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イチは
セリーヌに手を引かれ、
応接の間へと通された。
深い青の絨毯、
壁に掛けられた刺繍、
大きな窓から差し込む午後の光。
部屋の真ん中に
丸いテーブルが置かれている。
「ここに座ってね」
セリーヌに促され、
イチは椅子へ腰を下ろす。
隣には
エリアスが静かに立ち、
向かいには
ルシアンが腕を組んで座った。
「……さて」
セリーヌが
柔らかな声で口を開く。
「あなたのことを
少し教えてほしいの」
問いかけは優しい。
けれど
返事はない。
イチはただ、
膝の上に置いた手を
静かに指先だけ動かす。
小さな、小さな動き。
「イチ……でいいのよね?」
セリーヌは
笑みを浮かべる。
「どこから来たの?家族は?」
沈黙。
「話すのが怖いなら
無理に答えなくていいのよ」
セリーヌの声は、
まるで春風のようだった。
「……セリーヌ」
低く、
ルシアンが呼ぶ。
その声音に
セリーヌは
イチから視線を外し、
弟を見つめた。
「なにか……あったのね」
ルシアンは
一度目を閉じ
短く息を吐いた。
「エリオットが――
死んだ」
空気がゆっくり凍りつく。
セリーヌは言葉を失い、
目を瞬いた。
「……そんな……」
「帝国兵だろう。
争った跡はなかった。
体は……
家の近くに埋められていた」
言葉ひとつひとつが
重く落ちる。
エリアスが静かに視線を落とす。
「埋めたのは……その子か?」
「そうだ」
ルシアンは答える。
「花を添えていた」
エリアスは
イチの横顔を見つめる。
イチは
ただ
薄く開いた目で
一点を見ていた。
悲しみも、
怒りも、
恐怖もない。
「……感情がないのか」
エリアスが呟く。
セリーヌは口元に手を当て、
震える声で問う。
「エリオットは……
最後、苦しまなかった?」
「……わからない」
ルシアンは
低く答えた。
「だがあいつは、
戦えなかったはずだ。
病で……
命は、もう長くなかった」
セリーヌの目に
静かな涙が浮かぶ。
「どうして……
どうして何も言ってくれなかったの……」
ルシアンは顔を伏せる。
「逃げていると聞いていた。
だが……
追われていた理由は俺にも、まだわからない」
エリアスが
静かに続ける。
「その子――イチには
話せない理由があるのかもな」
セリーヌは
再びイチを見つめる。
「ねえ、イチ」
呼びかける声は
震えていたが、
優しさは濁らない。
「エリオットとは……
一緒に暮らしていたの?」
イチは
ゆっくり瞬きをする。
言葉は出ない。
それでも
ほんのわずか、
視線が
ルシアンへ向いた。
その微かな動きだけで
すべてを察した。
「……そう」
セリーヌは
悲しみを押し隠すように
静かに微笑む。
「大切だったのね」
イチの指先が
わずかに震えた。
泣くことも
声を出すこともできない。
ただ
胸の奥で
何かが押し寄せ、
形になれず
彷徨っている。
セリーヌは
そっとイチの手を包む。
「話せなくてもいい。
ここにいていいの。
あなたはもうひとりじゃない」
イチは目を伏せた。
瞬きが
いつもより
ひとつ長かった。
ルシアンは
その様子を見て
微かに眉を寄せる。
「……とりあえず
今日は休ませよう」
エリアスも
静かに頷いた。
「そうだな。
話は、また後でいい」
セリーヌは
微笑み、イチに告げる。
「お部屋に案内するわ」
少女は
立ち上がる。
声なき返事。
四人の視線がその小さな背を見つめた。
――エリオットを失った少女は、
いま静かに
新しい場所へ踏み出す。
その歩みが
どこへ続くのか
誰もまだ知らない。