薄紅色の桜の花びらが揺れる奥多摩。
その山中を縫うように走る国道411号線を
濃紺のジャンプスーツを着た少年少女達が、
列をなして駆けている。
ある少年は、息も切らさず無表情に。
ある少女は、呼吸を乱しながらも懸命に。
「はぁっ…はぁっ!もー!マラソンとか最悪ーっ!」
また、ある少女は周囲に目を配り慎重に。
そんな10代の群れの中に、
誰よりも真剣な表情で走る、
ひとりの少年の姿があった。
(あいつは…この中にいるのか?)
誰かの姿を捜し求めるように、
彼方此方(あちこち)へと視線を移動させる華奢な少年。
ジャンプスーツの胸元に木葉梟 累(このはずく るい)という名と
受刑者番号『69』が刺繍されたその少年は、
前を行く者を次々と抜いて走り続けた。
すると――。
「ねえ、キミ!さっきからすっごい勢いで走ってるけど、そんなに飛ばしてるとバテちゃうよ!」
胸元に『真鶴 詩織(まなづる しおり)受刑者番号17』と
刺繍で書かれた少女が、累の隣に肩を並べた。
「けっこー先が長いみたいだし、上手に手抜きしていこーよ!ね?」
「別に、お前には関係ないだろ…。」
「ちょっとぉ!初対面なのに、お前とか言っちゃう?」
(なんなんだよ、このテンションの高さは…)
――少年“死刑”法。
それはどんな罪を犯そうとも、
更生プログラムを終えれば社会復帰できるという法律である。
奥多摩少年刑務所に収監される
少年死刑囚の誰もが、
プログラムを終えることで釈放されることを信じ、
ゴールを目指してひた走っていた。
しかし、累には彼等とは別の目的があった。
だが、そんな事情など意に介さず、
詩織は愛らしく微笑んで、自分勝手に話を続けた。
「ってかさぁ、ゴールまで行けたら本当に釈放されるのかなぁ?」
「そのための少年“死刑”法だろ?突っ走るしかねぇよ、
最後の最後まで。じゃなきゃ、絞首台行きだ。」
「うはっ!キミって熱いねぇ!
そんな、熱血くんは何をして捕まったの?なんていうか…。」
「…なんだよ。」
「キミのこと、どっかで見たことあるんだよね~!
もしかして有名人だったりして!」
「ここにいる連中は、ある意味有名人ばっかだろ?世間を騒がせたんだから…。」
「あはっ!たしかに!」
(少年刑務所に放り込まれたってのに、
どうしてこんなに明るいんだ?まさか…犯罪者の自覚がないのか?)
(それに、俺を見たことあるなんて言ってたけど、
俺もこいつをどこかで見たことがある。そう、どこかで…)
巷で人気のアイドルを連想させる、完璧な美少女。
しかし、彼女はれっきとした死刑囚である。
つまり、詩織は人の命を奪ったか、国家反逆に
該当するような罪を犯したということになる。
もちろん、累も。
そして、周囲を走る少年少女達も――。
「とにかく、俺…先を急いでっから。」
「ふーん、あっそ!んじゃ、私は…そろそろ、だ・つ・ご・く!しちゃおっかな~!」
「はっ?脱獄って、なに考えてんだよ!」
「だってぇ、真面目に走るより、このまま逃げたほうが良くない?」
詩織は無邪気に笑うと、
国道と茂みを隔てるガードレールに足をかけた。
「バカなことしてんなよ!そんなの無理に決まってんだろ!」
咄嗟に反応した累が、
詩織の腕を掴んで国道側に引き戻そうとする。
だが、詩織は累の手を払いのけた。
そんな彼女の表情からは、先ほどまでの余裕が
すっかり消え去ってしまっていた。
「口うるさく指図なんかしないで!!!」
「おい…急にどうしたんだよ?焦る気持ちは分かるけど、
無茶したっていいことないだろ?」
「犯罪者のくせに、お説教しないでくれる?
キミは真面目に走るつもりか知らないけど、
私はどうしても、こっから出たいの!日常を取り戻したいの!今すぐに!」
「お前、もしかして…。」
(この顔、そうだ…。見間違いなんかじゃない…)
「動画撮影いじめ自殺事件の主犯格だな?」
「くっ…。」
“どこかで見たことがある”
そう感じた累のおぼろげな記憶の輪郭が、
徐々にはっきりとしてゆく。
(…ニュースで、こいつが逮捕されるところを見たんだ)
(クラスの女子を男友達に乱暴させて…動画を撮って、自殺に追いやった事件。
あの犯人が…真鶴 詩織)
立ち止まる累と詩織を横目で見つめ、
少年受刑者達が次々と走り去ってゆく。
気づけばふたりは、最後尾となり取り残されていた。
「あんなの、いじめじゃなくて…いじりだし。
ってか、死んだ奴にも…問題あると思わない?」
「…お前、なに言ってんだよ。」
「だってさ、おかしいじゃん!私まだ17歳だよ!
遺書に私の名前があっただけで、死刑囚ってなんだよ!
こっちには、そんなつもりなかったのにさぁ!」
詩織は、叫びながらガードレールを乗り越えた。
瞬間、ヒュッと鋭い音がして、
累の眼前を黒光りする何かがかすめた――。
「これ? なに…?」
鈍く光るボウガンの矢が、
詩織の額に突き刺さり黒目がグルンと上を向く。
「お…おいっ!」
累が反射的に伸ばした手が、虚しく空を切る。
そしてそのまま、詩織は緑の生い茂った崖を
重力に身を任せて転がり落ちていった。
「…これが更生プログラムの正体。」
被害者が受けた恐怖や死を、
魂に刻むための死のマラソン。
そんな更生プログラムには、
あるメッセージが込められていた。
だが――累は、それを拒むように頭を振って
嫌悪もあらわに呟いた。
「…綺麗ごとを並べてんじゃねぇよ。本音は…ただ、俺達に死んで欲しいだけだろ?」
茂みの奥、巧妙に隠された監視カメラを睨む。
累は数秒そこに立つと、瞼を閉じて呼吸を整えた。
そして、詩織が消えた崖を一瞥し再び走り出すのだった。
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