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#恋愛
ばたっちゅ
20,605
83
meyu0530
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微睡の中、柔らかな声に呼ばれて瞼を持ち上げる。
遮光カーテンが開き、寝室に光が差し込むと、穏やかな瞳と目が合った。
「おはよ、緋真」
「おはよう……伊織さん、今日早いね」
寝起きでまだ重たい体を起こす。いつもは彼の腕の中で目が覚めることが多いのに、既に着替えを済ませている伊織さんに、一気に目が覚めた。
「あれ、もしかして今日仕事……!? ごめん、二人とも休みだと思ってたから……」
慌ててベッドを抜け出そうとすると、すぐに抱きとめられる。
クスリと笑って、頬へとキスを落とした。
「休みだよ。今日は呼び出しもないから、安心して」
「え……?」
呼び出しもないって……いつ連絡がくるかわからないのに。
「今日は行きたいところがあるんだ。朝ごはんも用意してあるから、準備しよう」
「朝ごはんって、伊織さんが?」
「もちろん簡単なものだけどね。急かして申し訳ないけど、顔洗っておいで」
「うん……」
何だか腑に落ちないまま頷くと、ひとまず寝室をあとにした。
智美さんとの一件からひと月が過ぎた。一難去ってまた一難――なんてことはなく、私たちにはやっと平穏な日常が戻ってきた。
智美さんはあの後すぐに病院を辞め、今は家族の監視の元でカウンセリングに通っているらしい。
伊織さんも私に気を使っているのか、それ以上のことは何も言わなかったが、それでよかったと思う。私も余計な心配をする必要がないから。
おかげで今は、新婚生活を存分に味わっているのだが……。伊織さんは何を企んでいるのだろうか。不審に思いながらも準備を整えると、リビングへと向かった。
◇
朝食を済ませたあとは、支度を済ませて伊織さんの車に乗せられた。行く先も頑なに告げられず、小田原方面へ車を走らせること二時間ほど。到着したのは、箱根にあるホテルだった。
「え……ここ……」
「来たことある?」
「来たことっていうか、神花リゾートのホテルだよね? それに……」
何だろう、見覚えがあるような。単純に、ホームページか何かで見たことがあるだけなのか。
「もしかして……」
「そう。昔、緋真と出会ったホテル。さすがに覚えてないかな」
「ごめん、ぼんやりって感じ……。でも、どうしてここに?」
「もう少しだけお楽しみにしてて」
「ええ?」
まるで子供のような笑みを浮かべて、伊織さんが私の手を引く。ここまで来てまだ種明かしされないなんて。この後何が起こるか、まったく想像ができない。
しかしながら彼は教えてくれる気はなさそうで、引かれるままにエントランスをくぐった。
伊織さんがフロントで手続きを済ませた後で、ホテリエに連れられて中を進んでいく。緊張でドキドキしていると、やがてとある部屋の前で立ち止まった。
ドアが開き一歩中へ踏み入れると、煌びやかな純白のドレスが飾られている。
「これって……どういう……?」
「結婚式、洋装も着てみたかったって言ってただろう。俺も緋真のドレス姿見てみたかったから、形だけでも残しておけないかなと思って」
「え……」
「と言ってもドレスは勝手に決めちゃったんだけど。他に着たいのがあったら、用意してもらうから」
目の前にあるのは、クラシカルなハイネックのAラインドレス。上半身は首元から手首までしっかりとレースで覆われており、伊織さんが私のことを思って選んでくれたのだとすぐにわかった。
想像していなかった展開に、上手く言葉が出てこない。何も言わない私に、伊織さんがやや眉を寄せた。
「もしかして、迷惑だった? 急に連れて来られて――」
「違うよ! 逆! 嬉しくて、どうしたらいいのか……」
迷惑なわけがない。伊織さんが私の為にドレスを用意してくれるなんて、願ってもないことだ。
「それなら、綺麗な緋真の姿見せてくれたらいいよ。じゃあ、着替えておいで。俺も着替えてくるから」
「うん……」
嬉しすぎて、もう泣いてしまいそうだ。ぐっと涙をこらえると、鏡の前へと案内され、すぐに準備が始まった。
◇
支度を終えると、ホテル内にある式場へと案内される。
扉の向こうには、白と黒のバイカラーが特徴的なタキシードを纏う伊織さんがいて、胸が大きく高鳴った。
「……やっぱりドレスもよく似合ってる。綺麗だ」
「あ、ありがとう。伊織さんも、素敵だよ」
互いに結婚式で言えなかった言葉を伝え合う。目の前の伊織さんは、やっぱり直視できないほどにかっこよくて、この距離でもドキドキが伝わってしまいそう。
いつの間にか案内してくれたスタッフもおらず、こじんまりとした式場の中には二人だけ。てっきり写真を撮るものかと思っていたため、どうしたらいいのか戸惑ってしまう。
私の気持ちを読み取ったのか、伊織さんは小さく笑みをこぼして私の手を取った。
「写真はこの後撮るよ。でもその前に、少しだけ時間をくれないかな」
「あ……」
ゆっくり手を引かれ、バージンロードを進んでいく。奥の祭壇の前に立つと向かい合う形になり、伊織さんが私の手を取ったまま跪いた。
参列者も神父もいないのに、まるで二人きりの結婚式みたい。
「今日ここへ来たのは緋真のドレス姿が見たいっていうのもあるけど、もう一度やり直したかったからなんだ」
「やり直す……?」
「正式に結婚式は終えたけれど、あの時はまだ緋真にちゃんと言えてなかった言葉がたくさんあったから。だから、今日は改めて俺の気持ちを聞いてほしい」
伊織さんはいつになく真剣だが、表情はすこぶる優しくて穏やかだ。
私を真っ直ぐ見つめる琥珀色の瞳は、光をいっぱいに浴びて輝いていた。
「確かに俺は、緋真に火傷を負わせたことにずっと責任を感じているし、この先忘れることはないと思う。それもあって縁談を申し込んだわけだけど、実はもうひとつ理由があるんだ」
「もうひとつ?」
「俺は、あの事故のあとすぐに医師を志したんだ。もしあの目標がなかったら、今どうしていたかわからない。おそらく適当に大学を卒業して父さんの会社を継いで……もちろんその人生も悪くないけど、今ほど充実はしてなかったと思う」
医師になるまでもなってからも努力の日々で、苦労は絶えなかったが、ここまで真剣に取り組んでこれたのは全部私のおかげだと伊織さんは話す。
私は幼いころに一度会っただけで、何もしていないのに。そう伝えると、彼はふるふると首を振った。
「緋真のことは責任を感じないようにって言われていたし、俺が医師になったところで緋真を救えるわけじゃないのはわかってた。それに、責任をとるならば職業はなんでもよかったんだ。冷静に考えれば父さんの会社を継いでいたほうが、もっと裕福な暮らしをさせてあげられていたはずだし」
「そんな……」
「だから……この間院長も言っていたけど、俺の原動力になった緋真には感謝してるんだ。ここまで何かに対して頑張ろうと決めて、努力をし続けたことは俺の人生で初めてのことで……そういう人間になれてよかったと思ってる」
ずっと、コンプレックスとして憎んできた火傷の痕。伊織さんとの過去を知ったあとは、彼を苦しめていたことに悩んだけれど、伊織さんの言葉に救われた気がした。
「もちろん、緋真自身に惹かれたのも本当。見た目だけじゃなくて、努力家なところも、人を思える優しいところも全部愛しいんだ。俺は緋真と夫婦になれて、心から幸せだよ」
「っ、私も……幸せだよ。仕事に誇りを持ってるところも、いつも真っ直ぐに気持ちを伝えてくれるところも、自分以外の誰かを優先させちゃうところも……全部好き……愛しいって思ってる」
はじめは、伊織さんの目を見張るほどの容姿と彼が纏う独特な空気に惹かれた。そして知れば知るほど、彼は内面までも魅力的な男性だった。何度も、自分には勿体ないと思うほど。
「それに……よく考えたら私も伊織さんがきっかけで、今好きなことができてるんだなって」
幼い頃に見た厨房での記憶は、おそらくこのホテルで伊織さんと一緒にいた時のものだ。辛い事故ではあったものの、過去は変わらないのだから、ポジティブにとらえたい。
「だから、私も伊織さんに感謝してる」
「……そっか。嬉しいよ、そう言ってくれて」
お互いの気持ちを伝え合うと、彼は握った手に力を込める。
「これから……また緋真を不安にさせたり、傷つけたりすることがあるかもしれない。そうさせないつもりだけど、この先何十年も一緒にいるなら、何があるかわからないし。でも、もしそうなったら俺が必ず救うって約束する。できる限り不安も取り除くし、傷だって癒すから。そうできるように、ずっと緋真のすぐ傍にいるよ」
この先の未来、何においても“絶対”はない。伊織さんの言葉は、飾りのない本心で、何よりも信じるに値するものだと感じた。
「ありがとう……。でも、守られてるだけは嫌だな。私も伊織さんにとってそういう存在になりたい。二人で支え合っていくのが夫婦なのかなって思うから」
「……ああ、そうだな」
「それから……私も傍にいさせてほしい、です」
「もちろん。途中で嫌だと言っても、離してはあげられないな」
「嫌だなんて、絶対ありえないよ」
互いに微笑み合ったあとで伊織さんが手の甲にキスを落とす。
そのまま立ち上がると、ゆっくりと二人の距離を縮めた。
誓いのキスの予感に目を閉じれば――
「愛してるよ、緋真」
低く落ち着いた声が響き、柔らかく唇が重なる。
触れるだけのキスは何よりも尊くて幸せで、永遠のように感じられた。
コメント
1件
伊織さんのサプライズ、素敵でしたね。そして何より、彼の「医師を志したのは緋真さんが原動力だから」という言葉にぐっときました。責任感だけじゃなく、感謝としても過去を捉え直すこのシーン、本当に綺麗で。ドレス姿も、二人きりの結婚式も、伏線として散りばめられていた「洋装への憧れ」を丁寧に回収していて、構成としても胸が熱くなりました。