息を吸う。
「「「Mrs. GREEN APPLEでした。」」」
スタッフさんが録画を止めて、一斉に拍手を送ってくれる。元貴に歩み寄って、僕と若井と三人でハグをした。互いに背中をポンポンと叩き合う。
「よしよし、完璧。よくやった元貴。」
「はあ〜、今のでテストでしょ? 本番、きん張すんだけど…。」
「…元貴、実は今のが本番なんだ。」
「え?」
「ごめんね、緊張しちゃうと思って、テストでもう本番やっちゃおうって、さっき決めたんだ。」
「えー、そうなの? …大じょう夫だった…?」
「だぁいじょーぶ大丈夫! めっちゃ良かったって!」
若井が、少し涙ぐんで、元貴の頭をくしゃくしゃに撫でている。元貴が、不安気な顔から、安堵の表情に変わっていった。そして、僕の方を見て、首を傾げた。
「涼ちゃん、泣いてないね?」
「…こういう時って、意外と若井の方が涙脆いんだよ。」
「へぇー。」
「やかましいわ! お前も泣け!」
若井が、僕の腰をこしょばしてくる。わはは、と笑って、また三人でギュッと抱きしめ合い、互いの奮闘を讃えた。
その日の夜、動画を編集したものが、僕らにデータとして送られてきた。元貴の家のパソコンで、三人でそれを確認する。作業椅子に元貴が座り、その両傍に僕らが立って、画面を見つめていた。動画の中の元貴は、少し緊張しているのは見て取れるが、まさか中身が10歳になっているとは、誰も思わないだろう。
「…どう? 大丈夫そう?」
「うん、いいんじゃない。なんか、すごくあったかい感じがする、いいよ、これ。」
「うん、オレも、カッコよく写ってるし。めっちゃいい感じ。」
元貴とは思えない簡素な評価に、若井と視線を交わしてつい吹き出してしまう。
「じゃあ、明日、これでファンクラブの方に出してもらうね。」
「うん。元貴、もっと他にも、歌えそうなやつ探してみようか。」
「うん。いいよ。」
若井が、パソコンの中にある楽曲を手当たり次第に探していく。
「あ、これは? ろん、り、ねす?」
「「これはまだダメ。」」
若井と声が重なり、二人で肩を叩き合って笑ってしまう。元貴は、またきょとんとして、首を傾げて僕らを見ていた。
今日はみんな気疲れしただろうからと、スタジオから貰って帰ったお弁当を平らげた後、すぐにお風呂を済ませていく。元貴は、もうすっかりこの家にも慣れたのか、一人でお風呂に入るようになっていた。
僕がソファーで元貴が上がるのを待っていると、若井がホットミルクを手に僕の隣に腰掛けてきた。
「はい、いる?」
「あ、ありがとう。あちち。」
コップを受け取ると、それを優しくフーフーと冷ましていく。そっと口に運ぶと、暖かな甘さが広がり、ホッとした。
「ん、そういえばさ、もうすぐだね。」
「なにが?」
「なにって…涼ちゃんの誕生日。」
「…ああ、そんなの忘れてたよ。ホントだ。」
壁にかかる大きなカレンダーを見て、数日後に迫る自分の誕生日に改めて気が付いた。
「…どうする? 当日は、二人にしようか?」
若井が、僕の表情を窺う。いつも、メンバーやスタッフさん達との誕生日会は前以て行い、誕生日当日は恋人である元貴と二人で過ごすことが常だった。
僕は、手元のコップの湯気を見つめながら、緩く首を横に振った。
「…今年は、いいよ。」
いつ、元に戻れるかもわからないけど。敢えて、それは口には出さない。元貴の誕生日には、流石に戻っているだろうか。そんな事を考えるけど、保証も確証も、今の僕らには何もないのだ。
「…じゃ、今年は三人で過ごすか。」
「…うん、そうしてくれると、嬉しい。」
若井が、優しく背中をトントンと、慰めに叩いてくれた。
元貴がお風呂から上がって、若井、僕の順番でお風呂を済ませていく。
体を洗おうと、ボディーソープのポンプを押すと、最後の方は何度か押さないと出てこない程、中身が空っぽになっていた。まるで、元貴の僕への気持ちみたいだな、とそんな自虐めいた考えが頭を過る。早くこの状態を抜け出さないと。これはすぐ元に戻せるんだから、明日の内に詰め替えておこう、と緩く笑った。
「今日は、三人でいっしょにねたい…だめ?」
お風呂から上がると、元貴が、枕を抱えて、リビングで僕を待ち構えていた。僕が困った顔で若井を見ると、若井は肩を竦めてみせる。
「涼ちゃんも疲れてるからやめとけ、って言ってもさ、今日だけは一緒がいいんだと。」
僕は、俯いて寂しそうに枕を抱きしめている元貴を見て、嫌だとはどうしても言えなかった。笑顔で元貴の頭を撫でて、いいよ、とだけ伝えた。困った笑顔に、なってしまったけれど。
寝室の大きなベッドに、若井、元貴、僕の順に、川の字になって横になる。若井は、僕たちのベッドで寝るのなんて嫌じゃないだろうか、と気になってそちらを向くが、なんにも気にしていないように、耳のマッサージをして寝る体勢を整えていた。
掛け布団の取り合いは避けたくて、それぞれに掛ける布団を持ち寄って寝ている為、中々にゴワつく。僕はなるだけ外を向いて、端に寄るように身を細くして目を閉じた。
そんな事は無いのだろうけど、後ろから元貴の視線を感じる気がして、そう思ってしまう自分が嫌で、無理矢理に眼を固く閉じて、早く、早く寝ろ、と頭の中で繰り返す。
どれほどの時間が経ったのだろうか、後ろから、二人分の寝息が聞こえてきた。僕はホッと胸を撫で下ろし、取り敢えず少しだけ身体の力を抜いた。だけど、やっぱりなかなか寝付くことはできなくて、もう諦めて眼を開ける事にした。物の形がぼんやりとしか捉えられない暗闇の中を、ただ何もなく見つめている。待てよ、もう元貴が寝付いたのなら、僕はそっと抜け出して、リビングで一人寝てしまえば良いのでは? そう思って、身体を起こそうと力を込めたけど、ふと、明日の朝、僕が向こうに一人で抜け出したことに気付いた元貴がどんな顔をするのか、と考えた。その顔を想像するのが怖くなって、僕は起き上がるのも諦めた。
「…ん〜…。」
若井の声が、聞こえる。ああ、寝言かな。そういえば、さっき寝る前にちゃんと記録アプリを付けていて、こんな時でも続けてるんだな、と可笑しく感じたっけ。
「……じゅうぶん……。」
若井のその満足気な声に、僕はつい吹き出してしまった。同時に、後ろから、ふふ、と笑い声が聞こえて、僕の心臓が跳ねた。
元貴、起きてる…?
「…涼ちゃん、起きてる?」
後ろから、声を掛けてきた。どうしよう、さっき若井の寝言に吹き出してしまったから、きっと起きてることはバレてる。今更寝たふりをするのも不自然か…。
「…ん…。」
それだけを答えて、身動きも取らず、じっと黙り込む。衣擦れの音がして、元貴が体勢を変えた気配がした。僕の心臓の音が、うるさい程に耳に響く。
「…ぎゅって…してもいい?」
少し掠れた、だけど甘えるような声。これは、10歳の子どもが、親に甘えているだけだ。わかってる、ちゃんと僕がわかっていれば、大丈夫。
「…少しだけね…。」
僕がそう答えると、すぐに背中が暖かくなって、元貴の腕が僕のお腹に絡まった。10歳の子どもだ、と頭ではわかっていたはずなのに、自分の身体を包むそれは、やっぱり29歳の元貴のもので。僕の頭と心がバラバラになりそうな程、困惑していた。
「…涼ちゃん、あったかい。大好き。…おやすみ…。」
僕は、そっと自分の口を押さえて、絶対に元貴に悟られないように、でも込み上げる涙を我慢することは出来なかった。嗚咽を漏らさぬよう、手の隙間からゆっくりと呼吸をする。そのうちに、また元貴から規則的な寝息が聞こえてきて、僕はそっとサイドテーブルに手を伸ばしてティッシュで顔を拭う。
ゆっくりと、元貴の腕を解いて、また身体を細くし、できるだけ端で眠りについた。
次の日は、若井がソロの仕事に行く日で、朝から出掛けていった。元貴と朝食を終えた後、元貴が勉強を始めた。僕は家の事をいくつか片付け、ふと、お風呂場のボディーソープのことを思い出した。
そうだ、中身を詰め替えておかないと。
洗面所の下の棚や、廊下の収納などを開けてみたが、詰め替えが無い。もしかしてストック切れかな、と思ったが、ふと洗面所の吊り棚に眼をやった。確か、ここにも洗剤が入ってたと、仲村さんが言ってたっけ。
洗濯機の隙間から、折り畳み式の踏み台を出して、それに登る。吊り棚に手を伸ばして、扉を開けた。いくつかの洗剤の詰め替えが置かれていて、前から二列目に、ボディーソープの物が見えた。手前のものを避けて、それを取ろうとした時。
「涼ちゃん!! ダメ!!!」
元貴の大きな声に身体を震わせて、洗面所の入り口を見た。元貴が蒼い顔をして、僕を見ている。
「涼ちゃん、そこダメ!! 降りて!!」
そうか、ここは、元貴が地震で倒れてしまった場所だ。しかも、今の僕と同じようなシチュエーションで。急いで台を降りて元貴を抱きしめ、背中をさすって落ち着かせる。
「大丈夫、大丈夫だよ元貴、ごめんね、怖かった?」
元貴が、ギュッと僕の背中の服を掴む。
「…オレ、なんでダメって言ったんだろ…。」
元貴も、理由がわかっていないらしい。ここで倒れたという記憶も、もしかして無いのかな。だったら、無理に思い出させることもないか。
「たぶん、僕を心配してくれたんじゃないかな、ありがとう。」
「うん…。」
「お風呂のボディーソープがね、無くなっちゃったんだ。詰め替えがあそこに見えてるから、それだけ取ってもいい?」
元貴が吊り棚を見上げて、詰め替えがそこに見えていることを確認すると、こくんと頷いた。元貴に心配をかけないように、ササッとそれだけをとって、戸を閉めて下に降りる。
「はい、おしまい。」
「うん…。…涼ちゃん…。」
「なに?」
「…おなか空いた。」
僕は、はは、と笑って、元貴の頭を撫でた。
僕の誕生日の前日、スタジオでささやかな誕生日祝いをしてもらった。いつものように、ケーキと小ぶりの花束を用意してもらって、みんなからお祝いの言葉も沢山もらう。
「藤澤さんも、33歳になって、今年は、みんな30代になる年ですね。」
仲村さんが、しみじみと言う。そうか、元貴たちもとうとう、三十路を迎えるのか。そう思うと、出会った頃のまだ10代だった元貴たちが、とてつもなく幼く感じた。
「あー、もうあと数年したら、俺たちの人生の半分、涼ちゃんと一緒にいることになんのか。」
若井が、ジュースを飲みながら、驚いたように呟いた。僕も改めてそう聞くと、なんて長い間一緒に過ごしてきたのだろうと、感慨深くなる。元貴は、あまり話に入ってこられないのか、僕のそばで黙々とケーキを食していた。
家に帰り、いつものように寝る用意を済ませ、あの日以来また別々に寝ている僕たちは、リビングで挨拶を交わして、それぞれの寝床へと入っていった。
布団でしばらく横になっていた僕は、ふと、玄関に今日もらった花束を置きっぱなしにしている事を思い出した。しまった、忘れてた。せめて、水にだけ浸けておこうか。そう思って、身体を起こしてそっと寝室を出た。足音を立てないように、玄関の下駄箱の上に置いた花束を持って、洗面所へ向かう。ドアの隙間から光が漏れていて、あれ、誰か点けっぱなしだ、最後に歯を磨いたのは誰だっけ、と考えながらそこを開けた。
「…! 元貴…!」
目の前に、踏み台に登って、吊り棚を見つめている元貴がいた。僕の声に、元貴がそっとこちらを向く。
「…涼ちゃん。」
「…なに?」
「…オレ、ここで頭打ったんだ…。」
「………うん。」
僕は、洗面台に花束を置いて、元貴に手を伸ばす。
「…危ないよ、降りて。」
「…うん。」
僕の手を取って、元貴が台から降りた。僕は、手早く花束をバラして、洗面台に水を溜めてそこへ花を入れていく。後ろから、元貴の視線を感じる。
「…オレ、忘れてるのって、それだけ?」
ズキン、と胸が痛む。濡れた手をタオルで拭いて、笑顔で振り向く。
「なにが?」
「…ミセスの事とか、若井の事とか、ここで頭打った事とか…オレが忘れたのって、それだけかな?」
僕は、元貴の肩にそっと触れて、頷いた。
「そうだよ、だんだんと思い出してきたね。良かったよ。」
「…うん…。」
「さ、もう寝よ。明日も、僕の誕生日、若井とお祝いしてくれるんでしょ。」
「うん。」
元貴が、ニコッと笑う。僕も笑いかけて、リビングの寝床へと元貴を促した。小さな声でおやすみを言い合って、僕はまた寝室へ戻る。布団に包まり、さっきの元貴の言葉を思い出していた。
『オレが忘れてるのって、それだけ?』
違うよ、違う。僕の事も、ちゃんと忘れてるよ。ねえ元貴、思い出してよ。僕は君の、恋人なんだよ。あんなに親愛に満ちた『大好き』じゃなくて、もっと熱く、僕の全てを欲するような、劣情に駆られた『愛してる』を沢山くれてたんだよ。ねえ、思い出して。思い出してよ。
元貴に縋り付いて、そう叫びたかった。思い切り抱きしめて、その唇に、………。
リビングから、若井か元貴が、トイレにでも行くのだろう足音が聞こえて、僕は我に返った。
…ダメだ、僕は、なんて最低なんだ。自分の思考に嫌気がさして、両手で顔を覆った。今の元貴に、10歳の元貴に、こんな感情を抱くなんて。気持ちが悪い、最低だ。
大きく息を吐いて、自分の中から黒いものを全て吐き出す。…よし、まだ、大丈夫だ。そう自分に必死に言い聞かせて、僕はまた孤独の中に身を投じる。そして、自分だけが恋を押し殺す明日の為に眼を閉じるのだった。
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昨日は倒れるように寝てしまい🥲 朝から次のお話に泣かされ、でもこのお話の切なさも噛み締めたいと、おかわりに来ました🫡❣️笑 この時は♥️くんの大好きが、こんなにも💛ちゃんを苦しめていたかと思うともうもう😭🌀 でもこのお話あってこその今ですね🥹💍 七瀬さん待望のポップアップのオンライン注文始まりましたね👏✨ 買えましたか?🤭♥️
ダメだよ、自分で「まだ大丈夫」って言ってる人は結構限界なんだよ…。言えないよね、でも自分の気持ちだけは許してあげて欲しい。 だって見た目も10歳ならダメだけど、見た目は恋人そのものなんだから。それと、元貴くんはやっぱり親愛以上の気持ちが出てるよなぁって。だって抱きつくの若井さんでもいいわけで…(ここはもりょきだよっていうツッコミはなしで笑)
サポメン登場は嬉しい!! 若井の寝言ぶっこんでくるのもサイコーw(アリガトーÜ) 涼ちゃんがとにかく辛くて泣ける🥹いや、言えない。分かるよ🤔 涼ちゃんダメ、降りてのとこで胸がぎゅってなった。元貴くんの中で何かが動いてる予感なのでは? 更新が楽しみ♥