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本部は、その違和感を「残留不安」と仮称した。
正式名称ではない。
議事録にも残らない。
だが、誰もが同じ感触を抱いている。
――何も起きていない。
――数値も、稼働率も、満足度も、規定内。
――事故報告、ゼロ。
それなのに、不安だけが消えない。
「原因は?」 「未特定です」 「再発防止策は?」 「……想定できません」
会議は、同じ場所をぐるぐる回る。
言葉が足りないのではない。
使える言葉が、削られすぎた。
“意味”は禁止語に近づいた。
“揺れ”は異常。
“未選択”は定義待ち。
残ったのは、説明不能な安定だけだった。
本部は、花子の提出した言葉を再び引き上げる。
本人がすでに使う気のない、その一文。
当時は、ただの回避策として処理された。
今は違う。
「……これ、理念に転用できませんか?」 「数値化は?」 「補助指標としてなら……」
花子の言葉は、
彼女の手を離れた瞬間から、
“安全そうな曖昧さ”として再解釈され始める。
それは、誰の責任でもない。
誰の意図でもない。
ただ、空白を埋めたかっただけだ。
一方、月影は、あることに気づき始めていた。
削除も更新も来ない理由。
それが「保留」ではない可能性。
彼のログは、
評価不能として棚上げされているのではなく、
参照不能として隔離されている。
つまり――
判断の材料に使えない。
月影は、静かに理解する。
自分が異常だからではない。
異常を定義できない地点にいる。
だから、何も来ない。
彼は、未選択をまだ保持している。
だが、それを渡す準備は整いつつあった。
誰に渡るかは重要ではない。
重要なのは、それが個人の手を離れる瞬間だ。
同時刻、佐伯は初めて、会議で数字を出さなかった。
「説明できますか?」 「……できません」
沈黙が落ちる。
佐伯は、数字を失ったわけではない。
数字で説明できないことを、知ってしまった。
本部は、その沈黙を危険視する。
「発言権を一時制限します」 「次回以降、補助資料を提出してください」
佐伯は頷く。
反論しない。
なぜなら、
今この瞬間、
反論のための言葉が、存在しない。
そして――
花子は、ニュースにもならない小さな更新を目にする。
Topicsの片隅。
プラン説明文の微修正。
そこに、自分の言葉が、
別の意味で組み込まれているのを見つける。
花子は、笑わない。
怒らない。
「ああ……そう使うんだ」
それだけだ。
彼女は、行動を変えない。
言葉を取り戻そうともしない。
なぜなら、
もう知っているからだ。
言葉を回収しても、
構造は壊れない。
壊れるのは――
誰かが、選ばないことを実行したときだけ。
月影は、その瞬間を迎えようとしている。
未選択を、
選択肢として差し出す。
何も起きないかもしれない。
だが、起きなかったという事実は、
必ずどこかに残る。
本部が最も恐れているのは、
事故ではない。
「理由のない安定が、続いてしまうこと」だ。
その予兆は、もう十分すぎるほど、揃っていた。