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「ごめんねぇ~。私たち、ピアニストなもので……」
わざとらしく言ったちえりさんの言葉に、周囲がドッと沸く。
「あ、そっか。お仕事がピアノだから、手を怪我できないのか」
納得してうんうん頷くと、大地さんが呆れたように言った。
「母さんも弥生も、徹底して料理をしないよ。俺たちは家政婦さんのお陰で育ったようなもんだから」
「でも、手は商売道具だから仕方ありませんよね」
同意すると、弥生さんがクネクネする。
「やだぁ~、朱里さん、分かってくれるぅ」
「おい、弥生。ピッチ上げて飲み過ぎだ」
横から冷静に突っ込むのは大地さんだ。
「でも世の中のピアニスト全員が、料理しないわけじゃないからな」
ちえりさんのお兄さんの裕真さんがボソッと突っ込むと、彼女たちはシュン……と項垂れてしまった。
この手の話が出ても、ちえりさんの旦那さんの雅也さんが何も言わずにニコニコしているところをみると、多分家庭内では女性陣のほうが発言力が強いのだろう。
あとは、大好きな奥さんのする事を尊重しているとか。
ちなみにちえりさんは着物を着ているけれど、雅也さんも呉服屋さんの社長さんらしく着物姿だ。風流なり。
豪華なお造りに夢中になっていると、それまで黙っていた裕真さんが口を開いた。
「朱里さん」
「はい!」
名前を呼ばれ、私はピシッと背筋を伸ばして彼を見る。
「尊と結婚するに当たって、速水家の私たちに聞きたい事はないかい? 大体の事は尊から聞いているだろうけど、さゆりに関する事など私たちが語れる事はある」
そう言われ、私は尊さんを見た。
彼は私の視線に気づき、微笑む。
「俺の事は気にしなくていいよ。確かに今まで、あえて母や妹の事を考えないようにしてきた。それは一人で戦わないといけないと思っていたからだ。心に弱い隙間を作っちまうと、怜香に少しつつかれただけで我を失ってしまう。……ちえり叔母さんに出会うまでは、俺は自分の感情を封印をしてきた。それは認める」
静かに言う尊さんの言葉を、速水家の人たちは痛みの伴った表情を浮かべて聞いていた。
その雰囲気はまるで、彼を放置してきた自分たちに責任があると思っているみたいだ。
いや、実際に大人たちはそう思って自分を責めてきたんだろう。
今までお会いするまでは、速水家の人たちが尊さんに対してどういうスタンスを貫いているのか、話には聞いていてもピンとこずにいた。
けれどこうして実際に会ってお話してみたら、とても優しくて温かで、尊さんを大切に思ってくれているのが分かる。
この人たちが尊さんに対して、責任を感じないわけがない。
「でもこうして皆に会うようになって、俺の中になかった〝肉親の温かさ〟がきちんと芽生えて、まっすぐに成長している。だから今は、昔より強くなったと思ってる。……朱里もいるしな」
「……はい」
私は照れながらもコクンと頷いた。
「フッフー!」
大地さんがそんな私たちをはやし立て、弥生さんに「バカ」と肩を叩かれる。
「ま、そんなわけで話せる事はなんでも話してくれよ。俺もこの場だから聞けるっていうのもあるし」
尊さんが言い、裕真さんは頷いてお猪口に入っていた日本酒をクッと呷った。
「……篠宮家側の話は、二人のほうがよく知っているだろうから、私たちは口を挟まないでおく。これから話すのは速水家側の感情論もあるから、不快に思う事があっても許してほしい」
私たちは頷く。
「……さゆりはとても優秀なピアニストだった。母の厳しいレッスンにも耐え、友達と遊ぶ時間も削り、期待にとても応えていた。コンクールでは必ず結果を出し、当時の母はさゆりを誇りに思っていた」
裕真さんが言ったあと、ちえりさんが懐かしむように笑った。
「あの頃、私は姉さんの足元にも及ばなかったから、いつも肩身の狭い思いをしていたわね。……そんな私が今、ピアノ教室を開いているのは、少し皮肉な事だけど。……姉さんは綺麗で優しくて、学校ではマドンナ的な存在だった。今ならあり得ないけど、当時は家までラブレターを届けにくる男の子が絶えなかったわ」
尊さんは二人が語る母の若い頃の話を、ウィスキーのグラスを傾けながら聞いていた。
「さゆりが『お付き合いしている人がいる』と言った時は、家族全員がピリッとしたな。母は何よりもピアノのレッスンを優先しているから、『男なんかにうつつを抜かすな』と喧嘩にならないか、ヒヤヒヤしていた」
亘さんの話が出て、私はちょっとだけ気まずくなる。
「伯父さんから見て、父はどんな男だった?」
尊さんに尋ねられて裕真さんは苦笑いし、言いづらそうに間を開けてから、溜め息をついて話す。