少し前に、変質し——もとい、面白い人と知り合いになった。服飾店を営んでいる、あんずさんという女性だ。代償不足で獣化までは出来ない不完全な獣人でしかないワタシの容姿に興味を持たれて話し掛けられ、同郷でもあった流れがあったからなのか、何故か妙に気に入られてしまった。
どうやら、スキアとワンセットで。
あの後、商店街などで会った色々な人が教えてくれた話によると、あんずさんは『とても凄い人』らしい。不可思議な言葉を口にする所が——とかではなく、この世界に移住後すぐの段階で、この世界の服飾生産方法に革命をもたらしたからだそうだ。
最たる功績は“針子の指輪”を考案した事だろう。
空っぽの魔法石を埋め込んだ指輪に服の製作工程やデザイン完成図などといった、作成に必要な情報の全てを付与させると、今までに全く縫い物の経験の無かった者がそれを身につけたとしても、きっちり上質な服を完成させる事が出来る様になる装具の考案者なのだ。体に欠損があろうが、盲目であろうが、勝手に手先が動いて服を作る事が出来る為、六年前の魔物達との戦争で後遺症の残ってしまった者達に新たな雇用先を生み出した立役者でもあるそうだ。
機能性や作成の楽さなどに特化してばかりいたせいで見た目は二の次だった今までの装備に高いデザイン性を持たせたり、無難なサイズの既製品を大量生産して安価で販売するなどの方法を取り込んだ手腕も評価されているらしい。
『いやいやー。私は先人の叡智を流用してるだけですよー。装備品のデザインなんかも、数多の輝きを生み出したデザイナー様や神絵師様達のおかげですしねー』
との、意味不明且つ、謙虚?な発言で好感度を更に上げ、貴族階級の方々からも人気の服飾師に短期間で上り詰めた人なのだ。なのに本業は薬師なので、服飾の方はあくまでも片手間での作業だというのだから、本当に凄い人だとワタシも思う。
だが革命的な装具である“針子の指輪”にも、欠点があった。
必要なデータの付与を魔法石に込める事が出来る人が、今の所あんずさんしかいないのだ。技術の無い人でも服を作る為には作業工程の全てを細部まで精密にイメージする必要があるのだが、そこまで出来る人材が全然育っていないらしい。そのせいで、“針子の指輪”は今の所ソワレでしか手に入らない。もし運良く不正なルートで転売品を購入出来ても、作れるのはその指輪の中に入っている情報の品のみなので、同じ服しか作成出来ない。
別の服をとなると、また別の“針子の指輪”を入手せねばならない。その為個人需要は低い品なのだが、服飾店ならば喉から手が出る程の逸品だ。それ故、彼女の店ではもう不要となった指輪は高値で取引がされているらしく、結果的にあんずさんの懐は潤う一方なのだから、ご本人的には『欠点』ではないのかもしれない。
住宅や商店の管理・運営方法などを伝授してソワレを急速に発展させたマリアンヌさんと並んで町の復興に一役買った事でオアーゼ大陸全土で名の知れた人なので、大きな街からの勧誘も絶えないのだが、『んー。この世界って、まだ馬車くらいしかないから、移動が面倒ですよねー』と言って全て断っているそうだ。マリアンヌさんといい、あんずさんといい、二人とも出世欲は低いのかもしれない。
そんなあんずさんとワタシは、賃貸住宅の同じ区画に住んでいるご近所さんらしいのだが、今まで一度もお会いした事は無かった。自分はヒーラーなので回復薬や解毒薬などといった薬を買いに行く機会は無いし、服だって最初に貰った中古品をずっと使っていたから買った事も無い。活動時間帯もお互いにずれていて、仕事が忙しいからと店に篭って帰宅しない日も多いあんずさんとは道端ですれ違う機会すら無かったのだ。
——そんなふうに、抱えている背景が意外にもすごかったあんずさんだが、最近はきちんと帰宅する様にしたそうだ。今も優しそうに糸目を細め、穏やかな笑みを浮かべながら、ワタシの借りている部屋の玄関先で「こんばんはー」と言って立っている。
「こ、こんばんは」
扉が勝手に閉まってしまわないように押さえながら返事をした。買い物のついでとかで聞き知った情報がすご過ぎて、気軽に話してもいいのか迷ってしまう。
実はあんずさん。昨日も、一昨日もウチに訪問して来たのだが、今日はどういった要件なのだろうか?
「今、数分だけ大丈夫ですかー?」
「あ、はい」
「ふふ。今日の格好も、軽装で素敵ですねー。でもー、部屋着はもっと緩い方がきっと旦那さんも喜びますよー?総レースのキャミソールと、スケスケのショートパンツのセットでも如何ですかー?中にはTバックのショーツを穿くと、即突き間違いなしですねー」
「??????」
大きめのTシャツにショートパンツ姿で玄関先まで出たので『軽装だ』と言われたのまではわかる。でもそんな、着る意味があるのかどうかといった格好をする事で、何が間違いないのかさっぱり見当が付かない。そのせいで頭の中は疑問符だらけだ。
「えっと…… 不要、かな?」
よくわからない物をもらうとスキアに注意されそうなので断っておく。昨日も一昨日も、あんずさんがくれた紙袋の中身を確認しては、スキアはそのまま勢いよくゴミ箱の中に放り込んでいた。しかも鬼の様な形相で。軽さ的にも彼女のお仕事的にも袋の中身は衣類だったと思うのだが、衣服程度で、優しくって穏やかなスキアを怒らせる事が出来るあんずさんって、本当にスゴイ人だ。
「——また来やがったのか!この変質者め!」
リアンと一緒にお風呂に入ってくれていたスキアが、風呂場から濡れた髪のまま、玄関前の短い廊下を横滑りしながら飛び出して来た。
「わふんっ」
風呂上がりでほかほかに仕上がったリアンも、口の中にしまい忘れた舌をベロンと出しっ放しにしながらちらりと顔を出していて、そんな愛らしい姿にやられたと思われるあんずさんがその場で膝から崩れ落ちた。鼻からは血まで垂らしていて、その表情は幸福に満ちている。
(…… すごい、人…… なんだよ、ね?)
色々疑問を抱いたが、玄関で「そんなぁ、私は別に変質者ではないですよー?ただ、『当て馬になれないかな』と思っているだけですー。夫婦生活には、刺激が大事ですからねー」とか、「ルスと僕には、そんなモノは不要だ!」などとワイワイと言い合っている二人の様子を見ていると、段々楽しい気分になってきた。
「お二人共、あんまり騒ぐとご近所迷惑になっちゃいますよ。あ、なんだったらお茶でも飲んで行きませんか?」
「無闇に誰でも招くな!二人きりの時間が減るだろう⁉︎」
「いえいえ、お二人がくんずほぐれつするお時間の邪魔をする気はないですよー。風呂上がりの香りに惑わされて、是非ともソファーなどで襲われちゃって下さいねー」と言いながらワタシに紙袋を押し付け、鼻の辺りを押さえるハンカチを血濡れにしながらあんずさんが早々に去って行く。スキアに奪われてしまう前に中身を確認すると、袋の中にはこの間依頼した伝書鳥達へのプレゼントを透明な袋で包んだ物と、綺麗な包装紙やリボンがまっさらなカードと共に入っていた。
「…… 綺麗っ」
装具をそっと取り出し、瞳を輝かせて感想を言うと、スキアも横から覗いて「…… 本人は心底ムカつくが、いい仕事してるな」と素直に認めた。鳥の細い脚に着ける装具なのでかなり小さいのに細部まできちんと手を抜かずに細工されている。プラチナをベースにしているみたいなので相当高いかと思う。なのにコレがタダとは…… 。スキアが不安に思っている通り、今後高くつくのかもしれないけど、ユキ達に素敵なプレゼントを用意してくれたあんずさんへの感謝しか感じられない。
「すっかり絆されたみたいだな」
スキアは呆れているみたいだが、口元はちょっと嬉しそうに綻んでいる。綺麗な物は彼の心を喜びで満たしたのだろう。
「僕らの指輪を頼む時も期待出来そうだな」
大人な顔に少年っぽい笑みを浮かべ、スキアがにっと笑う。彼のそんな笑顔を前にすると胸の奥にじわりと熱いものを感じた。
「——うん!そうだね」
二人並んで部屋の中に戻る。まだ毛が濡れているリアンが間に割り込んで来たが、『“家族”ってこんな感じなのかな』と思うと、より一層心が温かくなったのだった。
【幕間の物語②『家族の姿』・終わり】
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