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#不倫
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父の工房跡地から見つかったのは、分厚い「顧客名簿」だった。
しかし、それは単なる取引先のリストではない。
各ページには、一円玉が丁寧に貼り付けられ、その横に父の穏やかな筆跡でこう記されていた。
『この一円は、パン屋の佐藤さんが、病気の奥さんに花を買うために削り出した利益だ。私は彼の誠実さに、一円の狂いもない敬意を払う』
『この一円は、町工場の田中君が、最初の試作品を完成させた時の汗の結晶だ』
名簿に記された数千人の名前。
それは、父が30年の歳月をかけて
一円の利益を度外視して支え、慈しんできた「人々の人生の記録」だった。
「詩織さん……。これ、ただの名簿じゃない。…今、経済パニックで倒産寸前の企業や、路頭に迷っている職人たちが、この名簿にびっしりと載っている」
「……そして、彼らは皆、かつてお父さんに『命』を救われた人たちだ」
山崎さんの声が震える。
直樹が最期に私に伝えたかったこと。
それは、彼がどれだけ奪おうとしても奪えなかった、父の「無形の資産」の全容だったのだ。
直樹は死の間際、自分の「支配」の限界を悟り
父が築いたこの「誠実さのネットワーク」こそが、崩壊する世界を救う唯一の資本であると認めたのだ。
「……海斗君。この名簿を、あなたのシステムに統合して」
「分かってる。……直樹が俺の母親を捨てた後、実はこの名簿に載っている一人に、俺たちの生活費を匿名で送らせていた形跡があった。……直樹は、自分を汚し続けながら、父さんのこの『白い世界』だけは、汚さずに守ろうとしていたんだな」
海斗が、初めて直樹を「父」としてではなく、一人の「臆病な男」として認めた瞬間だった。
直樹は、私を地獄へ突き落としながら
同時に私がいつか自分を超え、この遺産に辿り着くための「数式」を、10年かけて解かせていたのだ。
私は、父の万年筆を握りしめた。
この万年筆が作られたのは、名簿の最初の一人
名もなき職人が、父への恩返しとして「一円の妥協もなく」削り出したものだった。
【残り8日】
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