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まあまあ、常晴《つねはる》様、白湯でも飲んで落ちつきなさい。紗奈は、顔と足を洗うのよ。と、橘は、へたりこんでいる、鍾馗《しょうき》に、掛布をかけてやりながら、皆に、声をかけて母親役に徹している。
「でもですよ、橘様!私まで、野次馬に、あやかしの牛にさらわれていることにされて、いったい、なんなんですか!」
常春は、ごちる。
あれから、納得せぬまま、牛の、若に乗って、屋敷の正門を突っ切った。
確かに、火の手は、大きく上がり、自力で正門から、というのは、なかなか難しい。どころか、その門自体に火が燃え移っている状態だった。
これならば、まだ飛び火していない、西門から、自力で逃げる方が安全なのだが……。
さらに、外には、崇高《むねたか》の配下であろう、検非違使達が、ずらりと並び、蟻の子一匹逃さない体制を取っている。
駆ける若を見つけたのか、牛が来た。本当に、股がっている。などなど、その検非違使達は、言い合い、笑いを噛み締めているのだから、常春も、面映ゆくて、仕方ない。
だが、若は、命じられたまま、動こうとしている。
「い、いや、若、お前、あの火の輪になっている門を潜るつもりか?!」
むろん、と、言いたげに、若は、もう~と、鳴くと速度を上げた。
ひいいーーー!
と、叫ぶ常春に、検非違使、野次馬、ついでに、縄で絞られ、ひとところに、かためられている、屋敷に潜り込んでいた悪党達まで、若の火の輪潜りに、目を丸くする。
これまでかと、常春は、目をギュッと閉じた。
若という牛は、髭モジャの言うことしか、聞かない、のもあるが、どこか意固地な所があり、一度動くと、止められない。
熱風に襲われ、チリチリと、小さく嫌な音が、常春の耳元でした。
ついでに、牛が燃えている!と、いう叫びを耳にして、常春は、この火の輪潜りは、失敗か?すぐ、この身にも、火が、燃え移るのだろうと、泣きそうになった。
ああ、これまで。と、常春は、思いきって、目を開ける。
が、皆は、常春など、見ておらず、夜空を一斉に見上げていた。
常晴は、火の輪潜りを終えたが、髪の毛が、焦げ、衣が、ぷすぷす音を立てて、焼け焦げを作り終えたところだった。若は、尻尾の先に火が、移ったようで、ぺしりぺしりと、尻尾を、打ち付ける様に動かして、火を消していた。
「若、お前、いくら、髭モジャに、言われたからといってもなぁ、少しは、危険かどうか、判断できるだろう?」
思わず、説教していると、何か、周りが騒がしすぎる。そして、相変わらず、皆は、空を見上げたままなのだ。
常晴も、望んでみると……。
「なっ!!!」
タマを咥えた、一の姫猫に股がる、紗奈《さな》が、ホホホホと、高笑いしながら、旋回していた。
タマは、タマで、奇っ怪な鳴き声を上げており、当然、もののけが、出た!!と、大騒ぎ……。
「橘様!検非違使達は、一の姫猫を射ろうと、弓をつがえ始めるし、大変だったのですよー」
「あら、それは、私も見てみたかったわ!」
ふふふと、橘は、笑っている。
「まあ、無事だったのだから、良かったこと……」
「はい」
常晴は、大きく返事をした。
「ところで……この始末は……」
「ええ、守近様を、ぎゅうぎゅう、絞っておきましたから、すべて、守孝様のせいにしております」
はははは、と、常晴は笑ったが、
「と、いうことは、何があったか、皆様、もう御存じなのですか?」
「いえ、守近様と、私達だけ。守満《もりみつ》様はまだ……流石に、唐下がりの香の、売人じみたことに、関わっていたとは、言えないから」
あの……と、常晴が、橘へ問うた。
「実のところ、守近様のことは、私はわかってないのです……」
「ええ、私も。まさか、売人でしょ?とは、面と向かって聞けませんから。結局、察するところ、内大臣様の代わりに、と、いうことかしらねぇ?」
うーん、と、橘と、常晴は唸る。
「そういえば、内大臣家に、潜り込んでいた、売人が、禁中も手中にできる機会、の、様なことを口走っておりました。そして、守孝様が、まんまとしてやられた、と、小上臈《こじょうろう》様のことを、なじられた。ということは……」
おそらく、守近名義の、荷、と、いうものが、唐下がりの香で、それを、必要としている内大臣家へ、送り届けていたのだろう。
守孝は、小上臈《こじょうろう》への引き渡し役、だったのだろうが、そこへ、謎の姫君の話が絡み、誰が、誰やらと、混乱した。
では、内大臣は、なぜ、その様な物を、手に入れたがったのか。小上臈《こじょうろう》の、錯乱症状を押さえる為と言っても、荷物は、頻繁に運び込まれていた。
「都中の、売り買いを仕切ってらしたのかしら?」
では、その、小わっぱ売人の禁中が手にはいると、いうのは?
「橘様、禁中でも、もしや……」
「そうね、内大臣様だもの、どうにでも、広められるわ」
「しかし……だとすると、私も、一度位は、噂として耳にするはずです。それに、なんのために?」
橘と常晴が、首を傾げているとき、引き戸が、からりと開けられて、
「では、私が、調べて来ればよいのね?」
と、娘の声がした。
入り口に、守恵子《もりえこ》が、覚悟を決めたとばかりに、顔を強ばらせ、立っていた。